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連載小説 【 THE・新聞配達員 】 その78


78.   オレンジ・ブロッサム


土曜日だ。
今朝の朝刊が分厚すぎた。しかも雨だ。
いつもよりも時間がかかってしまったのだ。
ご飯もかき込んだ。
忙しさに火照った体が静まらない。
今日は寝ずにコンビニに向かった。


面接した日が土曜日だったから
今日で、ちょうど1週間が経ったようだ。
もうフラフラだった。


私はまだ生きていた。店長も。


しかし今日は人が全然居ないぞ。
どうなってるんだ?
まるで別のコンビニに来てしまったかのようだ。
閉店かな?
店長が奥の部屋で座っていたので聞いてみた。


「土日は暇なんだよ。じゃなかったら俺とっくに死んでるよ。そうだ!休みをいつにするか決めてなかったね。土日は暇だから休んでもいいよ。お店としても月曜から金曜でお願いしたいしね。」


「わかりました。そうします。では今日はこれで失礼します。」


「いや、今日はせっかく来たんだから入ってってよ。その分、今日ひとり休んでるしさ。」


「はい。わかりました。」


最初で最後の土曜の勤務になりそうだった。
お客さんも少なく、棚に並べる商品の数もかなり少なかった。
すっかりやる事がなくなってしまった私。
まだ1時間しか経っていない。
時間を持て余す。
なぜこんなにも時間が過ぎるのが遅いのか。


「次、何しましょう?」


店長は机で書類とにらめっこしていたので
レジの女の人に聞いてみた。


「そうだなー。カップ麺が少なくなってたから補充してほしいんだけど、
地下に取りに行かないといけないんだよねー。地下わかるー?」


「ち、ちか?」


「店長ぉー!ちょっと地下行ってくるからレジお願いしまーす!」


「うぃ。」


しゃっくりのような返事が聞こえたので、
ふたりで地下に行くことになった。


お店の外に出てすぐ隣の入り口から中に入ると
本当に地下に降りる階段があった。


「こっち。」


ドキドキしながらすぐ後ろをついていく私。
階段を降りたら薄暗い地下室が現れた。


ダッダッダ。


広い!
お店くらいある広さの倉庫になっていた。
棚には商品が入ったダンボール箱がいっぱい並んでいる。
床にもいっぱい箱が置いてあった。



地下室の真ん中にはテーブルと椅子も何脚か置いてあって
ポットやらコップやらが置いてある。


どうやらみんな
ここで休憩しているようだ。


なんだ、ちゃんと憩いの場があるではないか。
あんなお店の狭い通路じゃ休憩できないと思っていたんだ。


テーブルの上に見慣れたお店のお弁当が
何個か置いてあるのが見えた。
カルボナーラ。
きのこのスープスパ。
ペペロンチーノ。
ギリギリ最後まで棚に残っているタイプのお弁当たち。
お弁当ランキングの順位が分かってきた私。


あれ?おかしいな。
いつも売り切れるのになんであるんだろうと思って
じっとテーブルの上を見ていたら、後ろからお姉さんが説明してくれた。


「あ、そのお弁当、今日のお昼でもう消費期限が切れるのよねー。お弁当が土曜は余るのよね。良かったら持って帰る?」


「えっ?いいんですか?」


「2個でもいいよ!若いから食べられるでしょ?ふふふ!
あ、お菓子も持って帰る?これは内緒だけどね。えへへ。」


普段見られない、その女の人の笑顔に
思わずグッときてしまったので、
お礼を言うのを忘れてボーッと突っ立っている私。



ふたりきりの地下室。
なんかふたりで悪いことをしているみたいで
ドキドキしてきた。


次は何をするんだろう。


でも念願の夢だった【余ったお弁当持って帰る?】
の体験は実現した。


なんかスッキリしたな。
これを経験しておかないと
コンビニでアルバイトしていたとは誰にも言えない。


これでもういつ辞めても思い残すことは・・・あった!
まだ目標金額までは遥か遠い道のりだったのだ。



ちょうどその時、
入り口から雨上がりの地上の光が入ってきて
お姉さんのニコっとした顔がまばゆく光った。
そして風がお姉さんの少し汗ばんだ香りを
私の鼻に運んでくれた。


