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ガウディの知られざる日常を知る(山村健)

山村健の「建築家の書棚から」第1回
Gaudi: A Biography” by Gijs van Hensbergen 2001年11月
伝記ガウディ
著:ヘイス・ファン・ヘンスベルヘン 訳:野中邦子
文藝春秋 2003年2月

「ガウディに関してオススメの本はなんですか?」

これまでに私が受けた質問で一番多いものではないか。それもよく、講演会や授業の後に尋ねられるものだ。1時間半程度の講演や講義で全てを伝えることは無理だが、ガウディに興味をもち、もっとガウディを詳しく知りたいという方々に、私はこの本をオススメすることにしている。

伝記ガウディ』(ヘイス・ファン・ヘンスベルヘン著、野中邦子訳、文藝春秋、2003年)。

A.ガウディに関連する本は世界中の言語で数多く記されている。私の書斎は、壁一面がガウディの本で埋まっている。その多くが建築の視点から書かれたものだ。構造的な特徴を解説した本、有機的な形に潜む合理性を解いた本、生涯のパトロンであるグエル伯爵との関係の本、さらにはモノクロ時代の写真集や素描と図面を集めたもの、そしてガウディが記した日記の注釈本など、様々なものが存在する。

その膨大な本の数のなかから本書をオススメする理由は、他の本にはない二つの特徴を持っているからだ。一つ目は、ガウディの設計方法が、様々な協力者や職人の視点から描かれている点である。作者は綿密な調査の上に物語調で語り、さらに協力者の視点からガウディの建築に向かう姿勢を描くことで、彼の人となりを浮かび上がらせようとしている。

二つ目は、ガウディの人間味あふれる日常の生活が生き生きと描かれている点である。彼の日常は意外と知られていないが、その生活や思想の背景には、カタルーニャ文化や歴史が大きく関係していることを伝えてくれる。
読者はガウディを介して、カタルーニャ文化も学べるような内容となっている。ガウディの建築の形からは、彼の人格は小難しい人のように捉えられがちだが、その予想が覆されるようなストーリーが随所にちりばめられ、読者にとって非常に共感しやすい内容となっている。

ガウディが重視した職人との“協働関係”

ここでちょっとだけ、本文を覗いてみよう。

ガウディは大判の図面や石膏モデルを抱えて、よくバディア工房に立ち寄った。そんなとき、職人のオニョスは身を隠すか、さもなければ仕事に没頭しているふりをした。ガウディが嫌いなわけではなく、貴重な時間をとられるのが惜しかったからだ。オニョスにしてみれば、ガウディは彼を困らせるためにわざわざ空間処理や技術上の難問をもちこんでくるように思えた。ガウディは同じ答えを二度出すのでは満足しなかった。いったん出した答えはもう用済みになってしまうのだ。リョイス・バディアが相手をしてじっくり話し合う。やがてガウディが帰ると、やっとオニョスは顔を上げ、問題はなんだったのかと尋ねる。ガウディはいつも気楽そうに、金属を加工するのは人間ではなく自然の力だといいたげな態度だった。これほど無理な注文をするクライアントはいなかったが、その一方でこれほど刺激的な仕事相手もなかった。バディアはのちにこう語っている。「ガウディと一緒に仕事した者は、誰一人として彼の影響を逃れられなかった。あんなに激しくアイディアの渦巻く海が隣にあったら、こちらの気持ちまで波立たずにはいられない。」(p.170)

これは一人の職人の回想の場面である。ここからガウディの建築やものづくりに対する人となりがわかる。
ガウディは自分自身のことをこう述べている。「私の唯一の長所は、私のもとで働いている人々の一人一人が仕事を充分にできるよう、彼らの能力を引き出すことにある」。
それゆえに建築のことになるとガウディの透き通った青い眼は鋭くなり、周囲の人間も背筋が伸びる思いで制作に集中した。トップダウン式の制作方法ではなく、彼が職人にお題を投げかけ、それに応答するように職人が手を動かす。それは近代的な設計事務所の体制ではなく、アトリエや工房のスタイルだ。それはガウディ自身が職人の家系に育ったことに依る。

彼の父は銅版器具職人であり、一枚の銅版から複雑な立体をリウドムス村内の工房で制作していた。その姿を幼少期から観察していたガウディのものづくりの姿勢は、あくまで職人であり協働でつくるものだった。このような職人との関係の中があってこそ、様々な独創的な作品が考えられ、生まれていったのである。
このように、本書は職人の視点から書かれている。そこから浮かび上がってくるのは、真摯に建築に向き合おうとしたガウディと、協働でモノをつくることに情熱を傾けた彼の人となりだろう。

