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人生を記号にしない

今回だけ、ライティング・スタイルを変える。今まで読んでくれている人は、読みづらいかも。何の話?いつ答えくる?軸がわからない?となるかも。


脳室:脳脊髄液を満たす4つの部位。左右の側脳室・第三脳室・第四脳室。

脳脊髄液:血液やリンパ液と同じ体液の1つ。脳室で作られ脊髄を伝わり仙骨(骨盤の中央にある骨)に運ばれる。また脳に戻る。

脊髄反射は、5億3000万年前、脊椎動物が脳室と脳脊髄液を獲得した時にはじまった。

脊髄反射は、不随意で受動的なメカニズム。信号が入力されると、反射的に対応する。信号が正しいかどうか吟味するメカニズムはない。

脊髄にも関係する話。よかったら後で読んで。


13万年前。南アフリカの南部海岸線の洞窟群にて。言語人類が生活をはじめた。

洞窟の中で新生児を抱え、最低でも1年は移動しないスタイル。育児のために、閉経後の女性が「家族」に参加。

言語というより前の段階と言えばいいか?。音に関する共通認識。発することと聞きとることの両方。これを発展させたのは、1つは、共同体による育児である。

使うから発達する・不要なら発達しないという話。よかったら後で読んで。


人は、階級的共同性をもつようになり、その優先度は高まっていった。

組織内で立場が上の人が言ってきたことには、内容がどうであれ、従順にしたがうーーなど。

共同体の内外で、誠と嘘を使いわけるようにもなった。

よそ者には誤った情報を渡す。他の共同体を混乱させることは、自らが属する共同体の存続や利益になり得たからだ。

今も、世界はそのようになっている。


私たちは、地球のリソースを減らしてしまった。

争う理由・奪いあう対象は、どんどん原始的なものになっている。水源を確保したいなど。

鈍器で殴りあうのではなく、此度は、先端技術でヤりあうことに。

ヘッケルはこんな意味で言ったのではないが、「個体発生は系統発生をくり返す」か。


“生き残ろう”  として、上の者や自らが属する共同体に、有無を言わずしたがう人がいる。疑問を感じても言葉にしない。反論せずに黙っておく。

自らが属する共同体とは、概念的な意味にも及ぶ。

前述したように。わざと偽情報を混入させることも、人が生き残ろうとして、行ってきたことだったりする。

情報精査の能力うんぬんの前に、そういう根源的なものがある。


ヒトの脳は、たとえばチンパンジーと比べて、大脳皮質が発達している。言語処理や知能構築は、前頭葉で行われているとされている。

ブロードマン氏(1868~1918年)は、ヒトの大脳皮質を詳細に調べた。大脳皮質に、地図のような番地をつけた。それぞれの番地にどんな機能的役割があるかが、その後、明らかになっていった。運動情報の発信部位は4野と6野、感覚情報を受けとる部位は1野と2野と3野など。

このように。大脳皮質で言語処理をするという説は、19世紀になって生まれたもの。それまでは、意識は脳室内にあると考えられていた。

ヘロフィロス(BC335~269年)とエラシストラトス(BC304~250年)は、生体解剖を行って、脳と神経を調べた。中空の管である神経が、脳から全身へ「神経の精気」を運ぶと。

免疫学者のイェルネ氏がいうには、免疫細胞は、モバイル・ネットワークできるように進化した神経細胞だそう。 


と、ここまで、何が言いたいかというと。

時を経れば、常識は変わる可能性があるということ。

今正しいと思われていることは、今までは正しいと思われてきたことにすぎず、明日からはわからない。

科学とはそういうものだ。検証できるのだから、常に、否定される可能性もある。神が「絶対」なのは、検証できないからだ。


なにも、神だけの話ではない。誰にだって、覚えのあることだ。

私が今しているのは、この「誰も触れない2人だけの国」の話だよ。

これできっと、みんなわかるだろう。ありがとう音楽。ありがとう、素晴らしく創造的な人。

スケール最大:世界は、たとえば本当に二項対立である瞬間など、一度たりともない。そう、長年私が思っている理由だ。

スケール最小:外でどんな立派な男性も、家では、パートナーを変なあだ名で呼んであまえている。私調べでは例外はない。笑


イェルネ氏によると

・抗原と抗体はカギとカギ穴のような構造をもつ。
・抗体である免疫グロブリンの形は3つのペプチドモジュールにより決定される。
・B細胞が生みだせる抗体の種類は1千万以上。
・新たな抗原に出会うと、数日かけてそれに対応する新たな抗体をつくる能力をもつ。
・抗体自体が抗原の役割をはたして、別の抗体とネットワークする。

進んだ先で、原点回帰が突如出現するような、なんだか楽しい瞬間だ。


私たちは、記憶をともなわない言葉を別の言葉と、結びつけることができる。

サルトル=実存主義、デカルト=方法序説のように。内容を知らなくても、リンクを覚えることはできる。

その機能で、私たちは、いわゆる受験勉強をしている。

これはとても大事な話なんだ。

私たちは、自分でたしかめてもいないことを、知っているとしている。自ら実験してみたのではなく、タイム・トリップして戦国時代を見てきたのではない。

(無論、実体験で学んだこと以外の話)

私たちは、それを知識などと呼んでいて、自分の一部~大部分だとしている。割合は人による。


あなたの人生はクイズ王選手権ではない。私の人生もだ。言語化なんかできなくてもいい。

あなたが感じた、あなたしか知らない、あなた独自のもの。ココロノイタミやタマシイノヨロコビを大切にしてほしい。

好きに生きないと。この体とこの魂のセットは1度だけ。きっとあっという間に終わる。あなたは、あなた自身の体験をたくさん集めて。