優しくて温かい光に包まれた光景と、
この香りには覚えがある。同じ匂いだ。
この何とも言えない甘酸っぱい香り。
まさかこんな所で、この香りに再会するとは思っても見なかった。
ふっと小学生のあの時の事が脳裏をよぎる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それは放課後の放送室に女子と二人きりになった時のことだ。
同じような、優しくて温かい光に包まれた光景と
甘酸っぱい香りに出会った。


小学五年生の私の
放送委員の仕事はとても簡単で、
ただ放課後に学校に残って放送室に行き、
下校のアナウンスが入ったカセットテープを10分間流すだけだった。
一人でも出来る。


でもその日は、
宿題を済ませてから帰りたいから残るという理由で
同じ放送委員で同じクラスの女子と二人で残ることになった。
それに私一人では心配だとも言われた。
頼りなさが私の取り柄だった。



15時30分。
もう職員室の先生以外は誰も居ない時間。
そろそろ太陽がオレンジ色に眩しくなる時間。


「失礼しまーす!」
「失礼しまーす!」


ふたりで一緒に職員室に入って先生たちに挨拶をして、
先生の机の間を通り抜けて、
職員室の一番奥にある放送室のドアを開けて入って
すぐにドアを閉めた。


窓のない防音室。
3帖くらいの密室。
立派な機械があって
かなり狭い。


机も一つしかない。
私達は、その机の右と左に
折りたたみのパイプ椅子を広げて置いた。
私は右に、彼女は左に。
一つの机を半分ずつにして向かい合わせに座ってから、
宿題を広げる私たち。


椅子に座った。とても近い。
でも顔を見ることもせず、話すこともせず、
黙々もくもくと自分の宿題をやっつけに掛かる私たち。



教科書の文字がよく見えないな。
でも顔を教科書に近づけようとしたら
頭と頭が、ぶつかってしまう距離だ。


彼女がもうすでにノートに顔を近づけて書いていたので
私は姿勢良く顔を上げたまま。
目線だけを下に向けて宿題をしていた。


文字がよく見えないな。
顔をノートに近づけて書きたいな。
でもそうすると頭と頭がぶつかるな。


そう思いながら宿題をしていた。
少し首が疲れたので、ふと目線を上げた。
私の目の前には彼女の頭のてっぺんの
髪の毛のつむじだった。


近いなぁ。
頭皮までもが見える。髪の毛の奥の部分。
まるで草をかき分けたら見える土のよう。
こんなに髪の毛の根元が白いだなんて。


ん?
いい匂いがするなぁ。
シャンプーの匂いかな。
ちょっと違うような気もするなぁ。
甘いような酸っぱいような、
何とも言えない感じだ。


それとも服の匂いかなぁ。
洗濯の洗剤とかなぁ。
あー。
あの香り付きの消しゴムの匂いかもしれない。
違うかなー。なんなんだろう?
あー。気になるなー。
どわっ!!


突然彼女が頭を上げた。
ものすごい近い距離で、その大きな瞳で、
こっちを見て私の目をじっと見た後
すぐに私の右手に視線をずらしてから彼女は言った。


「さっきから全然書いてないやん!
書いてる音聞こえへんで。寝てるんかと思ったわ。」


「あ、いや、そろそろ再生ボタンを・・・」


私は顔を左上に向けて時計に目をやった。


「まだ10分前やし・・・」

「ちゃんと、テープ、入ってる、かな?」


「入れたし・・・」


私は立ち上がって大きな機械のほうに移動した。
ぎこちない動き。ぎこちない会話。
まるでブリキのロボットになったかのよう。
こんなにも近くて他に誰も居ない空間に女の子とふたり。
そのことが頭から離れないでいた。


