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『狐と狸』(超短編小説)


   昼間の旅番組でキレイな女優さんが浴衣で温泉街をそぞろ歩きしていたのを見て以来ずっと憧れていた草津温泉にいる。高校時代からの大親友である美佳との二人旅だ。

   旅館に着いてからすぐに温泉に浸かって旅を疲れを癒した。湯浴みを楽しんだ後、夕食までそれなりに時間があったので、「そぞりましょ」とか何とか言って温泉街へと繰り出した。あの女優さんと同じように涼やかに浴衣をまとって。

   通りを行き交う人たちは、みんな顔が火照っていて背中のあたりから湯気が出ていそうだった。表情もゆるんでいて、すこぶる上機嫌に見える。平日朝の新宿西口を歩く企業戦士たちの殺伐とした顔とは比べものにならない。

「はるばるここまで来てよかったね」
   湯けむりが沸き立つ湯畑の景色を眺めながら美佳がつぶやく。

  二人で歩調を揃えて、湯畑のすぐ近くにある足湯へと進んでいく。ここも旅番組で見て一目惚れした場所の一つだ。

「熱っ」
「外湯なんてもっと熱いらしいよ」
「ここは風情があっていいね」
「雰囲気に癒されるよね」

   おもむろに美佳が私の裸足を見て言い出した。

「浴衣姿の鳴海はなんだか艶っぽいね」
「急に何?」
「色白で細くて、私が男だったら絶対に惚れるよね」
「ははっ。美佳の方が色っぽいじゃん」
「んなことないよ」
「だってスタイルいいし」
「やめてよぉ」
「私気づいてたよ」
「何を?」
「さっき湯畑の歩道を歩いていた時、殿方の視線が美佳に集中してました」
「うそうそ!私なんかよりも鳴海の方をみんなが目で追ってました」
「この視線泥棒」
「この温泉女優」
「それより、美佳のアップのヘアスタイルってもうホントにセクシーよね」
「鳴海こそ、この角度から見るうなじなんてなかなかよね」
「美佳は綺麗なデコルテ強調しちゃってさ」
「鳴海だって胸元から色気が匂い立ってるわよ」
「やだ」
「もうね、ムンムンさせすぎ」
「美佳なんて唇がおいしそうにぷるっとしすぎでしょ」
「バカじゃないの」
「温泉の湯ですっかり火照っちゃったのね」
「いやいや!鳴海のそのセクシーボイス羨ましいわ」
「何言ってるの、美佳の全身から漂うフェロモンには負けるよね」
「鳴海の妖艶な魅力には勝てないわよ」
「この悩殺ボディめっ」
「この小悪魔めっ」

   ふと横に目をやると、鼻水を滴らせた坊主頭の小さな男の子が、私たち二人を見つめながらキョトンとしていた。

   私たちの頬と同じように、草津の空は赤く染まろうとしていた。

(了)

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