「足を引っ張る人」の原理


これは多分、相対的勝者のマインドがある。
「コイツよりは俺が上!」と、軸足を他人に置いているのだ。
彼等は対象が優位な部分を見せた場合、眼が充血して潰しに来る。
傍目にわかるくらい理不尽な過剰反応を示す、虐待する。
多くの被害者はこの「相対的勝者」より優秀だろう、子供であってもだ。
下位と定義された対象が想定外の有能さを示すだけでスイッチが入る。
序列を脅かす、ポストを奪われる危機を感じるのだ。
「アルジャーノンに花束を」「ゴリラーマン」でも描写されてる状態だ。
こういうのはおそらく論理ではなく野生の本能だろう。
群の中での序列により、自分が下位に落とされ、淘汰される恐怖だ。
その為に対象が優秀だとそれが事実上無関係な相手であっても
ポストを奪う突き上げと感じてしまうと。
この相対的勝者のマインドになると、現実を受け付ける状態ではない。
いわゆる「憑き物」の状態になる、正気を失う、理性を失うのだ。

自分のアイディンティティ「相対的優位性」が破壊される恐怖。
もし対象がこの突き上げを完了した場合、彼等はいつも異常行動を取る。
自分の軸を喪失し、一体自分が何者なのかが判らなくなるようだ。
ノイローゼ、精神を病んだりする、つまり「病み状態」になる。
実際そういう人間を何人も観て来たし、
彼等は負けず嫌いであると同時にいつも敗北主義者である。
「絶対勝てる相手」「絶対勝てない相手」をアイコンとして認識している。
他人を無関係と思えばこんな心理に陥らずに済むのに、依存故になると。
相対的に自分を評価しなければいいだけなのに、迷惑な物だ。
まぁこれが国民すべてがくらってるカルト洗脳だろう。

上下の力学で判断し、思考しない、「他人軸」の人間。
これは暗記学習による物事の記号化、イチゼロ思考と、
閉鎖コミュニティに於ける生存戦略によると思われる。
学校における固定された関係性、クラス分け、ランキング。
流動しない核家族化の閉塞感の中での力学、関係性。
箱庭のブロックパーツの複合体、これにより愚民管理社会が出来る。
思考スパンの短い視野狭窄、想像力の無いファッション文化が出来上がる。
思考停止の権威、肩書、学歴主義、アイコン化によるカースト制がある。
差別、村社会、村八分、イジメ、虐待、垂直思考、序列。

足を引っ張る人というのは依存者であって永久的に対象と自分を紐づける。
かつてのイジメ相手を老人になっても引きずる、下位と固定する。
彼等は序列を破壊しない限り、意識的、無意識的に永久に足を引っ張り続けるだろう。
何故ならそうしないと自分を見失ってしまうからだ。

植村直巳さん、冒険家の方々、発明家、研究者、作家、クリエイター。
みな閉塞したコミュニティを嫌い、村社会を嫌い、同調圧力を嫌い、
自他の紐づけによる束縛から逃げる様に生きている。
関係性を固定された瞬間、心の自由を、選択肢を奪われてしまうからだ。
意味の無い足の引っ張り合いに付き合わされてしまうのだ。
人為的なコントロール下で自由を感じるのは極端に鈍い人種だけだ。
弱肉強食の共食い社会で平穏を感じるなら捕食者側にいるからだ。
あてがわれた価値観に踊らされるのは、主体が無いから踊るのだ。

いかに戦後の学校教育がバカ生産工場になったか、社会崩壊に貢献したか。
なにしろ賢いハズの医者が患者にマウント取る、見栄を張るくらいだ。
賢い人間が下を求める事はあり得ないのだから、元から領分が違うのだ。
強いハズの親が弱者である子供に一体何を要求するのか?
こうなるともうバカじゃないと生きられない。
この愚者優遇政策、知的弱者が優遇される社会構造は自分が思うに、
ある種の誰かの帝王学なのだろう、あまりに上手くいきすぎている。
強者の支配を甘受し、また自分も支配する、搾取する。
皆が下位を求め、他人に求め、足を引っ張り続け、下降する。
加害相手が居なくなれば、次は自分の番だという事も気付かずに。
本来なら知的強者の筈だった民族がここまで愚かに改造されるなら、
これは何者かの実験、計画、ヒトの家畜化、奴隷化のような気がする。
敵におもねり味方を攻撃、迫害する。
「味方は反撃しないから」と安心を確認して痛めつけようとする。
人を必要としながら人を失う、食肉にする、共食いする。
欲しがるほどに失ってゆく、損をする、消費する。
それにより自滅する小説「蜘蛛の糸」の世界、やがては家畜人になると。

洗脳された滅びのマインド、依存者達により弾圧されているのが、
人間の社会的向上の突破口になる突然変異体、ミュータントだろう。
これがHSP、スターシード、オピニオンリーダー遺伝子が発動した個体だ。
彼等が弾圧されない生存環境を整えさえすれば、
未来世界の偉人になり得る人材が同時多発で現れるはずだ。

旭川のイジメ、悪魔祓いと称した虐待、公開処刑されたジャーナリスト、
みなこの愚者優遇構造によって潰された救世主候補だったように思う。
本来なら彼等だけを集め、自由にやらせれば様々な可能性が広がった筈だ。
主体が顕現した彼等は間違いなく足の引っ張り合いなんてしないのだから。

被虐待者を集め、障碍者施設から適合者を抜擢して行けばそれが出来る。
疎外された彼等は他人と競わないがゆえに優秀なのだ。
ガンダムにおけるニュータイプの共感力、視野の広さはこれだろう。
しかし現在の価値観だと愚者の慰み者としておもちゃにされるだけだ。
皆が社会の異分子として、本当の変質者の序列主義者に食われてしまう。
血走った眼と薄笑いの愚者に食い物にされる、潰される、排除される。
価値の一元化はフラットな人間を許さない、カテゴライズして差別する。
主体の無い人間達は主体のある人間を許さない。
ケモノ達による残酷ショー、いつまでこれを見せつけられるんだろうか?

彼等の地位を確保し、競争の無い環境を用意すべきだ。
世の中が汚泥である以上、そこに本当の人間が住める訳が無い。
人が退化するほどに、機会は失われていく。

※自分としてはこの辺しつこく擦って浸透させたいので、
「同じ事を言うな!」と難癖付けられても言い続けるつもり。

おしまい。

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