彼女は、そのつっけんどんな言葉とは裏腹に
まぶしい笑顔で私のノートを読んでいる。
目がキラキラしている。


「うわ、宿題まだ全然やってへんやん。
まだノートも・・・なんも書いてへんやん!まっしろ!」


彼女の白くて襟が少し女の子らしい形の長袖のシャツ。
膝くらいまである黒いスカート。
膝の下からは長くて白い靴下。
そして私と同じ上靴。


黒いスカートと白い靴下の間に
少しだけ見える彼女の肌に目線がいってしまう私。
無意識に。
何度も。

一文字も書いていない私のノートと
一回もまばたきしない私の目線の意味に
なんとなく気が付いたのか急に無口になる彼女。


そして、
黙ったまま机の上の宿題に戻る彼女。
でも鉛筆は動かなかった。
問題を考えているような仕草。
甘酸っぱい匂い。


どうすればこの甘酸っぱい匂いを持って帰られるのだろうか。
私からも出ているのだろうか。
自分の肩の辺りを鼻を近づけてみた。
いや、出ていない。


やっぱり彼女の匂いだ。


ずっと匂っていたい。
だめだ。そんなこと誰にも言えない!
これ以上この空間でこうしていたら
気が変になってしまいそうだ。
早く帰りたくなってきた。
いや、早く外に出たかった。
ずっとこうしていたいのに、
早くこの場から逃げ出したかった。


彼女はきっと私が自分をずっと見ていることに
気が付いている。
そしてその意味も。


その意味を、私たちは言葉にも気持ちにも態度にも
絵にも詩にも日記にも・・・
どんな形にもすることは出来なかった。


もし出来たとしても・・・・
いや、出来ない。
なんとなく、いけないことのような気がしているから。


何かしたいのに、何も出来ない。
もし、してしまったら・・・
何かが終わるような気がして、怖かった。
そう怖いのだ。
だからじっとしている私たち。
何事もないように。
プールに飛び込めずにジャンプ台に立ったままの私。
ここでずっとプールのかぐわしい香りを味わっていたい。


真っ白な頭のまま自分の椅子に座って
宿題に戻ったふりをした私。


こんなにも大きい瞳。ふくらんだ胸。彼女の鼻息。
黒くてツヤツヤの髪。真っ白くて透き通った頭皮。ふとももの肌。
すっかり緊張してしまって唾を何度も飲み込む私。
もう何も考えられない。


目の前の彼女がどんどんと汗ばんでいくのがわかった。
甘酸っぱい匂いが強くなってくる。
彼女にしか出せない香り。



彼女は下を向いたままで、
ノートと教科書を見たままで、
鉛筆を右手に持ったままで、
目には見えない心と香りだけを動かして、
私がどうしたいのか探っているかのよう。


ん?
そうか!
私がこんなにも彼女の顔を見ているのに
彼女は何も言わずにうつむ加減かげん


わかったぞ。
きっと私たちふたりのしたいことは同じなのかもしれない。
私が勇気を出して何かをするのを待っているのだ。
ただそんな気がした。
でも、いったい
何をすればいいんだ?


ドンドンドン!


ドアをグーで叩く音で心臓が少し停止した。


ガチャ!

ドアが開いて先生の顔が入ってきた。


「おい。放送はまだか?もう4時過ぎてるぞ。」


時計を見た。
16時05分だ。


「あっ!」
「あっ!」


私は急いで立ち上がって機械の再生ボタンを押した。
3秒間くらいジーっという音が流れた後、
やっと音楽が流れ始めた。


「二人とも宿題に夢中になってました。すいません。」


椅子に座ったままの彼女が鮮やかな言い訳をしてくれた。


「おー。宿題してたのか。えらいな。
しかし、なんだこの部屋は!暑いな!職員室はもう先生以外誰も居ないから、音漏れてもいいから、このドア開けとけ。」


「はーい。」


彼女が大人に見えた。
すごく冷静だ。
さっきまでの何とも言えない雰囲気の彼女は
もうそこには居なかった。
いつもの同級生だ。


10分後、テープは終了して
私たちは宿題をランドセルにしまった。



ふたりで職員室を出て
廊下を歩いて下足箱まで歩く。


上靴から自分の靴に履き替えて
校舎を出る。


私はずっと彼女の後を歩いている。


校舎を出た瞬間、眩しくて目を薄めた。


夕日がグラウンドを本物のオレンジ色に仕上げていた。
いや、世界中を見事なオレンジ色にしているのだと思った。


太陽の方角から吹く風が
私に当たる。
太陽と私の間にいる人の香りと共に。


「じゃあね、ばいばい。」

「うん。じゃあ。」


私は通用門から出るつもり。
彼女は正門から出るつもり。


私たちは別れた。


オレンジ色の学校からの帰り道。
窓のない放送室の小さい机の下の
白くてむっちりとした太腿と
甘酸っぱい香りを思い出してしまう。


いろんな人と行き違ったけど
意識はまるっきり放送室の中に
取り残されていた。


普段は口うるさい母親のような彼女が
一言も話さずにじっとしていたっけ。
本当に私が何かするのを待っていたのだろうか。
答えはもう分からない。
でもそんな気がする。
なぜか自信があった。
でももうどうしようもない。



