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傑作映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」 全ての女性と(男の)わたしの物語~私の中の3人のLittle Womenに捧げます。

女性による

女性のための

女性賛歌の

女性映画に

男の私は泣きました 笑

新作映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」

21世紀を代表する女性映画の金字塔となった作品だと私は思う。

「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」映画レビュー
全ての女性と(男の)わたしの物語
~私の中の3人のLittle Womenに捧げます~

私はこの映画を劇場で見た時、その余韻の深さでしばらく席を立ちたくないほどだった。

予想を遥かに超える大傑作でした。

原題はlittle women

ルイザ・メイ・オルコットの自伝的小説「若草物語」を実写化した作品です。

有名な小説ですし、既に何度も映画化されているのでご存知の方も多いかと思います。

私が初めて「若草物語」の映画化で見たことがあるのは1949年製作の作品です。

デビューまもないエリザベス・テイラーが三女役であまりに眩い美しさと心沁みる演技で圧倒された記憶があります。

「若草物語」のエリザベス・テイラー

長女役に「サイコ」で衝撃的な体験をするヒロインを演じたジャネット・リー、次女のジューン・アリソン、末っ子役にマーガレット・ブライアンが扮して皆、素晴らしい演技を魅せてくれます。

物語の中心は小説家を目指す次女ジョーであり、これは今回紹介する新作でも一緒。ジョーの視点を中心に彼女が数々の葛藤を経て家族への想いを綴った小説を出版するまで描かれていました。

4人姉妹の活き活きした演技を楽しんだ記憶があるけれど、女性の自立というテーマがありながら古き良き時代のホームドラマ的な趣きが強い作品でした。

さて

本作も同じ原作を下敷きにしているのでストーリーの骨子は一緒です。

1860年代の南北戦争の時代。

戦地に牧師として従軍した父の帰還を心待ちにしながら貧しくとも逞しく生きる4姉妹の物語です。

ただ従来の映画化作品と物語の視点がだいぶ違います。

シアーシャ・ローナンが演じた次女ジョーが作家デビューを目指してNYで葛藤している現在と、4姉妹で日々を生きていた回想が交互に行き交うのですが

ジョーの作家としての視点が色濃く前に出て、物語構造がより立体的かつ現代的になっています。

現在と回想を重ねる中で、4姉妹ひとりひとりの実像と生き方が浮かび上がってきます。

あまりに4姉妹が活き活きと活写されているので

見ていると時代設定など忘れて、現代に息吹く女性の躍動感溢れるエネルギーを全身に浴びている感覚になります。

4姉妹のキャラクターが今まさに生きているかのように色鮮やかに際立っているのは脚色も手掛けているグレタ・ガーウィグの驚くべき才能があってこそかと思います。

監督/脚色 グレタ・ガーヴィグ

この原作が書かれた男社会の価値観一色の時代に「女性の自立と生き方」をテーマに作品を世に送り出し、世の中の多くの女性に勇気と感動をもたらした原作者のオルコットの想いを

彼女を心のヒーローと敬愛してやまないグレタ・ガーヴィグが冴えに冴え渡ったビビッドな感受性を発揮し

150年前に一世を風靡して以来今まで世界中に愛されてきた古典原作を全く新しく生まれ変わらせてしまいました。

女性として史上5人目(あまりに少ないですが)のアカデミー監督賞ノミネーションを受けた映画「レディバード」でも彼女の物語を紡ぐ天才的なセンスに舌を巻きましたが、あの作品もまた、女性の自立や生き方がテーマで本作とシンクロします。

