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アートノート

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芸術、アートに関するノートです。
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記事一覧

美109「モネが奥さんのカミーユや息子のジャンを描いた絵は、モネの家族への愛情が、…

          「アートノート109」  腹心の教え子のM子が描いた絵を、ごくたまに見せ…

西森さん
1日前
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美#108「学習指導要領の現代国語編などを、読んだことは、一度もありませんが、Kや先…

            「アートノート108」  学年末試験の時、2年生の現代国語の監督をし…

西森さん
6日前
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美#107「木と森、山の表現は、セザンヌが一番、すぐれていると思いますが、水の表現は…

           「アートノート107」  2019年の秋、上野で開催されたコートールド美…

西森さん
8日前
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美#106「モネの最初の師のブーダンは、海洋画家だと言われていますが、水平線を低く設…

           「アートノート106」  アメリカで編集されたモネの画集の表紙に、「…

西森さん
12日前

美#105「人を安心させる美と、安心させない美とがあって、アートであれば、その両者が…

           「アートノート105」  15歳の夏、大原美術館で、モネの「睡蓮」を見…

西森さん
13日前

美#104「モネのアンティーブと、エトルタ、ベリールの三つの海の中から、どれが一番好…

          「アートノート104」  2019年の秋、上野で開催されたコートールド美術…

西森さん
2週間前

美#103「女性は、服装、ヘアスタイル、目元のメーキャップで、まったく別人に変身します。リアルキャラ変。これはこれで、楽しそうです」

           「アートノート103」  中央公論社の世界の名画のマネとドガの画集のカバーには、マネの「バルコニー」が、使われている。この絵は、1810年代に描かれたゴヤの「バルコニーのマハ」の影響を受けていると、説明されている。手元にあるゴヤの画集を開いて確認しなくても、マネの絵とゴヤのそれとの関連性は、ほとんどないと言い切れる。  ただ、マネの絵の左側の女性(つまりベルトモリゾ)の化粧と衣装の雰囲気が、スパニッシュっぽいということは、理解できる。マネは、闘牛やスペ

美#102「STEAM人材のAは、アートのことで、アート的な視点を持って、人間にとって、新…

            「アートノート102」  2019年の秋、上野で開催されたコートールド…

西森さん
2週間前
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美#101「自然主義は、科学文明と結びついて、すべて説明可能という前提に立っているよ…

          「アートノート101」  市の図書館で、「ゾラ・セレクション」という全1…

西森さん
2週間前
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美#100「ボードレールの詩を読み始めました。もちろん、まだ翻訳ですが『灯台』のよう…

           「アートノート100」  図書館でマネの画集を借りて来た。このところ…

西森さん
3週間前
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美#99「歳を取ったら、日本の古典を読んで、仏教美術に没頭するだろうと、勝手に想定…

             「アートノート99」  昨日、吉祥寺の駅ビルの階段を上がって、中…

西森さん
3週間前
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美#98「ここ2、3日、第二帝政時代の絵を見ていますが、ベルエポックと言われている世…

           「アートノート98」  サロンの選に落ちた「落選展覧会」は、ルイナポ…

西森さん
3週間前
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美#97「学校は人との出会いの場です。友人なり、先生なり、恋人なりに出会わないと、…

           「アートノート97」  ルノワールは、子供の頃、音楽も絵も、どちらも…

西森さん
4週間前
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美#96「私もコートールドとまったく同じ意見で、ルノワールは1870年代に頂点を極めたと思っています」

           「アートノート96」  コートールドは、1880年までに、ルノワールは、頂点を極めたと語ったわけですが、私もまったく同感です。ルノワールのすぐれた作品は、1870年代の印象派時代に描かれていたと私は確信しています。  ですが、晩年の幸福な赤の時代の絵こそ、ルノワールの頂点を極めた作品だと主張する方がいたとしても(沢山いらっしゃると思いますが)別段、それに反論するつもりもないです。アートや音楽と言った分野では、価値判断は、個人の主観で決定されると、sim