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私の成長記録③摂食障害の私

こんにちは!!
丘咲 つぐみです。

12回目の記事になります。

2度目の「その日」は突然またやってきました。
高校1年生の夏休み最終日の昼下がり、自宅でご飯を食べようと「うどん」を作りました。
特に何も変わりのない、いつも通りの時間。

いただきます!!

あれ...うどんが喉に入らない

あれ...味が分からない

あれ...どうしてだろう

具合の悪いところなんて、どこにもありません。
吐き気もないし、お腹も痛くないし、熱も出てないし、だるくもない。
夏休みの宿題だって、「イイ子」の私ですから、夏休みの初日に終わっていました。だから、新学期への不安もありません。
いつもと違うのは、ただ「うどんが喉に入らないこと」だけ。
せっかく作ったうどんでしたが、仕方なく食べることを諦めました。

この時は、まさかこの日が、

食べることに30年以上も憑りつかれ続ける人生の始まり

だなんて、想像もしていませんでした。

そうです、私は、摂食障害を発症しました。

まるで、ジェットコースターのように急加速で食べることを拒絶するようになりました。

食べられるものと言ったら、葉物野菜とこんにゃくくらい
家の外では水を飲むことで精一杯
飴を口に入れても吐き出してしまう
お肉やお魚は見るだけでも吐き気がする
身近な食べ物全てのカロリーを見ただけで計算できるようになる
野菜を食べただけでも罪悪感と恐怖で体中が埋め尽くされる
傘の柄よりも太い足に憎悪が溢れる

元々、相当に太っていたこともありますが、冬休みが始まる頃には30キロも体重が減っていました。

摂食障害の原因の一つに、親子関係の歪みによる自我の未構築があると言われています。
親子関係の歪みにより、家庭の中で緊張状態が続いていると、子どもは親の機嫌を損ねないように、機嫌をうかがい、日常生活において不安と緊張を高めたまま成長していきます。そうすることで、ほかの人の目を気にしながら、ほかの人の考えに合わせて成長していく形を取っていきます。
そのようにして成長していくと、思春期に突入したころになって、「あなたはどうしたいの?」と問われた時に、自分の思いや考えが何もないことに気付きます。
そんな時、何かのきっかけで「痩せた自分」褒められる体験をしてしまうと、

痩せていれば褒められるんだ
痩せていれば喜ばれるんだ
痩せていれば認められるんだ

という認知の歪みが生じてしまします。

表現を変えれば、

痩せていないと認められない
痩せていないと見捨てられる

という不安が大きくなり、太ることへの恐怖が巨大化していくのです。
更に、ここへ完璧主義のような性格が加わると、納得できる状態に達成するまで徹底的に追い込むようになり、

体重が増える自分=努力が足りないダメな自分

という考えに陥ってしまします。

私の場合、まさにこの「摂食障害の見本」のような状態に陥ってしまいました。
最初は拒食の状態が続き、体重が23キロまで落ちたこともありました。
それでも、自分の認識としては「太っている」と思ってしまう程に、私の認知は歪んでいました。
その後は、過食嘔吐の時期と拒食の時期を繰り返し、70キロ近くまで体重が増えたこともあります。

太ってしまっている時期は、当然に自分の状態を受け入れることは出来ません。

自己嫌悪で起き上がれない程に身体が重くなる
見難い状態を曝すなど「死」も同然なほどに恐怖なため、社会すべてとの関りを断絶する
「太った」ことを原因に自殺未遂をする

ただ「太る」という自分の状態の一つが変わっただけなのに、自分の存在全てを否定する思考になってしまうのです。

拒食で酷い「痩せ」の状態を知っている人が、私を見てこう言葉を掛けられることがよくあります。

つぐみちゃん、健康的になってきたね

「健康的」という言葉は、誉め言葉か慰めのつもりでおっしゃるのかも知れません。でも、身体の一部やほんの一瞬だけお会いした人の顔を見ただけで、

健康的になったね
健康そうね
お元気そうね

のような言葉がけをすることは、とても凶器になり得ると思います。
実際私は、この言葉がけ一つをきっかけに、取り乱し、トイレに駆け込み憑りつかれたかのように嘔吐を始めます。そして、獲物を狩る獣のようにスーパーやコンビニで食べ物を買い集め、食べては吐き、食べては吐きを繰り返すのです(この間の記憶はすっぽり抜け落ちます。毎回、気が付いたときには、食べ物の残骸が部屋中に広がっていることで初めて意識することができます)。さらに、この日をきっかけに社会との一切の交流を断絶する日が始まります。たった一言の「健康的になったね」という10文字だけの凶器がここまで追い込むのです。

それなら、また拒食の状態に戻れば良いのでは?、と思われるかも知れませんが、「摂食障害」という病気は、自分の意思だけで自由自在に思考を変えられるような単純な病気では無いのです。

依存症の一つで、「食べること」に対する依存とも言われていて、食べることに取り付かれています。
薬物依存やアルコール依存と同じです
目の見える範囲に「食べ物」が存在する、「食べ物」に似たような物が存在する、ただそれだけで、頭の中は食べ物のことしか考えられないようになってしまいます。

こうして、私は食べ物に憑りつかれた人生を30年以上送り続けることとなりました。
現在は、「食べること」も「太ること」も随分と気にならなくなりました。
でも、完全に治ったということではありません。
何しろ「依存症」なのですから、きっと生涯に渡って、自分の中で折り合いを付けながら上手に付き合っていくのだと思います。

今でも、会食の席につくときは、恐怖に怯えながら一口のご飯を口に運んでいることなど、きっと、誰も気付いていないことでしょう。


※ 摂食障害には、大きく分けて次の3種類があります。
  ➀ 拒食
  ➁ 過食
  ③ 過食嘔吐
 今回は、このうち➀の拒食の状態について書かせて頂きましたが、当事者としては、拒食、過食、過食嘔吐のどの状態のときも、違う種類ではあるものの、同等程度の苦しみがあるものと考えています。



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