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生き辛かった私へ①~話す事が辛かった私へ~




辛い時。私もそうだったからわかるよ。
あなたはいつか適切なタイミングに、色々なきっかけが重なって、自分で決めて、自分自身と向き合う事にすると思う。
自分の事が自分でよくわからなくて、他の人からも理解されにくくて、今は本当に生き辛くて、苦しい最中だけれど、色々ゆっくり、1つ1つ、大切な事に気づいていける。そんな日が来るから、大丈夫だよ。焦らないで。自分を信じて。辛い時はゆっくり休もう。

自分と向き合って、気づいた事は、全部当たり前と言われてる大切な事だった。
自分の事が自分でわかっていくに連れて、あなたは心が楽になっていった。
今日は、あなたにとって特に大事だったと思った事を書いておくね。


あなたは幼い頃、怖いと感じる体験をして印象に強く残ってしまった。
ずっと、人と意見の違いがある事は良くない事で、考え方の違いを話す場は揉め事の場で、それは争い事に発展する、怖い事。だと思い込んでしまった。
でもね、揉め事は、必要な事でもあったんだよね。
そもそも人の意見の違いがある事は当たり前の事。だから、ぶつかる時もある。仕方がない。
それに時には、共通の気持ちであっても、摩擦は生まれる。
共通の気持ちで、お互い同じ物事を目指しているのに、人によって目指す方法が違ったり、表現の仕方が違うから、摩擦が生まれたり、衝突してしまう。
その衝突は、お互いの気持ちを伝え合って、お互いを理解し合う為には必要な事でもあって、大切な事だった。怖くない事。
父親と祖父はね、お互いにわかりあう為に揉めていた。父親とあなたもわかりあう為に揉めたの。肉親同士で、似た者同士で、話し合いが、より感情的になってしまって、長引いたの。そう、だから揉め事は、怖い事ではなかった。


それから、
物事には、陰と陽、ポジティブとネガティブ、両極の物の見方、捉え方があってね、
その間にはグラデーションもあるの。
人は誰もが、物の見方、捉え方は自分次第で、色々な視点から自由に好きなように見て、好きなように捉えているし、捉える事が出来る。
1人1人の価値観や好みも千差万別。1人1人価値観が違うから、1人1人が感じる豊かさも、感じる幸せも美しさもそれぞれ違う。
体質も気質も特性も、色々な特徴も個性も、誰も皆それぞれ違ってる。
それら違っている全部、それぞれを尊敬して、尊重する事が平等だと思うよ。
誰もが多様性の中の1人だと思う。
だから自分と誰かを比べなくていいし、自分の事も、誰かの事も、差別しない。


それから、あなたは、自分の本音は言ってはいけないと、自分の言葉はまわりの人を傷つけて、自分も傷つく事、と思っていたけれど、
そんな事はなくてね、それも体験を極端に印象づけて受け取っていて、思い込みをしていた。
その思い込みから、相手を傷つけたくないっていう気持ちを持って、本音は言えなかった。言わなかった。
本音を言わないその奥にあったのは、傷つく怖さから逃げてる気持ちと、相手を傷つけたくないという優しい気持ちがあったね。
でもね、言っていい。傷つかないし、傷つけないから言っていい。
逆にね、本音を言葉で伝え合わないとお互いにどんな事を考えていて、どんな気持ちなのかわからなくて、それで傷つき、傷つけてしまう事がある。
自分はこう思う、と本音は言ってもいい事だよ。
それに、本音はね、相手を大切にする事に繋がってる。だから素直に優しく、葛藤があるのならその葛藤ごと、自分自身に語りかけるようにね話したらいいんだよ。
もしも言いたくなかったら、無理には言わなくてもいいけれど。


最後に、1番気づくのに時間が掛かった事。
ずっと、自分の中でわからなかったけど、
「想像」と「察知」の違いだったんじゃないか、と思うよ。
会話をしている時、相手の表情や仕草から、相手の気持ちが頭にパッと浮かぶ時があったよね。
それは、幼い頃の体験で、置かれた環境で自分で自分を守って安全に生きていこうとする為に、本能的に身に着けてしまった特性だと思う。
あなたにとっては幼い頃からいつもの事で、誰もみんなそうなんだとかそうじゃないんだとか、敢えて全く思わない事。考えた事がない、当たり前の事だった。
あなたにとって普通の事で、誰もみんな普通にそうなんだと思っていた。思い込んでいた。
でも、そこも、みんなが全員がそうではない。
そういう人もいれば、違う人もいた。
自分にとっての当たり前の事は、誰にとっても当たり前の事ではなかった。(それぞれの特性。善悪や正誤、優劣ではなくて。)
自分にとっては当たり前の事でも、誰かにとっては当たり前の事ではなかった。その逆もそう。
誰かにとっては当たり前の事でも、自分にとっては当たり前の事ではなかった。
自分にはわからない事を理解する事って、とても難しい事かもしれないよね。でも、そういう事もある事、忘れないでいようね。
当たり前の事、当たり前ではない事、わかる事、わからない事、全部含めて多様性なんじゃないかな。


あなたが幼少期から、相手の心の奥にある気持ちを汲み取ろうと配慮する事に意識が向かわなかったのは、その時既にもう、あなたの頭の中に、相手の気持ちが浮かんでいたからだったと思う。


頭に浮かんでいた相手の気持ち。それは共感能力で察知していたのかもしれない。
そうなのかどうなのか、正直よくわからないけれど、私は自分の中では納得する答えの1つに感じたよ。
ずっと自分の中の思考回路を、相手を見て、相手の話しを聞いて、相手の立場に立って、自分が、相手の気持ちを瞬時に頭で  "想像している"  と思ってた。
瞬間的に相手を思いやり、相手の気持ちを想像して、頭に思い浮かべていると思ってた。
相手に  "共感している"  という認識はなかったから、共感能力で  "察知している"  と何かの記事や動画で目にしても、自分は違う...と思ってた。
そもそものそれを、自分で共感能力だと思っていなかったから、自分で自分の事がわかりそうでわからないという感覚で、頭を抱えて苦しかった...。



②に続きます。
お読み頂き、ありがとうございます。






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