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セピアいろの写真~三島由紀夫『春の雪』より【ネタバレ有】

※『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』のネタバレ有。

セピアいろの写真は冒頭から登場する。得利寺とくりじ附近の戦没者の弔祭」と題された写真である。題が穏やかではないのは、日露戦争・得利寺とくりじの戦いに関係しているからである。

モデルとなった写真

写真は『日露戰役寫眞帖』第1-2巻より。国立国会図書館デジタルアーカイブから閲覧可能。

ちなみに、作中の写真にはモデルがある。上の写真である。「得利寺戦死者の弔祭」と画像検索していただければ、容易に確認できるだろう。写真は『日露戰役寫眞帖』より引用した。国立国会図書館デジタルアーカイブから閲覧できる。

写真の印象は『春の雪』の通りだった。遠巻きの写真機から眺める兵隊の列は、たしかに絵画的に見えた。白木の墓標は想像していたよりも小さい。だが兵士の背丈から想像するに、実物は案外大きいのかもしれない。

脱線してしまった。モデルの写真の話を終え、小説の方に移りたい。

写真に関する小説中の記述

 そのせいかして、家にもある日露戦役写真集のうち、もっとも清顕の心にしみ入る写真は、明治三十七年六月二十六日の、「得利寺とくりじ附近の戦死者の弔祭」と題する写真であった。
 セピアいろのインキで印刷されたその写真は、ほかの雑多な戦争写真とはまるでちがっている。構図がふしぎなほど絵画的で、数千人の兵士が、どう見ても画中の人物のようにうまく配置されて、中央の高い一本の白木の墓標へ、すべての効果を集中させているのである。

『春の雪』一pp.5-6 引用者太字

「中央の高い一本の白木の墓標」に効果が集中している点に注意したい。小説中の風景描写に同じような構図が登場するかもしれないからだ。勘ぐりすぎているのかもしれない。だが、暗に同じ構図が繰り返されている可能性もある。白木の墓標や兵士の隊列を連想させる何かが出てくるかもしれない。

また、その他の特徴も挙げておく。全文を引用すると長くなるので、箇条書きで記したい。

〈写真の特徴と構図〉

○ 左手:ひろい裾野を展ひらきながら徐々に高くなる。
○ 右手:まばらな小さい木立。黄色い空を透かしている。
○ 前景:都合六本の丈の高い樹々
○ 画面中央:白木の墓標。白布しらぬのをひるがえした祭壇。
○ うなだれている兵士たち。
○ 左奥の兵隊:野の果てまで半円を描くように並んでいる。

写真が回想される場面

シリーズ全体でくだんの写真が言及される場面は3か所あったはずだ。

そのうち2か所は『春の雪』の中にある。1つ目は清顕が聡子と馬車に乗っている場面。もう1つは、清顕から聡子との話を聞いて、本多が例の写真を思い出す場面である。

清顕と聡子が馬車に乗る場面

 あたかもくるまは、やしきの多い霞町かすみちょうの坂の上の、一つのがけぞいの空地から、麻布三聯隊れんたいの営庭を見渡すところへかかっていた。いちめんの白い営庭には兵隊の姿もなかったが、突然、清顕はそこに、例の日露戦役写真集の、得利寺附近の戦死者の弔祭の幻を見た。
 数千の兵士がそこに群がり、白木の墓標と白布をひるがえして祭壇を遠巻きにしてうなだれている。あの写真とはちがって、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽のひさしはことごとく白に染められている。それは実に、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に清顕は思った。あそこに群がった数千の兵士は、ただ戦友の弔祭のために集まったのではなくて、自分たち自身を弔うためにうなだれているのだ。

『春の雪』十二 pp.116-117 ルビは引用者が適宜追加している。

清顕と聡子が馬車に乗っていた際の一場面である。麻布三聯隊の営庭には雪が積もっていた。そこで清顕は「得利寺附近の戦死者の弔祭」の幻を見たようである。しかしながら、我々はまた異なった情景を想像することだろう。雪の中の兵士たち――実は二・二六事件も思い出すような仕掛けになっているのではないか? そして、うなだれた兵士たちを見ていると、事件後の顛末をも連想させる。

本多と清顕の議論

「貴様の話をきいていて、俺は何故なぜだか、とんでもないことを心に浮かべていたよ。それはいつだったか、日露戦役のことをおぼえているかどうかと話し合っていたあとで、貴様の家へ行ったときに、日露戦役写真集を見せてもらったことがある。[……]」

『春の雪』二十八 pp.238-239

これは本多の台詞である。この記事では詳細に立ち入らないが、本多と清顕の議論は作品の中核になる重要なシーンだ。

真珠湾攻撃の一報を聞いた際の本多

『暁の寺』においても写真が言及される場面がある。真珠湾攻撃の一報を受けて民衆が歓喜する様は、本多に写真の記憶を喚起した(『暁の寺』十二pp.129-131)。長くなるので引用は避けたい。

まとめ

写真の話はまだまだ続く。が、ここで一旦記事を終えることにする。長くなると記事が読みづらくなっていくからだ。本記事で掘り下げられなかった点を列挙しておこう。

○ 本多と清顕の議論について
○『暁の寺』で本多が写真を思い出す場面について
○ 暗に写真の構図が再利用されていると考えられる場面

次回、次々回では上記の部分を掘り下げてみたいと思う。

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