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両親と行ったスタバで祖母の知らない一面を聞いた日-すずころ日和 先祖-


先日のラーメンの帰り道、父と母とスターバックスへ寄った。

70歳を超えた両親。
こうやって親子3人でゆっくり話すのも「親孝行」だなんて思うこの頃。

コーヒーを飲みながら父の昔話を聞く。
話題はいつのまにか祖母、つまり父の母のことへ。


祖母は私が30歳過ぎまで生きていて、90歳過ぎて亡くなった。

わたしが小さいころはヤクルトレディ、そして競輪場の券売り場で働いていた。
国内外を旅行し、服はデパートで買う。
趣味は歌と踊り。時にはオーダーの服も作りって大きめの宝石も身につけて。
小柄だけどふくよかで色白で肌がとてもきれい。
明るい色を身につけた、おしゃれなおばあちゃん。

それがわたしの祖母の印象だった。

60歳後半に脳梗塞で倒れてしまい、右半身に麻痺が残った。
活動的だった祖母が、動けなくなる辛さ。

それでも、祖母はえらかった。
リハビリを繰り返し、左手でお箸の練習や文字の練習もして。

自宅に戻ってからも字の練習。毎日、日記を書いては
「これ見て」
と、行くたびに日記帳を見せてくれた。大きなマスの学習帳。
はみ出さないよう気をつけて、一文字一文字書いていく。
最初はよれよれのひらがなが、数年後には漢字もかけるようになり。
年賀状も祖母の手書きが届くまでになった。

もちろん「あの時に早く病院にいっておけば」とグチをこぼすことはあったけれど。
「ばあちゃん、また上達したね。ほんとすごいよ」
そう声をかけるのが毎回だったけれど、これは本音だった。
「もう年だから」と投げ出さず、黙々と取り組む姿は素直にすごいと思った。

そんな、わたしのばあちゃん。

父が小さい時からどうやら働いていたらしく。
近くの惣菜店で揚げ物をしたり。玄関先で貸本屋をしていたり。
そして、極め付けは2階を増築して4部屋ある内の3部屋を貸していたとのこと。

すべて初めて聞く話。

もちろん時代もあったのでしょう。今でいう下宿なのかな。

ただ、わたしの知っている父の実家=祖母の家。
とても大きいとはいえません。

貸していた内の1部屋はたった3畳。
残りも4・5畳。本間ではあったらしいけれども。

これには母も驚いていた。(父と母は1歳違いなだけ)

1階に親戚を含め2部屋と台所。ここに7人で普段生活していた。
2階に増築した4部屋のうち、年頃になった父と2歳上の姉が1部屋を使う。
残りの2階の3部屋は貸す。

すっご( ゚д゚)

じいちゃんも働いていたし、同居していたひいばあちゃんはちょっとしたお金は持っていたようだけれど。
(ひいばあちゃんはひ孫全員に一律1万円のお年玉をくれる神でした。)

ばあちゃんって、たくましかったんだ(°_°)

知らなかった。子ども3人、自分の親、じいちゃんは養子。
10代は戦争真っ只中。
色々苦労もあっただろうけれど。

人生の後半は、自分の稼いだお金を服や宝石そして旅行、趣味に使って華やかだった。

ヤクルトは個人事業主。貸本は小さい父をつれて「貸本交換市」に行ったりして仕入れしたり。家を増築したのも貸すためだったでは?との話。

ばあちゃんは商売気もあったんだ。そしてなにより、自分が暮らす家で他人に部屋を貸す度胸。

知らなかったなあ。

母が「納得した」と言っていた。

ん?

「お義母さん、人に使われるのは嫌だったんよ。ほんとあなたとそっくり!!」

父は国家公務員だった。
若いころは本庁に出向したりもしたらしい(出世コース)が、自分は上司に雇われているわけではなく「根拠法令に則って国民のために働くのが務め」を地でいくすごい面倒くさい人だったため、まあ…色々あったらしい。

商売気がなく、法令や討論、読書や勉強、そして仕事が大好きな父。
(とても穏やかで、そしてとても気が長いので口で勝てない。すごいめんどくさい)

昔話。父が学生で一人暮らしのときに宗教の勧誘が来たらしい。
「どうぞ」
と暇だったので、家に上げた。
そして「それは?」「なんで?」「どうして?」と質問をしまくって(本人は純粋に聞きたかったらしいが)最後にはその宗教の人が「お願いだから、帰らしてください泣」と言ったらしいが、これは絶対実話だと思う。そんな人。

そんな、父から祖母の意外な一面を知った午後。
たまには両親とカフェでお茶、もいいなと思った。

家なら父は寝巻きでゴロゴロして、話しをしたい母に「その一言が余計なんよ!」と怒られるのが日常。
しかし、カフェという雰囲気もあってか饒舌な父を母もニコニコと眺めていた。
初めて聞く話に、ほお、となる娘。

甘いコーヒーとのゆるやかな時間

きっとわたしの知らない歴史が、両親にも祖父母にももっともっとあるだろう。

祖母の家は取り壊して今はもうない。
あの場所で起きていた色々なドラマ。貸本、貸し部屋をしていた家。
ほかの人たちの人生もばあちゃんの人生と交わったのだろう。

「あなたもその血を受け継いでいるんよ」
と父に笑顔で言われた。


たくましさのかけらを、ばあちゃん分けてくれないかな。
それともちゃんとわたしの中にもあるのに、まだ気づいてないだけだろうか。

今だに先日届いた職場からのメールを開けられない自分。
現在休職中なのに、社会人なのに。こんなことさえビクッとする自分。
復帰する準備中、身体が拒否反応を起こして結局今だに休んでいる自分。

色々が嫌で、一人丸まって悶々としていたのその日の午前。

人生、タイミングだ。という。
ずっと知っていたばあちゃんの、そんな逞しい話を聞けたのはタイミングだと思いたい。

これを書いたあと、メールを開ける、だろうか。
頑張れるかな…。

旦那さんにあけてもらおうか。

これは自己嫌悪すぎる。さすがにダメだ。嫌だ。
社会人とはとても言えない。

弱気な自分と、どうにかしたい自分。

でもね、両親とお茶できてよかった。
今度は父が飲んだカフェモカを頼むよ。

ねぇ、ばあちゃん。

逞しかったばあちゃんの話、あなたの息子が嬉しげに孫に話してくれましたよ。
これって、親としてはうれしいよね。

聞けて孫も嬉しかったよ。
ありがと、ばあちゃん。
あなたが母に買ってくれたネックレスは今、私が持っているんだ。

そうだね。
それを身につけて、メール開けてみるよ。

逞しいあなたの孫だもの。
ありがと、ばあちゃん。

ちょっと力貸してね。甘えるな、とか言わないでね。

祖母から母へ。そして私に。

じゃあ、またね。
ばいばい。

皐月



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