ガウディの指針となったカタルーニャ文化

その一方で、ガウディの日常がカタルーニャ文化といかに密接に関わっていたかも知ることができる。

建設現場は、当時、完全に調和のとれた理想のキリスト教コミュニティと見なされていた。ここでは尊い労働が日々の生活とうまく溶けあっていた。ガウディはたしかに厳格だったが、その一方で誰に対しても公平だった。社会保障制度など存在しなかった時代に、六十五歳を超えた高齢の職人を辞めさせず、ときたまの仮眠を許し、ロウソクに火をつけるとか飲み水を運んでくるといった軽い仕事をさせていた。知らないうちに、大工の一人が空いている土地を菜園にして家族に食べさせる野菜をこっそり作っていたことがあった。それを知ったガウディはすぐに全員を集め、キリスト教徒らしい倹約の工夫を見習うようにといった。そのお返しに、ガウディのもとにはかごに何倍もの野菜が届けられた。彼にいわせれば、シエスタの時間の使い道としては、近所の酒場にしけこむより、菜園の手入れをしたほうがはるかに有益だった。」(p.290)

カタルーニャはキリスト教の地域である。ガウディも熱心な信者であった。アントニ・ガウディの「アントニ」は、聖アントニウスから継承された名前だ。聖アントニウスはエジプトの砂漠の中で禁欲的な生活をおくった聖人である。ガウディのキリスト信者としての厳格さはそれに由来すると言われている。
その一方で、高齢者や若者問わず、万人に対して平等に接する姿勢もキリスト教精神であるといえるが、上のような人となりは、知られざるガウディの人間らしさの一面であるといえる。一つ目の引用にもあるように、ガウディは協働した人々の気持ちを慮る人間味あふれる建築家であることが伝わってくるのではないだろうか。

建築とは、それに関わる人間の“人となり”が表出する芸術

本書は伝記としてガウディの一生を鮮やかに描いている。しかし、本書にはもう一つ大事な意味があるのではないだろうか。
これは私の持論だが、建築というのはその建築に関わった全ての人間の人となりが、かたちとして表出する芸術であると考えている。建築家は図面を描き、模型を造り、イメージ図を作成して、空間を構想する。しかし、建築は建築家一人ではできない。実際にはクライアントがいて、建築を造る施工者がいて、職人がいる。それに加えて時代ごとの社会的状況、場所ごとに異なる文化的背景などの様々な因子が一つになって完成するものなのである。

代表作のサグラダ・ファミリア教会を想像してほしい。ガウディが遺した数葉のスケッチをもとに、今も多くの人々が完成を目指して建設している。そのデザインには賛否両論ある。しかし、それ以前にサグラダ・ファミリア聖堂建設現場が我々に投げかけているメッセージがある。それを考える際に本書を読み返してみると、近代以降、急速に発展した社会において、求められる作業効率性や経済的合理性は重要な指針だが、データや数字では測ることのできない重要なものがあると考えさせられる。伝記はその作家の人生を描くものであるが、読み手の生き方にも何か示唆を与えてくれるものであるとするならば、本書はものづくりの姿勢に対する根本的な問いを投げかけてくれているのではないだろうか。

もし、本書を読みたいと思う人がいたら、はしがきを飛ばして「1:空間と状況を把握できる人びと」から読み進めることをオススメする。

最後に、もう一言。私がガウディの研究に着手したのは卒業論文であった。そこで生涯の師となる入江正之先生と出会い、そして一番最初に勧められた本が実はこの『伝記ガウディ』であったことも、本書を推薦している大事な理由である。

※ガウディーーAntoni Gaudí i Cornetが一般的な正式名であり、日本語ではアントニオ・ガウディ、もしくはアントニ・ガウディと記されることが多い。前者はスペイン語、後者はカタルーニャ語として翻訳した場合であり、いずれも正解である。近年はカタルーニャの建築家として扱われることが多く、アントニがより普及されていくと思われる。
執筆者プロフィール:山村健 Takeshi Yamamura
1984年生まれ。2006年早稲田大学理工学部建築学科卒業。2006-2007バルセロナ建築大学へ留学。2009年早稲田大学理工学研究科建築学専攻修了。2012年早稲田大学創造理工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。その間、建築家入江正之に師事。2012-2015年フランス・パリ在Dominique Perrault Architecture勤務。2015年より早稲田大学理工学術院創造理工学研究科建築学専攻講師(現職)。2016年建築設計事務所YSLA|Yamamura Sanz Laviña Architects をNatalia Sanz Laviña と共同主宰。


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