グレタ・ガーウィグは、もはやインディペンデント系のセンスあふれる女性監督という代名詞を軽々と超えて

堂々たるヒューマンドラマの王道を演出する名監督の域に達しているのではないかとこの作品を観て思いました。

比較されることの多い女性監督のソフィア・コッポラより私は正直、圧倒的にグレタ・ガーヴィグの作品の方が好きです。

ソフィア・コッポラがあまりにガーリー過ぎて男の私は完全に蚊帳の外の気分に陥るのに対し 笑 

ソフィア・コッポラ監督作「マリー・アントワネット」

グレタ・ガーヴィグが描く作品は女性の生き方を描きながら、男女を超えて共通する生きていく切望に満ちた人生賛歌の凄みに満ちているのです。

彼女の方が世界観の大きさを感じます。

女性映画という冠などつけること自体、古臭い観念だと思えるほどに本作は男女差を超えた大きなヒューマニズムに到達していると驚愕しました。

本当に末恐ろしい監督です。

21世紀にアカデミー賞を最も多くとる監督はきっと彼女になるでしょう。

この作品では類まれなるストーリーテリングだけでなく映像、美術、衣装、そして心揺さぶる人間ドラマを完全にひとつの美しい物語として統合・昇華させています。

王道ヒューマニズム映画としてまさに大傑作です。

そしてなんといってもこの作品の魅力は4姉妹を中心にした眩いばかりの女性オールスターキャストです。

一言でいって

今をときめく女優陣のアベンジャーズです 笑

まず長女メグにエマ・ワトソン。

彼女は貧しくとも心から愛した男性と結婚することを願っています。

フェミニストや社会活動家としても知られるエマ・ワトソンが芯の強さを感じさせつつも

凛とした美しさと滲み出る実直さが、この作品に品格を与えています。

次女ジョーにシアーシャ・ローナン。

この作品の主人公ですが、あまりに凄すぎるので後ほど語ります 笑

小説家になって自立することに全力で邁進するジョーは、幼馴染のローリーからの愛を一身に受けながらも、NYで作家を目指す女性です。

三女ベスにエリザ・スカンレン。

体が弱くて他の姉妹のように生きられないのだけど、誰よりも人の痛みを先に感じ取るような心優しい女性で音楽を心の拠り所としています。

彼女の奏でるピアノの音色に心が揺さぶられて自然と涙が零れます。

四女エイミーにフローレンス・ピュー。

天真爛漫で気が強く芸術家肌の彼女は、次女のジョーと競争心剥き出しにいつもぶつかり合っています。

画家を目指しながらも、夢に折り合いをつけて裕福な男性に嫁ぐべきという叔母の教えとの間で葛藤します。

彼女はセンセーショナルにヒットしたホラー「ミッドサマー」で圧巻の演技をして大注目を浴びて、

マーベルユニバースの「ブラック・ウィドウ」に出演もし、今一番ノリにのっている若手女優ですが

とにかく彼女が出ると一瞬に目が彼女に行くほど爆発的な存在感と表現力を放っています。

見事にアカデミー助演女優にノミネートされたのも納得の素晴らしさで強烈な印象を残します。

そして4姉妹の母親にローラ・ダーン。

戦地の夫を待ちながらも気高くも深い愛で4姉妹を包む母親を味わい深く演じています。

彼女は同年に「マリッジ・ストーリー」で敏腕離婚弁護士を演じて(あれも凄かった!)見事アカデミー助演女優賞を獲得しています。

そして更に、男社会に生きる女の幸せは裕福な男性に嫁ぐべきという旧来の価値観を持ち姉妹にプレッシャーを与える存在の叔母に名優メリル・ストリープ。

もう説明の必要ありません。出てくるだけ空気が一変します。

アカデミー史上最多22回のノミネート、3回の受賞を誇る名実ともに映画界の女王です。

価値観が真反対の役柄のメリルとシアーシャが対峙する緊迫感は、まさに次世代アカデミー最多賞候補筆頭のシアーシャの前にデカすぎる壁が立ちはだかっているようにも見えます 笑

そしてジョーを愛するローリーに扮するティモシー・シャラメも、煌く女優陣に囲まれながらも見事な存在感を発揮しています。

「君の名前で僕を呼んで」での繊細な素晴らしい演技でアカデミー助演男優賞にノミネートされて以来、その美貌と演技力からディカプリオの再来とも言われていますが

本作は4姉妹のエネルギーを見事に受けながらもナイーブかつ危うい魅力に満ちていて素晴らしかったです。

多くの女性が彼のアートのような美少年ぶりに心奪われるかと思います。

特にジョーに想いを伝える告白シーンは

ここ最近の恋愛映画随一の名場面ともいえ

その後の運命の行方には胸をグサリと突かれます。

心の奥を揺さぶる切ないラブストーリーとしてもまた一級の作品です。

ただ何といっても次女ジョーを演じたシアーシャ・ローナンが圧巻でした。

負けん気が強くエネルギッシュで、クリエイティブに対する情熱が溢れんばかりの彼女は観ているこちらが圧倒されるほどの存在感です。

当時、いや現在も多くの女性が抱えている「女性にとっての幸せとは何か」という葛藤を全身に抱えながら、旧来の価値観に真っ向から挑み夢を追い求めていきます。

特に重そうなドレスを手繰り寄せながらN.Yを疾走する姿は新しい時代の幕開けを切り拓いていくような爽快感に満ちています。

彼女のエネルギー溢れる疾走感!

