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過労によりダウンした話

事の発端

3月末に移住してきてからずっと。一度も「今日は休憩した!」と実感できる日がなかった。

平日土日祝日問わず、常に家事育児は襲ってくる。やらなきゃならない事の繰り返し。やらなきゃ終わらないし、誰も代わってはくれない(と思い込んでいた)。

特に育児は予期せぬタイミングで一気に同時多発的にタスクが増える。

特に朝は大変だ。子供達と夫を何時までに送り出し、自分も仕事に何時までに行かなきゃならないという各々のタイムリミットを把握しながら、持ち物の準備、朝ごはんの品作り、子供達の相手…と同時進行で毎日が流れていく。脳内は朝一番からあれとこれとそれをどうして…などと考えフル稼働だ。

そういう時に「母ちゃん、あれやって」「これはどうしたらいいの?」「あれはどこにある?」「あっちいくー!」「ジュース飲みたい」「ウンチ出た」「バナナ食べたい」「トイレいく」等と勝手を言いまくる方々(主に子供達と時々夫)。

相手をする時の本音は「めんどくさい!自分でやって!」だ。 もちろん言わないし、小さな彼らにはそんなこと言っても無駄なのだけど。

そして毎日元気でいてくれたなら、それでもなんとかやっていけるのだが、保育園の集団生活に入るとまぁ。貰ってくる、貰いまくる。ウイルスの数々。

治ったと思った翌日にまた高熱、治ったと思ったら、今度はもう片方が高熱…。夜中は熱発でホカホカの子供を抱いて眠り、夜泣きで叫ぶのをあやし、検温して必要あらば座薬を処置したり薬を飲ませたり水分補給させたり嘔吐の処理をしたり…。

昼も夜もあったもんじゃない。

細切れ睡眠、しかも突然起こされるから寝起きドッキリに何度も合うようなものだ。ただでさえ心配だし、子供の体調はいつ急変するか分からない(その代わり回復も早いが)。仕方のないことだし、やるしかないのだけど、体にいいわけがない。

原因

新しい土地で、そんな生活+仕事を3ヶ月続けていた私。

その少し前から、子供達が病気だと分かるたびに動悸がして震えたり脂汗が出て恐怖を感じる様になっていた。

夫には、この負荷がかかったしんどい状態を理解してもらえず衝突していた。一番協力して乗り越えなければならない相手なのに、わかってもらえない(夫なりの理由はあるのだろうが)。敵となり、子供達を守るために神経を尖らせビリビリした状態で過ごしていた。

今思えば、完全にキャパを超えていた。誰も助けてくれない、代わりはいない、子供達を守らなきゃ、でも何で私だけ?理不尽だ…と身も心もガチガチになり不満も溜まり過ぎて苦しんでいた。

その時、私は気づいたら布団に丸まってギャーギャーと喚き叫んで泣いていた。

抑えたくても抑えられずただギャーギャーと叫んで号泣し、しばらくすると手足が震えて痺れてきて、呼吸ができなくなって焦り過呼吸になった。

自分でコントロール出来ない叫びと過呼吸、一瞬死ぬのかもしれないと恐怖を感じた。もうこれはかなりヤバいやつだと判断。周りの勧めや紹介も得て数日入院することにになった。

入院

困り事があったらいつでも連絡してくださいと言ってくれる方々がいて、私は本当にラッキーだったと思う。

本来ならば一から自分で調べて問い合わせしなければならないのに、困った助けて欲しいと連絡したら「ここがいいよ」と教えて下さり、しかも話も通しておいて下さる。迎えてくださる方は「辛かったね」と優しく受け止めてくれる。

こんなこと、普通なら有り得ないんじゃなかろうか。でも、そうしてサポートして下さる方々がいる。言葉足らずで語彙力の無さが悲しいけど、感謝しかない。

無事に診察が終わり、病室へと通された 。

起こるべくして起こったこと

私は以前、第二子出産後にうつ病になった。その時は実家が近かったので子供達を連れて転がり込んだ。あの時は自分が自分でなくなるような、このままでは育児が出来なくなると自分で危機を感じるくらいダメージがあった。

今回は、そうなる前にどうにかしなきゃと足掻いていた時に起こった。夫との関係修復をするのかしないのか、やっていけるのかどうなのか…という極めて誰かに相談しづらいプライベートな問題に頭を悩ませながら、病児看護が無限ループで襲ってくる。

無理もない。と自分でも思う。
起こるべくして起こってしまったこと。

しかし、それがきっかけで私に休息が与えられた。結果よかったのだ、と思うことにする。

少し休んで英気を養い、子供達のフルパワーに対応するエネルギーを蓄えよう。

春からずっと自分自身の身体を労る暇はほぼ無かった。この入院は自分の心身と向き合う時間なのだ。

そして、夫との関係を今後どうしていくのか冷静に見つめ直すいい機会なのかもしれない。

夫は私が不在の間、必然的に家事育児管理責任者を担っていた。子供達の命を一人で守るという重大な役割。本人が「誰でも出来る」と思っている家事は、ごく表面的な部分でしかないことに気づいただろうか。家を回すには休む間もなく大小様々なタスクを次々とやっつけていかなければならないこと。子供達のお世話は細かなタスクで埋め尽くされていること。大人一人で子供達を見ながら家事するのことの大変さ。小さな命を守るというプレッシャー。

