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down the river 第三章  第一部〜不浄⑤〜

ユウにとって浦野と婚約者の情事の始まりを見て、行為の声をまともに聞いてしまった事はトラウマの様になってしまっていた。
ユウは浦野の顔を頭に思い浮かべるだけで胸が張り裂けそうになり、婚約者の顔を思い出す度に暴れだしたくなる様な悔しさで気が狂いそうになるのだ。

『ヒデに話をしないと…改めて謝りてぇ。あいつはさと美の事が好きだったんだ。そしてその身体に触れる事無く…。』

ユウは迫島の痛みを想像するだけで涙が溢れそうになった。

『触れる事無く…俺という音楽のパートナーに奪われた…。さと美の事、好きでもなんでもない…と、と…思っていた、自分の音楽のパートナーに…。ぐぅぅ…俺は…俺は!なんて事を…!してしまったんだ…。』

ユウは布団の中で下唇に歯を立てて、その痛みで気が狂いそうになるのを必死に耐えている。
しかし耐えれば耐える程、まともに見ていないが浦野と婚約者の情事を思い浮かべてしまう。
苦悶の表情で大股を開き、その表情に反した喜びに満ちた声を上げ、内臓の奥までしっかり観察されている浦野の姿を思い浮かべてしまう。

『こんなに苦しいのに…こんなに悲しいのに…結局これか…バカなのか俺は…』

ユウはパンツの中に手を入れるとそそり勃つ自らの男性の象徴をしごき始めた。
苦しさの中でもしっかりとその欲にだけは身体が自然と反応する。

『苦しいのに…悲しいのに…で、でも…さと美…手が止まらない…』

「ウゥッ!」

絶望的な苦しみと痛みの中で味わう肉体的快楽は想像を絶するものでユウは数秒で絶頂の証を手の中へぶちまけた。

・・・

「おはよっ!1年生!」

「んぁ?う?えぇと?」

「こないだ教室来たでしょ?もう忘れたの?」

「あ、すいません…えぇと…真理さん、真理さんですね。」

「そうそう、犬塚真理。私、犬塚真理。」

「あ、あぁ犬塚さん…すいません、いきなり先輩を名前で呼んでしまって…。」

「別にいいよ。真理で。名前で呼ばれるの嫌いじゃないし。」

校門まで後数メートルの道端で真理がユウに話しかけてきた。

「新田ってなんかいっつも元気無いね。どしたの?」

「え?そ、そう見えますか?」

『こ、この人…』

ユウは真理の魅力を垣間見た気がした。

『名前で呼ばれるの嫌いじゃない…ってそんな言い方されりゃ俺みたいな勘違い馬鹿はすぐその気になるだろうが…しかも何?いつも元気がない?いつも見てんのかって話よな…。いつも見てる…だとしたら…って俺みたいな馬鹿は勘違いするんだよ。』

真理の意識していない、天性の距離感の無さにユウは朝から目眩が止まらない。

「見える。胸を張れよ!新田!じゃぁね!」

「痛っ…」

真理は思い切り振りかぶるとバシッと強くユウの背中を叩いた。
ユウは走り去る真理の美しい髪を見つめながら、ジンジンと湧き上がる背中の痛みを反芻し、味わった。
ユウは一貫したノソノソと鈍い動きで歩き続けて教室に着くと、自席にゆっくりと腰を下ろした。

「ふぅ…。」

ひと息つくとユウの頭の中に肩を震わせている迫島の姿が浮かび上がった。

『きっと、ヒデは俺の何倍も、何倍も辛かったはずだ…謝らなきゃ…すぐにでも謝りたい…』

今のユウの心は、何があっても何も無くても迫島へ謝罪することしか無い。
ユウが迫島と同じ状況であれば一瞬で正気を失ってしまうだろう。
ユウがあれこれと思考を巡らせている間に朝のホームルームが始まった。

「新田…おい!新田!」

「え?ハッはい!はい!」

ユウのクラス担任が突然怒鳴った。

「なんだ、眠たいのか?」

「いや、その、はい、大丈夫です。」

「このクラスで部活に入っていない人間は…お前だけだろ?」

クラス担任である小柄な男性教諭はやや強い口調でユウに迫る。

「はぁ、そう…ですか…ん?そうなんですか?」

ユウの間の抜けた返事にクラス担任は右手の平を自分の額に当てて上を向いた。

「おいおい、新田、大丈夫か?俺の話は聞いてたのか?どうせ聞いてないだろうからもう一度言っておいてやる。生徒会がやってるボランティア活動に参加出来る人間の出動要請が来ているんだ。お前も知っていると思うけどうちのクラスは部活動で優秀な奴らが集まっているんだ。そいつらは学校に貢献している。お前の様に部活に入っていない人間も何らかの形で学校に貢献するべきだと俺は思う。ここまで言えばもう何が言いたいかわかるだろう?」

