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好きな気持ちと同じくらい〜その1〜

今日はちょっと真面目に、でも大切なことです。

実は、今年の1月くらいから同じことをぐるぐると考えています。
それは音楽のことについてです。

私のnoteをよくご覧になっている方は言わずもがなという感じかもしれませんが、私はとても音楽が好きです。
このnoteでも度々音楽のことについて書いてきました。(今調べたら、投稿した45記事のうち、13記事は音楽のことについてでした。)

んで、私と音楽の間にはとても長い歴史があります。17年以上。
その期間中に実は、音楽のことを嫌いになったりもう一生聴きたくないと思ったりしたことがありました。紆余曲折、ヴァリアス。

今回からの記事は、少し重めだけど時間をかけて向き合いたいと思っている「音楽と私」について書きたいと思います。
〜その1〜は私と音楽がどのように時間を共にしていたか(小学校まで編)について。
ほぼ自分史のような感じです。かなり長くなると思いますが、読んでくださったら喜びの舞。


気がついたら歌っていた〜小学生になるまで〜

何もフィクションのようなことではございやせん。物心つく前に合唱団に入っていましたというだけです。
理由も単純。兄がその合唱団に入っていたからでした。
様々些細な記憶はたくさんありますが、全体の印象としては
「たくさんのお姉さんたちがたくさんお話ししてくれて楽しかった」
くらいです。
なぜその程度の記憶しかないかというと、その合唱団は小学校に入る前に解団してしまったから。
多分終わる時はさみしかった。

ピアノと歌、出会い〜小学生の頃〜

小学校1年生の夏頃に家の近くのピアノ教室に通い始めます。こちらも兄が通っていたところ。
「なぜピアノ?」
と問われた時には
「合唱団が終わってもまだ音楽を続けたかったからピアノを始めた。」
と周囲には答えていますが、それは母がそう言っていたから。
実際のところは、そんなに強い気持ちがあるわけでもなかったような。
でも、新しいことを始めるのは嬉しかったのではと思います。子供だから新しいもの好き、そのくらい。どんな気持ちだったかはあまり覚えていません。

このピアノがですね〜〜〜、苦い思い出たくさん!いっぱい!溢れる!という感じです。笑

とても練習嫌い

全く弾けるようにならないまま発表会の日が近づく

焦った母が私に無理矢理練習させようとする

我、泣きながら練習する「なぜピアノなんか始めたんだ!(心の声)」

発表会をなんとか乗り切る(乗り切れていたのか?)

「発表会のために練習しなくて良い」という解放感でさらに練習放棄

発表会近くになり、同様に母から怒られる

続く。

といった感じ。よくいる「ピアノ習っているけど練習嫌いな子」です。
ちなみに先生は天使のように優しいです。それゆえ母が強く言っていたというところもあるかと。

(余談ですが、このことを思い出すとクインテットの「練習だいきらい」という曲を思い出します。
だから練習は きらい きらい だいきらい!!!)

そして、以前まで習っていた合唱も規模を縮小してボランティアという形で続けていくこととなりました。(これも経緯をあまりよく覚えていない。)
こちらもですね〜〜〜、練習が嫌いでした。(「練習まるっきりダメじゃん。」ということは置いておいて。)
小さい頃からやっていたとはいえ、すぐパッと綺麗に歌えてしまうような能力は持っていなかったし、だからといって自分から「どうしてもやりたい!」と決意を持っていたわけでもなかったので、

モチベーションもあまりない&そもそもとても上手な訳ではない
→練習しない・上手くならない・母に怒られながらやらされている感満載

という図式です。

ピアノと歌、両方のエピソードを出して分かったかもしれませんが、
そもそも好きで音楽をやっていたわけではなかった、半ば強制的にやらされていた
という状態だったのです。
もちろん今となっては当時の経験は財産となっているし、やっていてよかったと思うことはたくさんありますが、少なくとも当時は嫌々やっていたという要素が強めでした。

