セピアいろの写真~三島由紀夫『春の雪』より【ネタバレ有】
※『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』のネタバレ有。
セピアいろの写真は冒頭から登場する。「得利寺附近の戦没者の弔祭」と題された写真である。題が穏やかではないのは、日露戦争・得利寺の戦いに関係しているからである。
モデルとなった写真
ちなみに、作中の写真にはモデルがある。上の写真である。「得利寺戦死者の弔祭」と画像検索していただければ、容易に確認できるだろう。写真は『日露戰役寫眞帖』より引用した。国立国会図書館デジタルアーカイブから閲覧できる。
写真の印象は『春の雪』の通りだった。遠巻きの写真機から眺める兵隊の列は、たしかに絵画的に見えた。白木の墓標は想像していたよりも小さい。だが兵士の背丈から想像するに、実物は案外大きいのかもしれない。
脱線してしまった。モデルの写真の話を終え、小説の方に移りたい。
写真に関する小説中の記述
「中央の高い一本の白木の墓標」に効果が集中している点に注意したい。小説中の風景描写に同じような構図が登場するかもしれないからだ。勘ぐりすぎているのかもしれない。だが、暗に同じ構図が繰り返されている可能性もある。白木の墓標や兵士の隊列を連想させる何かが出てくるかもしれない。
また、その他の特徴も挙げておく。全文を引用すると長くなるので、箇条書きで記したい。
〈写真の特徴と構図〉
写真が回想される場面
シリーズ全体で件の写真が言及される場面は3か所あったはずだ。
そのうち2か所は『春の雪』の中にある。1つ目は清顕が聡子と馬車に乗っている場面。もう1つは、清顕から聡子との話を聞いて、本多が例の写真を思い出す場面である。
清顕と聡子が馬車に乗る場面
清顕と聡子が馬車に乗っていた際の一場面である。麻布三聯隊の営庭には雪が積もっていた。そこで清顕は「得利寺附近の戦死者の弔祭」の幻を見たようである。しかしながら、我々はまた異なった情景を想像することだろう。雪の中の兵士たち――実は二・二六事件も思い出すような仕掛けになっているのではないか? そして、うなだれた兵士たちを見ていると、事件後の顛末をも連想させる。
本多と清顕の議論
これは本多の台詞である。この記事では詳細に立ち入らないが、本多と清顕の議論は作品の中核になる重要なシーンだ。
真珠湾攻撃の一報を聞いた際の本多
『暁の寺』においても写真が言及される場面がある。真珠湾攻撃の一報を受けて民衆が歓喜する様は、本多に写真の記憶を喚起した(『暁の寺』十二pp.129-131)。長くなるので引用は避けたい。
まとめ
写真の話はまだまだ続く。が、ここで一旦記事を終えることにする。長くなると記事が読みづらくなっていくからだ。本記事で掘り下げられなかった点を列挙しておこう。
次回、次々回では上記の部分を掘り下げてみたいと思う。
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