主体的に考えるために ストラテラ服用日記342日目

先日の主体的に動くという話の続き。


主体的に動けるとは、自分の価値観で考えて動くということ。責任は自分で取る。


自分で納得していいと思ったものを取り入れて、納得しないものは取り入れない。
アドラー心理学でいう自分の課題。最終的に責任を取るのが自分であるなら、どんなに文句や批難を言われようと自分の納得した方法でやる。

頭で分かっていても、やはり他人の意見は気になるし、指摘されれば動揺する。自分の責任は分かるが、自分の決定に自信が無いとどうしても心が波立つ。


他人の意見に心を揺さぶられないためにも、自我の境界線(自他境界・バウンダリー)が必要。
これにはカウンセリング的な助言なり指摘が必要なのかなと思う。

他人の意見は聞くが、聞く聞かないは自分の責任。
その意見を聞かないときに相手の気分を害すとかは考えない。(考えたうえでの結果に責任が取れるなら別。忖度したうえで意図した結果にならなくても自分の責任として処理できるなら忖度してもいい。でも、往々にしてそういう時は不満が残る。)

自我の境界線を確立して、他人の意見をはじき返す。横暴はいけないが、メンタルにダメージをくらうなら、はじき返すぐらいのバリアを張るイメージ。


このバリアは、だれからも侵入されない不可侵領域。逆に言えば、その中で自分は自由に振舞うことができる。

これは多分、言われてすぐにできることではない。なのでカウンセリング的なものが必要だと感じている。


カウンセリングで認知の歪みが取れて、自我の境界線が引けたなら主体的に動く土台は出来る。
その次にやることは、自分の本心を知ることだ。それはまた次の機会に。

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