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宗教も元をたどれば「フェイクニュース」だった?(倉田幸信)

倉田幸信 「翻訳者の書斎から」第3回
"21 Lessons for the 21st Century"
Yuval Noah Harari 2018年9月出版
『21世紀のための21の教訓』 ユヴァル・ノア・ハラリ

全世界で800万部も売れた『サピエンス全史』でいきなり時代の寵児となったイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ。数万年という時間軸で人類の歴史を俯瞰し、今の繁栄の基礎となったのが民主主義や国家という「フィクション(虚構)」であると見抜いた同書は、各方面で絶賛された。続く『ホモ・デウス』でハラリは視線を遠い未来へと向け、データとアルゴリズムが人類をどう変えていくか、SFのようでしかも説得力のある未来像を描いた。

この二作で世界中の識者やマスコミの尊敬を勝ち取ったハラリは、「世界中の人が現代のあらゆる問題について最も意見を聞きたい人物」になったと言っても過言ではないだろう。実際、最近だけでもガーディアン、NPR、CBSニュース、アトランティック、アルジャジーラ、オブザーバー、タイムズとあらゆる一流メディアが彼にインタビューしている。テーマはAIからドナルド・トランプ、中東問題までなんでもござれだ。

そのハラリが、過去でもなく未来でもなく、現代が抱える問題について書いたのが本書『21世紀のための21の教訓』だ。9月頭の発売と同時にベストセラーになるのも当然である。本書でハラリが取り上げたのは次の5つのジャンル、21のテーマだ。

<テクノロジーの課題> リベラリズムへの幻滅/仕事/自由/平等
<政治の課題> 共同体/文明/ナショナリズム/宗教/移民
<絶望と希望> テロリズム/戦争/謙遜/神/世俗主義
<真実> 無知/正義/ポスト真実(フェイクニュース)/SF
<レジリエンス(回復力)> 教育/人生の意味/瞑想

「解決策」よりも「問題の見方」に価値がある

ハラリはまず、「今」の定義から話を始める。20世紀にはファシズムとコミュニズムに圧倒的勝利を収めたリベラリズム(ここでは民主主義や個人の自由、市場経済などを含む大きな概念)が危機に瀕している──これが現在だと位置づける。ブリグジットやトランプ大統領の誕生を挙げ、リベラリズムの中心地である欧米で、人々がリベラリズムという「虚構」を信じられなくなっている、と。そのような価値観の揺らぎが起きているところに、「インフォテック(AIやIT)」と「バイオテクノロジー」という二つの革命が結びつくことで、人は急速に主体性を失う危険にさらされている。すでに我々は、よく知らぬ目的地にドライブするとき、自分の経験と土地勘に頼るよりグーグルマップに頼るほうがはるかに効率的だと知っている。いずれ道路だけでなく、自分の欲しいものや結婚相手までもAIとアルゴリズムに選ばせたほうが確実になるのではないか。インフォテックとバイオテックの融合が「人間をハックする(乗っ取る)」ようになる。自分よりAIのほうが自分についてよく知っている時代が、すぐそこ(数世紀ではなく数十年先)にまで来ている──。これがハラリの定義する現在である。

そのような現在、我々は移民や仕事、子供の教育についてどう考え、どう対処すべきなのか──。実は本書では、箇条書きで紹介できるような具体的かつ明快な解決策は示されない。各テーマはあまりにも大きく網羅的であり、その個々についてハラリが明確な答えを出しているとは言いがたいのだ。答えらしきものを示しているテーマもあるが、どちらかというと当たり前の模範解答であったり、説得力に乏しかったりする。即効性のある明快な解決策を求める読者にとっては、本書は期待はずれかもしれない。
だが、本書の価値は問題の解決策を示すことにあるのではない。問題を「どう見るか」という視点を示すことにこそ、本書の意味がある。

例えばフェイクニュースをテーマにした第17章で、ハラリは人類がはるか昔からフェイクニュースを作り、信じることで力を得てきた、と指摘する。科学的根拠が一切ないという点では、宗教も「ポスト真実」であると。

「このように宗教とフェイクニュースを同列に扱うと、気分を害す人が大勢いるだろう。だが、まさにそれこそが私の指摘したい点なのだ。架空の話を千人の人々が一ヶ月間信じればそれはフェイクニュースだ。だが同じ話を十億人が1000年間信じればそれは宗教である」

そもそも、人間は真実にそれほど重きを置いてこなかった。真実と権力は常に二者択一だからだ。真実を追究したければ権力から離れるしかない。権力を得るには真実ではなく、フィクションが必要だ。そして人類は常に真実より権力を欲してきた──。

このような視点こそ、ハラリの真骨頂なのだ。著者はこの後、フェイクニュースに騙されないためのアドバイスもしているが、その内容に洞察と呼べるほどのものはない。価値があるのは、何万年という人類の歴史を土台にして、高所から今の問題を俯瞰するハラリの視点だ。今の問題を地上から低い目線で見るしかない凡人は、ハラリの視点を知ることで初めて問題の本質がくっきり見えてくる。もし解決策の凡庸さを指摘されたら、彼はきっとこう言うだろう。自分は歴史学者であり、歴史的な視点を提供する専門家だ。問題の解決策を考えるのは政治家や実業家の仕事である、と。

このように本書は前の二冊とはだいぶ印象が違う。前の二冊が大きなテーマ(人類はなぜ栄えたか、人類はこの先どうなるか)をじっくり掘り下げ、時間をかけて書き下ろされた本であるのに対し、本書は雑誌や新聞、ウェブなどに掲載された著者のインタビューや質疑応答をベースにした一種の「詰め合わせ」である。だから前の二冊と重なる話も多い。音楽に例えれば過去のヒット曲を集めた「ベスト盤」だと考えていいかもしれない。

「自意識」にこそ人類の可能性があるかもしれない

意外なことに、本書の最終章のテーマは「瞑想(メディテーション)」である。本人より自分をよく知るAIに我々がハッキングされないためには、人は肉体感覚を通して自分の心や自己意識を知るべきだ、というのだ。唐突に思えるかもしれないが、その背景にあるのは「AI(人工知能)」と「AC(人工意識、Artificial Consciousness)」の違いである。これもハラリが繰り返し指摘するポイントだが、今のAI論争の多くはAIとACを混同している。AIは「問題解決のためのアルゴリズム」であって、どれほど進化してもそこに「目的のない自意識(心)」は生まれない。だからいずれロボットが人間に反感を抱き、人類を滅ぼすというシナリオはありえない。そのような間違った恐怖心は問題の本質から目をそらすことにしかならない、と。
おそらくハラリは、人類を人類たらしめた「認知」の領域で人がAIに勝つことをあきらめているのだろう。それでも人が無用の長物にならないためには、今のところ機械には絶対に持てないと思われる「自意識(心)」にこそ、今後の人類の可能性があると考えているフシがある。もしハラリが次に本を書くなら、これがテーマになるのかもしれない。

執筆者プロフィール:倉田幸信 Yukinobu Kurata
早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞記者、週刊ダイヤモンド記者、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部を経て、2008年よりフリーランス翻訳者。

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