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平成の世は僕にとってのほぼ全てだった

正直なところ,平成の世が僕にどんなコトを与えてくれたかは分からない.

と言ってしまうのは簡単なのだけれど,それを知りたいという目的で書くという手段を選んでいる.
何から考えればいいのか.

紛れも無い事実から考えると,僕は昭和最後の年度生まれだ.
だからと言って,僕が生きた昭和の時代約250日の記憶があるかと言えば,全くない,無,記憶が無.

違う言い方をすれば,平成の記憶しかない.
現在のミレニアル世代の殆どが同じようなことを言うかもしれない.

ある意味,平成の世は僕にとっての全てなのだ.

日本の歴史から言うと(ディテール知識に自信ないw),
戦後以降,爆発的経済的成長があり,社会保障制度も安定し,国民の暮らしが豊かになっていき,こうすれば幸せになることができる!というある種方程式のような人生のテンプレートがあった時代が昭和なのかもしれない.

日本の世の良し悪しや好き嫌いを語り始めると激しく趣旨から脱線するので置いておくとして,平成の世は昭和の世のレールがそのまま使われていたような肌感がある.
あくまで僕個人として最も顕著だと思うのが,「価値観の不動化」とでも呼ぶのだろうか.
社会的多数の意見が正義でそれに迎合させんと,マイノリティを許容しないというような態度をいきている中で何度も感じたことがある.
狭くて暗い押入れに入れられ,型をはめられるような感覚だ.

テクノロジーの発展により,一人ひとりの生活を豊かにできるツールや機会が増えた.
情報を取捨選択しなければならないリテラシーを求められるようになった.
人生に選択肢が複数あることをやんわりと,そして大量に提示されているが,選ぶのは全て自分だ.

価値変遷が数え切れないほど起こり,淘汰もどんどん起きているように感じる.
レッドオーシャンでなく,ブルーオーシャンを目指す人たちの割合は昔から変わってはいないのであろう.
今までは無難で最適解になりえたものが,どんどん最適解になりづらくなっている気がする.

というより,実験的思考と数と速さをフルに回転させていかないと時代に置いていかれるという表現が少しは適切なのだろうか.

自分らしさというものを認識できない限り前に進めないような感覚を何度も,壁にぶち当たっているような時に,覚えた.

それでも,別に絶望なんかでなくて,自分次第でどうにでもなるのだという楽観が大きい.

令和時代の投稿に続く

さらば平成の世,ありがとう平成の世

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世界が豊かになるように,まずは自分がささやかな豊かさを味わわせてただきたく。