誕生日を迎えるたびに


先週の土曜日(15日) に、誕生日を迎えた。

28歳という30歳も目前となった。

色々と頑張ろうとしている部分もありながら、小さい頃に想像していた年齢相応の大人になれていないことに焦りもある。

何もかもがうまくいかない。だからこそ、抗うために出来ることをしながら、社会のために自分のために幸福を追求している。

そんな大それたことを考えても、形になっていないと不安になってしまう。

これだけのお金と職業、恋愛、家庭、趣味、キャリアアップ。こうでありたい、こうならないといけない、そんな思いは叶わないどころか自ら失わせてしまっているのではないか、そんな風にも感じてしまう。

そして自らが無力であることや人に言われてきたことを理解もし始めた。


誰かを救うためには自分を幸せにしないとならない
ある程度のお金がないと後悔しない生き方はできない


年齢が重なるほど、できなくなることは増えていく。社会はそうではない、年齢なんて関係ないという人もいるが、年齢相応の出来事を経験している暗黙の了解があるからこそ可能である。

確かに、ギャンブル性の高いものほど、前提条件を必要としないとも言える。しかし、一定あるいは一定以上の安定を得るためには、前提条件を多く必要とする。

だから人生のつまずきは許されない、に繋がっていく。

本当の意味で、いつでも何もかも可能な社会だとしたら制限を設ける必要はないはずである。

不安定な世界で生きるというのは、自分の幸福をいつのまにか奪われたり、機能しなくなっていくことを間近で見なければならない。

その苦しみは、経験してから大分経ってからじゃないと分からないことも多い。

誕生日を迎えるたびに、あれもこれもできない、これも難しい、なんで受け入れられない、あーそうなのかと慣れていくことが増えてしまう。

それを強くなったと捉えるべきなのか、もう心がダメになってしまうって痛覚がなくなってきたのか。それは自分自身にもわからない。

別のことであるが、受け止め方や社会の見方を少しずつ変えていくことを学んでいるために、好転的なこととも考えられるが、果たして真相は分からない。自分のことなのに…汗

来年は29歳。果たしてどんなことをしているのだろう。本来であれば、4月から新しい生活をしていたはずである。そして、段々と全てを諦める日々に直面しなければならないタイムリミットが迫ってきている。

去年の誕生日には、今年は幸せになっていると思っていたように思ったけれど、それは難しかった。

だからこそ、他の人にはそんな思いをして欲しくないから確立したものを作っていきたい。

そして僕もしっかりと確立して幸せになる。


そう誓いたい。


夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。