本作でもアカデミー主演女優賞にノミネートされ、若干25歳にしてアカデミー賞にも既に3度もノミネートされているシアーシャですが

ガーウィグとコラボした前作「レディ・バード」に続いて、2人は完全に黄金コンビになりました。

グレタ・ガーヴィグ脚本・監督×シアーシャ・ローナン主演の2作

これからこの2人のコラボレーションに益々期待せざるを得ません。

ジョーが出版社に小説を持ち込んでも男性社会の象徴のような編集者に「売れるように書き直せ」「ヒロインが結婚しないと読者は納得しない」といった作品の本質とは関係ない言葉を受けながら、それでもあきらめきれない彼女の創作への情熱に心打たれます。

でも考えてみれば、自分の人生でやりたいことを切り拓くために一心に努力するなんて、実は男女関わらず当たり前の事なのにそれがどれだけ難しいことなのか。

もしかしたら150年前と今とそれほど本質は変わっていないことに

ある意味、愕然とするかもしれません。

この作品を通して貫かれているテーマは

女性にとって幸せとは何か

豊かな人生とはなんだろうということです。

ジョーにとってはそれは自由。

創造への情熱を表現しながら自立して生きていくこと。

この作品がもつ「女性の自立」というテーマは150年以上に渡り

語り続けられてきた普遍のテーマです。

でも逆に150年も語り続けてもなお、それが難しいということを

そのように社会がなっていないということを痛烈に突きつけている作品でもあります。

そしてこの作品では誰もが頭に浮かべるいくつかの女性の幸せの形が描かれます。

私は男なのでここで女性の幸せとは?

なんて滔々と語ることはできません。

ただそもそも「女性の幸せ」「女性の自立」「女性監督」「女性映画」という

女性と冠をつけて代名詞にされている言葉はすべて

不公平に前提化されている男性社会が何百年以上続いているから存在します。

「男性の幸せ」「男性の自立」「男性監督」「男性映画」なんてわざわざ言わないわけで

いまだに「女性」という冠が深くテーマとして成立するのが、この変わることのない厳然たる不公平さを現しているといえるでしょう。

また、この作品で女性の幸せと取り上げられるのは

経済的に裕福な男性と結婚することか(四女エイミー)

自分の夢を追いかけて自立することか(次女ジョー/四女エイミー)

良妻賢母として慎ましく家庭を守ることか(長女メグ)

誰もが思いつくような女性の幸せの類型のカタチです。

でも

そのフォーマットってもう古くないですか?

何が幸せか

何がゆたかな人生なのかって

自身が心底そう思えれば

どんなカタチであったとしても

それが紛れもない幸せであり豊かさであって

もうそれだけでいいんじゃないでしょうか。

だいぶ以前に、NHK朝ドラ「エール」でヒロインが歌唱の夢と家庭の幸せを両方求めるのが強欲であるかという論点が放送時に少し話題になりましたが

本来ならばどっちも欲しいなら、どっちも追いかければいい。

これが人として自然な心のあり方です。

でもそれを両立させて社会で生きていくことは非常に難しく、男性優位の社会構造が助けるどころかまだまだ阻害しているのが現実です。

あまりに社会が男性寄りで不親切だから両立が難しいのだと思います。

現実的には人生を長期的に捉えつつ、様々な人生の時期でバランスを変えながらどうにか人生をオーダーメイドで創り上げていくしかないのです。

価値観は年を追うごとに変わっていくかもしれません。

大切なものも変わっていくかもしれません。

大病を患ったり、大切な人を亡くして人生観が一変するかもしれません。

だから

女性にとって幸せとは何か?

女性にとって豊かな人生とは何か?

