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気楽に生きればいいんじゃないのかなって話

気楽に生きればいいんじゃね?
って最近よく考えるんですよ,事あるごとに.

なんでかって言うと,よくは分からないんだけど,最近の自己背景に対する理解として…
✔︎2019年4月に退職する(ただいま,有給休暇を絶賛消化中)
→尚,無職になる模様(転職活動0┃フリーランサー予定だけど,スキル・実績ともに0)
✔︎独身(パートナーすら1年以上いない)
✔︎三十路(まぁまぁ人生の帰路)
✔︎次に賭けていくことが定まりきっていない(やりたいことを理由にフリーランスになるわけだが,やってみたいことが多く足踏みしている+住居などの環境整理の途中)
つまりやばみ

という日本の世間一般?で言うと,まぁまぁな逆境状態に突入する訳なのだが,
気楽に生きればいいんじゃね?
って思うようにしている,事あるごとに.

気楽に生きればいいんじゃね?
┃┃
死ぬこと以外かすり傷
(最近よく聞きますよね)と言い換えることができると言っても過言ではないかもしれない.

人生経験上,気楽さ(≒どこかに余裕・余白をもつこと)ほど,その人らしさを出すことができる因子(手段であり目的でない)はないのでないかと思っている.
気楽さがないことで,その人らしさを体現する人も,いるだろうけれど.

何をするにしろ,精神的に余裕がない状態で,いい生産行動はできないのかと.
もちろん,最大限の貢献意識や能力を出し切ると言った前提があった上で,気楽さを乗っけていくといった生き方のほうが,総じて幸福度にも直結する気がする(あくまで感覚的なものなのだけれど)

一方で,能力を総動員できる環境に身を置いている(精神的にも身体的にも追い込まれる,または地震で追い詰めることで能力を発揮する)ことで,パフォーマンスを飛躍させることもあるだろう.
リラックス具合・緊張具合のバランスを絶妙にとれている状況,そういう人もこの世に何人もいるかもしれない.

で,僕が考えていることを,平たく言うと
気楽さをもつことで,その人がその人らしく生きる上で幸福になりやすい
のだと考えている.

ただ「気楽さ」とはいったい何なのか
辞書的な定義を見てみる↓

[名・形動]
1 心配や苦労がなく、のんびりとしていられること。また、そのさま。「気楽な身分」「気楽に暮らす」
2 物事にこだわらないで、のんきなさま。「気楽なことを言う」
[派生]きらくさ[名]   (出典:デジタル大辞泉)

捉え方によっては,あんまりポジティブでない気がするけど,あくまで定義として参考程度に.

僕の認識・感覚だと,気楽さとは
構えていないフラットな状態
だと思っている.
完全なリラックス状態でなく,その人の自然体とでも言うのだろうか.

話は少し変わり,こんな研究があるそうで↓

【PDF】幸福感と自己決定―日本における実証研究

研究の「結語」より抜粋すると…

 多くの人は、幸福を得るために必要なものとして、所得や学歴が重要であることには異論がないであろう。一方で、人生の目標や喜びは、もっと違うことによって得られると考える者も多い。(中略)
 その結果、年齢との関係では、幸福感が中年期で落ち込む「U字型曲線」を描き、所得との関係では、所得が増加するにつれて、主観的幸福度が増加するが、所得の増加率ほどには主観的幸福感は増加せず、 その変化率の比も1100万円で最大となることが分かった。
 また、幸福感を決定する要因としては、健康、人間関係に次ぐ変数としては、所得、学歴よりも自己決定が強い影響を与えることが分かった。自分で人生の選択をすることで、選択する行動への動機付けが高まる。 そして満足度も高まる。(省略)

とのこと.

人は何故生きるのか.
生命体である以上,確実に不可避な共通体験は「生まれ」・「死ぬ」こと.

現在の僕が言えるアンサーの一つは,こうしたいという願いも含めだが,

自身の生きる目的を創るため(僕は「どう死にたいか」と表裏一体だと考えています)

いや,だってさ,そんなの全人類共通のアンサーなんてないでしょ.
自分の人生は自分で選択することができる.

どう生きたいかなんて,変わっていいし,その欲望や世界の見え方も自身が何で形成されてきたか(様々な経験:どのような環境で育ち,何を食べ,何を表現し,何を感じ,誰と生きてきて,何を大切だと感じるか)によって,異なるのは人が違えば当然だ.
置かれている環境によってその蓄積も変わるので,変わること自体はなおさら自明.

であるならば,その時々によって,自分がどうしていきたいか・どうやって死にたいかを最善だと思う形を目指し方針づけていけばいいのだと思う.

なんかそういう過程も含めて,偶然も必然も出会いが運んできてくれるもので,あるいは自分から掴みにいくもので,自分がどのように世界を見ていくのかなんてやてみなきゃ分からないわけです.

ならばこそ,
気楽にやってみっか思考でいいのでは
と,帰結するわけなのだ.(急に軽い)

また,「充実した人生を過ごすには」という話題は時々聞いたり話したりすることがあるかと.
そんな問いがある時に,僕は大好きな『Tedx』で↓の動画を思い出す.

一言かつ雑に要約すると,
誰かの何かに貢献した時に,幸福実感を受け取ることができる
という命題である.

登壇者のEndoNaokiさんが仰っていことは尤もで,自分の人生は誰かの何かに貢献してこそ,初めて生きる意味を見いだせるのでないかと僕は感じる.

笑って死に,笑って生きるために,気楽精神でいたいものですね.
前述した通り,気楽さは手段なので,気楽でいることが目的でないことを勘違いしないようにしたい.


振り返ってみると,あんまり気楽な感じな文体でない気もするし,
なんか途中で脱線しまくって,大風呂敷を広げ散らかした感じになったけれど,
割と適当に書いたので,好しとする笑

ちなみにタイトルがこれなのに,ついさっき歯の詰め物がとれてめっちゃ焦って,一瞬気楽どころではなかったw

以上

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世界が豊かになるように,まずは自分がささやかな豊かさを味わわせてただきたく。