『随分とまぁ馬鹿にした言い方だねぇ…。逆らったらだるそうな奴だから従うけどさ…。』

「はぁ…それに参加して学校に貢献しろ…と。」

「そ、頼むよ。今日の放課後早速ミーティングがある。第2生徒会会議室に行くんだ。いいな?」

「きょ、今日で…すか?」

「なんだ?行けないのか?」

クラス担任は目を細めて威圧する様な口調へと変わった。

「はぁ…いいスよ。大丈夫です。」

「んじゃ頼む。」

クラス担任の満足そうな顔を見てユウは大きくため息をついた。
そしてため息を吐き出し終え、辺りを見回すと、ユウはもう一度大きく、深いため息をついた。

『何を見てやがる、この連中は…。いじめたり絡んで来ないだけマシだとは思うが…。むかつく顔してんなぁ…。』

クラスメイトはほぼ全員、同じ顔をしていた。
ニヤニヤしているとまではいかないが、嘲笑うかの様な、笑っているか笑っていないか線引が実に微妙な顔つきだ。
それは実に機械的で無機質な顔つきで、ユウの目にはとてつもなく不気味に、そして腹立たしく見えたのだ。

『ああ、中学校は色々あったけど仲間がいたからな。楽しかったよね。クソッ。それに比べて…ここはだるい奴らばっかりだな…。』

「チッ…」

ユウは思わず小さく舌打ちをした。

「あ?なんだぁ?新田ぁ、お前今…」

クラス担任は急に怒りに満ちた口調で話し始め、ユウを睨みつけた。

「なんですか?」

「舌打ちしたろ。」

「してません。」

「お前以外誰がいるんだよ。え?」

「わかりました。僕で構いませんよ。すいません。」

「なんだ?お前その態度は。あ?」

ユウは自業自得とはいえ、様々な事が重なって精神的に追い詰められてしまっていた。
その状況下で更に追い詰めてくるクラス担任に対してユウの心拍数が一気に上昇し、全身の血管にほぼマックスの血流が流れ始めた。
普段臆病で争いを好まないユウも今は通常の精神状態ではないのだ。
沸点が低くなってしまっているのも仕方が無い。

「普通に受け答えしてるんですけど。態度悪かったですかね…。もしそう見えたのならすいませんでした。」

「お前…舐めてんのか?」

ユウは別に不貞腐れているわけではない。そしてそう見えるわけではない。
クラス担任は明らかに目の敵にしている。

「…。」

「おい!」

ユウはため息をわざとらしくつくと目を合わせずに、心底呆れた様な口調で話し始めた。

「普通に受け答えしても態度が悪いって言われるし、謝ったら舐めてんのかとか言われるし…ホントにまぁ…。」

「おいこら!てめぇ!!」

「先生、僕はどうすればいいんですか?」

「あ!!??」

「どうすれば許してくれますか?どういう態度で先生と話をすればいいんですか?従います。教えて下さい。」

「てめぇすっとぼけてんじゃねえよ!!」

クラス担任もすっかりその気になってしまっている。
大声で叫びながらユウの席へとズンズンと足音を立てて近付いてきた。

「大声出してごまかそうとしてもだめです。」

「おい、コラ。あぁ?」

クラス担任はユウの胸ぐらを掴み、席から立たせ様とした。
教室内の雰囲気が一気に張り詰め、教室内全員に緊張が走る。

「大声出してもだめだって。先生。どうすればいいんですかと聞いてるんです。」

「おい、コラ…」

クラス担任は小声で呟やくと拳を握り締め、ユウの顔面に振り下ろそうと腕を振りかぶった。

「ほら、馬鹿はそうやってすぐ殴って黙らそうとするんですよね。殴るんですか?僕が舌打ちをした証拠も無いのに?僕が舌打ちをするはずだって思い込んでる。っつうことはさ、自分は舌打ちされる様な事をしてるし、言ってるってわかってんでしょ?」

「お、い、ゴラ…て、め、…こ、高校は義務教育じゃねえんだ。辞めさせても、い、いいんだぞ?」

クラス担任はあまりの怒りに呂律が回っていない。

「はいはい、言い返せない、殴れないってなったら今度は脅迫?バカバカしい…帰るぜ…。俺は中学校の時、先生には想像もつかないくらいとんでもない目にあってんだよ。大人に2、3発殴られたくらいで黙るかよ、ボケ。」

『フン、引っ叩かれて、ビンタされて、皆からレイプされて、オマケにカッターで尻を斬られて奴隷になってました…なぁんて言えないけどね。クソ、ムカつく先生だなコイツは。帰ろ。まぁ舌打ちしたの僕ですけど…ハハハハ!』

ユウは心の中でも悪態をつくと、胸ぐらを掴んだクラス担任の手をバシッと強く払い除けて鞄を手に持った。

「待て。新田。どこへ行く?」

「帰るって言ったはずですけど。暴言吐いて、殴ろうとして、しかも脅迫する様な教師が担任じゃたまらんわ。」

「待つんだ。脅迫したことは俺が悪い。」

「何を今更…。義務教育じゃないんでしょ?」

「そうだが…おい、お前達、少し待ってろ。」

クラス担任は生徒全員に待っている様に指示すると、ユウを睨んだ。

「ちょっと来い。」

「断ることは出来るんですか?何をする気ですか?殴るんですか?馬鹿なんですか?ホントにあなたは…」

「うるさい!来い!それに馬鹿だと!?お前いい加減にしろ!!早く来んか!!」

「はいよ。」

ユウは自分でもなんでこれ程苛ついているのか分からない。
クラス担任の背中を見ながら自分の吐いたセリフにデジャヴを感じて足を前へと進めた。

『何を苛ついてんだろ…俺…殴られんのかな…俺…嫌だな…ヒデ…タカちゃん…お前らに会いてぇ…。』

ユウは絶望的に暗いため息をクラス担任の背中に向かって噛み付く様に吐き捨てた。


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