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自分が自分じゃなくなりそうになったら、鏡を見てみる

私はまるい顔をしている。小さい頃からずっと、童顔だと言われていた。子供扱いされるのが恥ずかしかったので、いつも反発するのだが、でもやっぱりまるいままなのだ。
さらに言うと、どちらかというと明るそうにみられる。実際、人と話すときは反射的に明るく振る舞うタイプだ。卒業アルバムでは「いつも笑顔な人」トップ3にランクインした。驚きはしなかった。

しかし、性格はどうかというと、たぶんかなり暗い。昔は特に内面では気性が荒くて、親しい友達と「喜怒哀楽どの感情が一番大きい?」という会話になったら、「怒」がずば抜けて高いと答えた。いつも何かに激しい怒りの感情を抱えていた。人に対してぶつけたりはしないけど。最近は心が少し大人になったのか、ムカつくことがあってもあまり怒らなくなった。だいたい、悲しくなる。


昔からどういうわけだか、見た目と中身が伴わないことがあまりに多い。人は見た目である程度性格を判断する癖があるようで、みんな私を穏やかで明るく、怒ったり悩んだりすることもない人だと思うらしい。
そのイメージを壊してはいけないような気がして、なるべく「見た目通り」な振る舞いをし続けたが、たまに自分を見せてみると、いつも「意外だね」と言われた。


高校時代は特に暗い性格をしていたので、ますます見た目とのギャップが生まれるようになっていた。「ちがう!ちがう!」といつも心の中で否定していたら、自分がどこにいるのかわからなくなった。クラスメイトと明るく会話をしていても、それを白けた目で見る自分が、本当に背後にいるような、そんな感覚だ。

ただ、大学には自分と似た人が集まっていたようで、「やっと自分を出せた!」と話す友達をたくさん見つけることができた。同じ空間で音楽を学んでいたので、みんなが頑張っていることも自然に分かったし、互いをリスペクトしながら日常を過ごせて幸せだった。


ついに社会人になった私は、あらためて「ちゃんとしなきゃ」と思い、真面目に仕事に励んでいた。が、どうやら周りにはそう見えていないらしい。いつもヘラヘラしているね、とのことだ。悔しかったが、それでも真面目さを貫いて、たくさんの意見を主張し続けたら、「意外と、そういう人なんだよね」と理解してくれる人が増えた。時間が解決してくれたんだと、そのときは解釈した。

部署が変わると、私のイメージはまたリセットされる。新しい仕事にも真剣に取り組んでいたのだが、ここでは「私の主張」は「ワガママで反抗的」と受け取られるということに気が付いた。
これ以上主張を繰り返すと、「厄介者」になるのが目に見えたので、温和なキャラクターになることにした。
入れ替わりが激しく、かつ年功序列の風潮があった組織の中で、すでに私はキャリアが長いほうに入っていたから、"頑張っているように見えるかどうか"は、もう大きな問題ではないだろう。そう割り切って過ごしたら、「楽しげな雰囲気を作るのが上手い」と褒められるようになったので、少し安心した。


それもつかの間、上司が私に求める仕事のハードルはどんどん高く、というより、「私が目指していない者」になって欲しいと言われるようになっていく。厄介者になるのは嫌だったから、黙ってそれを目指すことにした。「おかしい」と思うこともあったが、「また反抗するのか」と睨まれた気がして、「分かりました」と飲み込む。結果、私は限界を超えて、壊れてしまうことになる。
「君は見た目だと(本当は辛いということが)わかりにくいんだよね」と苦い顔で見送られた。


適応障害による休職生活が始まって、ひとりになる時間が膨大に増えた。病状は私の思考回路をさらに"嫌なほう"へと引っ張ってくる。心の中を真っ暗にして塞ぎ込み、「しにたい」で頭をいっぱいにして時間が経つのを待ち続けた。


そんな中である日、たまたま、鏡を見た。久しぶりに見た自分の顔は相変わらずまるくて、そしてこう思った。「こんなにまるい顔をしている人が、あんなことを考えていたのか」。


いたって冷静に、「意外だな」という感想を持った後、「なんであんなに嫌なことばっかり考えていたんだろう」と少し心が軽くなった。


今になってふり返ると、明るい振る舞いをする自分も「全部作り物」というわけでも、「ウソをついていた」わけでも全くなかった。これはこれで、あくまでも自然体なのだ。
まるい顔をした自分は、確かに周りに合わせた言動を選ぶようにしていたけれど、当たり前にそれを繰り返してきた結果、そういう人間になっていたのかもしれない。


嫌な感情はどうしても離れないが、まるい顔ももれなくセットで付いてくる。それが私なのか。



「失敗した」「もう終わりだ」
人はきっと、ひとりでいると、独りよがりな考えばっかりが先走ってしまう。

そんなときは、鏡の前に立ってみるといい。

思っていたより、「大丈夫だった頃の自分」と、そんなに変わりない姿がそこには写っている。

きっと、またやれる。ちょっとだけ、そんな気持ちが湧いてくる。


心の中にいる自分だけが、私じゃないんだ。



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