そのクエスチョンそのものが

類型化の思考停止に絡めとられる

強固な歴史の遺産なのだと思います。

今も尚、変わらない社会構造や経済格差や男女格差が更に浮き彫りになっているかのような21世紀の現在は1860年代に生きる女性と驚くほど変わってないのです。

更にそのこと以前の男女の性意識の格差については以前、映画「スキャンダル」とあまりに深い男女間意識の溝というシネマエッセイであけすけに語りました。

全ては150年以上変わっていない男性の意識の根深さであり、全部繋がっています。

こうした社会構造の変革は女性側からだけでなく男性側からも強い働きかけが必要なのであり、変えていく努力を皆ですべきことですが

ただ、大きく社会が動くのを待っていたら

人生が終わっちゃいます。

150年以上変わってないんだから!

これ以上このテーマは私には超えられませんので

どなたか専門家の方にお譲りします。

だから男女を超えて人として共有のものを見つめたいと思います。

女性にとって

(男の私にとっても)

幸せとは何か?

ゆたかな人生とは何か?

それは

自身が幸せに思えればそれでいい。

自身が豊かだなぁと思えればそれでいい。

それに尽きると思います。

他の人を羨ましく思えることもある。

経済的に苦しくてそんなこと考えられないこともある。

ずっと幸せであり続ける不変の状態などないし

ずっとゆたかな心模様であり続ける不変の感情などありません。

それを結婚とかお金とか自立とか分類しないで

人生のあらゆる側面が混ざった色あいを丸ごと感じとる。

愛を選んでもお金に悩んだり

お金を得ても愛を見失ったり

夢を叶えても何か虚しかったり

でも

幸せの要素全部乗せで

人生うまくいきっぱなしなんて

つまらないと思う。

泣きたいような辛いことや

狂おしいほどの切望や

途方に暮れるような悲しみや

真っ暗に閉ざされたような絶望や

心が蝕まれていくような不安を抱えつつも

ほっとした時に感じる生きた手触りや

人の優しさに触れた時の思わぬ涙や

抱きしめられた時のぬくもりや

自身の力を出し切った時の心地よい疲労感や

心が震えるような感動や

そんな幾つものカタチの無い感情がプラスもマイナスも

次々と現れては消えて 現れては消えて

現れては消えて 現れては消えて

そして、最後は自分が消えていきます。

私は人間ってすごいなって思います。

100%いつか死が訪れる残酷な運命なのに

希望や情熱を抱いてこの人生を楽しむことができるのだから。

幸せと豊かさのグラデーションは何万色の

いや無限の色の感情や記憶に彩られています。

その全てが豊かさなのではないでしょうか。

この映画にはそんな無限の豊かさを心の奥深くから溢れ出させる魔法のような力があります。

特に後半の展開からラストシーンに至るまで

彼女たち1人1人が命を燃焼させている姿に

心が抉られるように深く揺さぶられ続け

で、お前はどう生きるんだ?

と改めて問われるような感覚とともに

とにかく何か書きたい!