あー。あの時間が忘れられない。
家に着いた。


「ただいまー。」

「おかえりー、遅かったね直樹」

「・・・ちょっと、おしっこ漏れそうやから、トイレ・・」

「もうおやつ食べたらあかんで。もう晩御飯やからな。」


噛み合わない会話と背中の
ランドセルを床に下ろしてトイレに駆け込んだ。
ねばねばトロッとした小便が出た!
びっくりした。パンツがカピカピになっている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今ならどうすればいいか分かる。
勇気を出せなかったとしても。


いや、勇気を出せずに何も出来なかったとしても、
家に帰ってから何をすればいいか分かる。


あの時は分からなかったなー。


もし今、私があの時と同じ状況になったとしたら・・・
ああして、こうして、どうしてくれようか・・・


あれ?なってるのか?今の・・・
この状況は・・・あれか?


かなりそれと近い状況になっている。
レジの女の人はもう用事はないはずなのに
まだここにいる。
棚の上のカップ麺を取り終えて、
今度は棚の下の物をしゃがんで覗いていた。
ジーンズのおかげでお尻の形がはっきりとわかる。
たまらなく良い形。なんでこんなにも良いのだろうか。



ずっと見られていることに
気付いているはずの女の人は
私に一つも指示をしないで
ずっとお尻の形を見せつけてくれていた。



もしやこれは!
同じ状況では!
私が何かするのを待っているのだな!


私の勇気の出し待ち。


今はハタチ。
何をしたらいいかは分かる。
簡単だ。


あとは勇気だけだ。


勇気。
勇気。
勇気。



でも怖い。
なんで怖いのだろう。
なぜ勇気が必要なのだろう。


何も考えずに、
さらっと手を伸ばして彼女を抱きしめてしまえば
良いのではないか。


ダメなのだろうか?
良いのだろうか?


ダメなのか?
いいのか?


ダメか?
いいか?


ダメか?
いいか?


ダメだ!
『いい』と言われても
なぜか手が動かない!


なぜ手が動かないんだ!
おい!
早く答えてくれ!
ジーンズ越しのお尻よ!

その時、
地下室の入り口から店長の声が聞こえた。


「おい!まだか!早くレジに戻ってきてくれ!」



「先生!」


「おいおい誰が先生だよ。俺そんな賢くないぞ。
さなだくん。」


クスッと笑いながら、
床すれすれに居たお尻が上に持ち上がった。


「じゃあ、これ持ってくれる?さなだくん。」


「はいっ!先輩!」


「はははっ!なんか学校みたいで楽しいね!」


レジの女の人から渡されたダンボール箱を持って
階段を上る。


私が先に歩く。
先輩は後ろだ。
風は店長に当たってから
私の鼻に潜り込んでくる。


甘酸っぱい香りがする!
なぜだ!


ひょっとして、これかな?



私は持っていたダンボール箱に鼻を近づけた。


くんくんくん。


これだった。
この箱に女の人の甘酸っぱい香りが
付いていたんだ。


くんくんくん。
この箱を持って帰りたい。


「ねえ、なに匂ってるの?ラーメンの匂いでもするの?
お腹空いてるの?きみ、なんか面白いね!」


「あ、ありがとうございます。」




こんな土曜なら毎週出勤したい。
いや、毎日こうならないものだろうか。


きっと私の中の花を見事に開花させて
オレンジブロッサムに囲まれる毎日を
送ってやるぞ!


その前にまずは、
このラーメンのダンボール箱を
どうやったら見事に持って帰られるか
考えよう。


〜つづく〜


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真田の真田による真田のための直樹。 人生を真剣に生きることが出来ない そんな真田直樹《さなだなおき》の「なにやってんねん!」な物語。

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