本人は「知っている、わかっている」と言うかもしれない。けれど、きっと出来ないこと見えていなかったことの方が多い。特に子供達のお世話は細かく地味だけど大事なものがとてもたくさんある。それを「これぐらいでいいや」と妥協して思考停止するのか、「自分は何にも出来ない」と現実を知るのか。リアルを体験すれば新たな発見も、何かしら得るものもあるはず。そこからの成功体験だってできる。

加えて私は頼りたいけど頼れない、言っても分かってもらえない、自分でやるしかない孤独を抱えてこれらを毎日やっていた。その心理状態やいかばかりかと少しだけ想像力を働かせてもらえたら。

今後も協力して子供達を育てていくならば、夫婦どちらとも家事育児管理責任者としてやれることが必須だ。私一人ではまた同じことの繰り返しになってしまう。お互いの大変さを理解した上で臨機応変に協力体制を築くのが最善だろう。

助けて欲しいと声をあげることの大切さ

今回、助けて欲しいと言えたのは、それまでに何度も何度も「なんでもいいから、何かあったらすぐ連絡して」としつこい程(言い方ごめんなさい)に言ってもらっていたからだった。

あれでもし、何も言われていなかったら多分私は助けを求められず悶々とし、突然爆発して家庭をぶち壊していたかもしれない。もしくは自分が倒れてそのままかも。

「気楽に連絡下さい」「いつでもいいですよ」という言葉は人見知りで真面目な私には貴重だった。

実際にどうしようもなくなって、ダウンした事を連絡するとすぐさま返信があり、あれこれと手配しておいて下さった。

本当に本当に助かった。命拾いとはこのことだ。

泣きわめき愚図りパニクる子供達を抱えて、またはぐったり熱を出し力の無い子供達を抱えながら自分の体調も壊れてしまったら…と思うと絶望しかない。

「いつでも連絡して」という言葉で、暗く深い水の底から救い出してもらった。

助けて欲しいと言えること、助けて欲しいと声をあげることの大切さを今回とても強く感じた。

感謝

だからもう、何度でも繰り返しになるが本当に感謝しかない。

そうやって都度連絡とマメに言葉をかけてくれていたから、「助けて欲しい」と声が出せた。

島の移住者として先輩である方々は自分たちが苦労した分、私たちにできる限りのサポートを考えて実行してくれる。しかも迅速に。もう泣けてくる。有り難い限り。

都市部では、隣の部屋に住む人の顔もよく分からないのが普通だし、もしも何かあったとしてもどう声をあげていいのか分かりづらい。助けて欲しいと言ったところでそもそも不在だったり無視されること理解されないことも多いと聞く。

この島は、そんなことは無い。閉鎖的な部分も確かにあるのかもしれない。でも、人と人との繋がりはとても温かいと感じる。

元々人見知りで人付き合いも下手な私だが、私たちの現状を知って大変な時を支えてくれる人がいる。

私は。今までは気が張って綺麗な島の景色が少し霞んで見えていた。それがクリアになる日も近い気がしている。余裕無く、焦り、もがき、毎日必死で頑張ってきたけど、それだけじゃどうにもならない。

甘えよう、頼ろう、泣き言も愚痴も聞いてもらえる、ストレス発散も体力づくりもきっとできる。私1人で我慢しなくていい。

居心地のよい場所、日々の中に楽しみを見つけていこう。

あれこれと悩みを腹に溜めたまま無理矢理笑うのは辛い。だけどそれを知る人がいてくれるなら、どうにか生きていける。

家事育児管理責任者、1人でやり続けると潰れると分かった。必ず誰かの支えや交代、休息、リフレッシュが必要。身体を壊してしまったら元も子もない。今回のパニックと過呼吸はものすごく怖くて辛くてしんどかったけど、それを教えてくれた。

してもらった恩を忘れずに、痛い目を見たこの経験を糧に、今は積極的に休養してゆっくりして、また笑顔でお母さんをやるんだ。

今回の件で学んだこと

・何かあった時に頼れる先を確保しておくこと
・何でも自分1人で抱え込むのはやめる
・誰かの理解が得られないなら、他に理解してくれる先を見つけること(分散化)
・辛いとき困ったときは躊躇わず助けて欲しいと伝えること
・パニック号泣過呼吸は、ビリビリ緊張状態から一瞬気が抜けた時に発生する
・誰にどう思われようが自分のピンチの時は関係ない
・私の辛さに寄り添ってくれる人はいる
・心の余裕、体力づくりも少しずつする時間を取る
・私は弱く繊細である、真面目すぎる責任感が強いから自分で自分を苦しめる。だから無理なくがんばらない。日々の生活に楽しさを見つけながらのほほんとやるくらいがちょうどいい

2018/06/16 Sunao

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