という創造への欲求がマグマのように心の奥底から湧き上がってきました。

この映画のコラムやエッセイで寄稿されているものは

ほぼ全てが女性が書かれているものですが

私を含めた男たちはややもすると蚊帳の外

あるいは添え物的な位置づけ 笑 

そんな存在になってしまいがちなのですが

本当はそんなことは無いと思います。

この映画は全ての女性にとってのわたしの物語であり

男のわたしの物語でもあるのです。

私がこうしてシネマエッセイを書いているのは

私の中に3人の女性がいるからです。

シネマエッセイを書くきっかけとなったのは

母の影響です。

母は天性のアーティストだと思っています。

小さい頃から本を読むことが大好きな母は

大人になっても何十年に渡って

1週間に10冊以上のペースで

気になった随筆やエッセイや本を読み進め

家族の図書館カード全て使って片っ端から本を読み続けていました。

そんな母は小さい頃から歌を歌うことも大好きで

音大の声楽家に進み、常に人前で歌うことが自然な人でした。

当時、民放の歌のお姉さんにスカウトされたことを聴いていますが

父と学生結婚が決まって声楽の道には進まず

姉と私を育てながらピアノの先生を続けていました。

映画に関しても小さい頃から大好きだったらしく

最近でもWOWOW開局からあらゆる映画を録画しまくって

おそらく1万作以上観ています。

私はまだ3500作くらいで

まだまだ母にはかないません。

傘寿ですが映画雑誌SCREENも愛読しています。

たぶんティモシー・シャラメもチェック済みだと思います 笑

私は自身ではエッセイを人生で数十冊くらいしか読んでいませんが

母は千冊以上ありとあらゆるジャンルのエッセイを読んでいます。

最近もエッセイの感想を聴きつつお薦め作家を聞いたりしています。

そんな母の感受性は全て私に受け継がれています。

2人目は姉です。

私より10歳近く年の離れた姉の影響です。

小さい頃から姉が読んでいた漫画や観ていた映画を追いかけて観ていました。

当時、映画の道に進むきっかけとなったのは

姉と一緒にみた「恋人たちの予感」です。

この作品で男女の機微を捉えた映画作家になろうという夢が生まれました。

私が小学生の時、姉は大学生というくらいの年齢差でしたが

姉が私を子ども扱いすることは一度たりともありませんでした。

人生や恋愛や様々なテーマをなぜか姉は包み隠さず話してくれました。

大人になっても新卒社会人になったばかりの頃、仕事がうまくいかずウツになりかけた時

何時間も相談に乗ってくれて、そこだけが世界ではないと教えてくれたのも姉でした。

私の書いたシネマエッセイを最初に褒めてくれ、力をくれたのも姉です。

そんな姉は正義感が強く、社会の不条理に対しても私より遥かに怒りや葛藤を感じている女性です。 

そうした感じ方、考え方は私が固定化された価値観にならないように常に問題意識を与えてくれるのです。

そして最後は

妻です。

映画レビューやシネマエッセイとして書く題材の多くは

妻の視点を取り入れたものが多いです。

私は非常に主観的で狭い人間なので

つい独りよがりになってしまうのですが

必ず書き終わると妻に見せます。

妻はよほどによくないと、何も言ってくれません。

たいていは無言でスマホを戻してくれます 笑

今まで書いてきて一番の絶賛の言葉は

いいんじゃない。という言葉です 笑

これが出た時はかなり自信が持てます 笑

私の閉ざされがちな世界を見る視点は妻のお陰で

観念的ではなくありのままに世界を見るきっかけを与えてくれます。

私は妻が心からよかった!と言ってくれるエッセイを書くために

シネマエッセイを書いているところがあります。

もちろん根幹は究極の自己満足のためです。

そのうえで、尚且つ、妻の評価も得たい!

かなり欲張ってます 笑

一生辿りつけなくても、目標は高ければ高いほど目指す価値があるのです。

だから私は男ですが

私の中には母や姉や妻に紡がれた女性が存在してます。

私の中にも3人のLittle Womenがいるのです。

だからこの女性賛歌の映画を男の私にも語らせてください。

仲間外れにしないでください 笑

劇中に「男であれ 女であれ わたしは中庸な人間なの」という台詞が出てきます。

男であるからこそ

女であるからこそ

その違いや特性を認め合い

そして時に、一人間として

真ん中で感じて繋いでいく

橋のような人間になりたい。

そう私は思っています。

この作品は全ての女性と

女性から生まれた全ての男性に捧げられた

人生賛歌の傑作です。

そしてこの記事を読んでくれた

ご自身でも文章を書くすべての女性にとって

この作品がここ数年で圧倒的なNo.1のインパクトをもたらす作品になってしまう方が続出することでしょう。

未見の方は一日も早くこの作品をご覧になることをお薦めします。

間違いなくあなたの人生に大きな刻印を刻むことでしょう。

今すぐnoteに自身の想いを書き表したくなることでしょう。

そして一度きりしかない人生の中で

自分の好きなもの、本であれ音楽であれ映画であれ

そんな大好きなことを心から謳歌しつつ

人生を力強く歩みだせるような

心に希望や勇気や喜びの炎を灯すような

大きなきっかけになることでしょう。

無限の豊かさに満ちた世界がそこにあります。

シアーシャ・ローナンが全力で表現した

ジョーの全ての葛藤と決断を全身に浴びて

魂が震えることでしょう。

映画を見終えた瞬間から

溢れる創造性を思い切り放っていきましょう。

幸せなんて、ゆたかさなんて、意識したとたんに

世間や常識が形成してきた強固なカタチに絡めとられていきます。

この作品を観たら

きっとそんなカタチを吹っ飛ばすことができます。

凄まじい爽快感と解放感が待っています。

そこから始めていきましょう。

21世紀はあなた自身の時代です。

さあ今こそ扉を開けましょう。

最高に生きる力をくれる大傑作をご覧あれ!

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