そんな私にも転機が訪れます。それはSEKAI NO OWARIとの出会いです。

いつものようにぼーっとテレビを見ていたのですが、その番組はMUSIC STATION。画面の中で、SEKAI NO OWARIが当時の新曲「スノーマジックファンタジー」を演奏していたのです。

私がまず惹かれたのは、セカオワのメンバーの皆さんがアイコンタクトしながら本当に本当に楽しそうに演奏していた点でした。

「こんなに楽しそうに音楽を演奏する人たち、初めて見た!!!!」

自分自身がマイナスな気持ちを持って音楽を奏でていたこともあり、私の目には彼らがとても衝撃的な存在に映ったのです。

そしてもう一つ惹かれた点、それはSaoriさんの演奏でした。
ほぼ鍵盤を見ず歌詞を口ずさみながら笑顔でピアノを弾いている姿。
一瞬で「私もああなりたい!!」と思いました。

それからというものクリスマスプレゼントでもらったiPod touchを駆使しながら、YouTubeでMVを見まくり、Saoriさんのブログを読み、毎日ライブ映像を見て、バンドスコアも買ってピアノパートをコピーし始めました。

特にバンドスコアへの食いつきはすごかったようで。
当時のお小遣いでは半年分が一気に消えてしまうような高級品だったバンドスコアは、一度親に買ってもらい徐々に返済していくという形をとっていました。
しかし、あまりにも私が夢中でピアノを弾くようになったのに驚き嬉しく思った両親は、結局バンドスコアはプレゼントということにしてくれました。それくらいのめり込んでいたということです。
私も今、夜ご飯を食べ終わった後すぐにリビングの電子ピアノへ移動して、そこから寝るまでずっと弾いていたことを思い出しました。すごい勢い。
この瞬間こそ
嫌々やっていた音楽が、心からの「好き」で演奏するものに変わった瞬間
です。

「人生を変えるのはほんの一瞬」とはよく言ったもので、そこから私はピアノに没頭。バンドコピーだけでなくクラシックの曲(教室で習っていた方)もどんどん弾けるようになりました。
(ちなみに歌はまだ苦手だった。これも転機が来ますが後ほど。)

ついには「将来の夢」がテーマだった小学校の卒業作文にて
世界一のバンドマンになる
と書いていました。
「なんたるビッグマウス!」という感じがしますが、当時は大真面目。
絶対にバンドマンになれると思っていたし、書いてあることもまあまあまともです。今読んでもそれなりに納得できる論を展開していました。フシギ。

当時はもうすでに邦ロック沼にズブズブだったので、[Alexandros]や04 Limited Sazabys、KANA-BOON、THE ORAL CIGARETTSなどなどを発掘しては「かっこいいかっこいい」と一人で騒いでいました。
(そうです、話が合う友達が一人もいなかったんです。)

「世界一のバンドマンになる」と豪語した12歳の私は、
「まずは中学校に入ってバンドを組むことが第一歩だ」と強かに計画を立てていました。
無事、中学校2年生の時に高校生の先輩たちとバンドを組む(中高一貫校でした)ことになるわけですが、これがとてつもなかった、、、、。


と、ここいらで一回区切らせてください。
3000字近く使っても中学校に入れないという、、。どんだけ細かく書き出してるんだよ、って感じですが。
私の中の「note更新しないと暴れちゃうま」がもうすぐ悲鳴を上げそうだったので、これで少しは心が持ちそうです。
次は自身を大学に入学させるところまで書きたいと思いながら、このペースでいくと〜その5〜まで出現しそうなのでほどほどにしておきます。

「あんたの過去なんて興味ないよ!ゲラゲラ!!」と笑い飛ばして後ろ指を指すもう一人の自分が出てきそう(ほぼ出てきている)ですが、その人には黙っていてもろて。
「たまには自分のことを書かせてね」と念じながら書いています。

夜遅くなってしまったのでそろそろパソコンを閉じます。

P.S.

New Feeling ver. もシンガロング感が加わってもちろん好きだけど、こちらを遡って聴いた時の衝撃と言ったら、、、。サイコウニカッコイイジャナイカ!!!

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