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感想⇔レポート(7.19)

一つ前のノートも見てもらえると、もっと入って来やすいかなと思います。合わせて観て貰えると、嬉しいですし、内容を知ってほしいですシンプルに、お願いします!

誰かの何気無い言動が、誰かを物凄く恐怖の淵に追いやったり、まるでナイフでひと突きして致命傷を負わせたり、急所を攻めたり、後遺症を残す程に心を傷つけたり、人殺しや人格殺しをして、自殺の手前や実行に至るような窮地に陥れてしまっていること、そういうことを自分がしている可能性と、そういうことをする可能性を自分が持ってしまっている抱いてしまってはいないか、と落ち着いて冷静に考えることは本当に凄く大切なことであると、今更は遅いのでしょうが、気付かせて頂いた、そう思える報告会であり共に考える集いでした。

原告である遺族の御三方のコメントは映像越しに間接的にも、強い訴えがあって、無知だった私のような人々が、こうして報告会に顔を出すことさえにも感謝や好感を示してくれた。サポートする教授や弁護士団の皆さんは登壇されて、今はLGBTと有名な言葉で説明されるけど、性自認や境遇や体験と経験を赤裸々に語ってくれたし、参加者として膨張される方々も声を震わせたり目に涙を浮かべたり、スピーカーの本人たちも時折声を詰まらせたりしながらも、発することを力を振り絞って、何でもないような私のような参加者に向けて誠心誠意を込めて、語ることに尽くしながら、教えて頂いた。

彼らが明かせない、明かさないことを決心して生きていく、そして私たちが社会をそうしてきてしまったこと、私たち一人ひとりに彼らを歪めさせてしまうような環境の一端があること、想像しても何処までも想像の域を出ることはなく、彼らにどうしているべきだったのか、過去を省みて未来のために今こそ今をどう出来るか、そのことを考えていかねばならない。私たちというのは、それまでLGBTなどの人々を包摂していなかったかもしれないし、この段落中の説明においても、敢えて力不足だった側面の人々のことを指してもいるが、これからは過去も今も未来の観点においても、私たちの中に誰かを入れないとか排除するという考えなど言語道断だし、私たちというのは、みんな一人ひとりを言う、そのことを理解しないと誰かを傷つけマイノリティーとか持ち出しては傷つけ、ちっとも解決には向かわない。どんな人であろうと一人ひとりが、本当に包括的に健全に友好的に関係性を築いて育む、そのことに傾倒したい。

ここまで偉そうに好き勝手なことをのたうち回る私だが、概要や全体像を把握など出来ていないし、こう気付きを得るまでに、よく分からないものに、人々に対して、恐怖や未知を抱き、疎んだり何処か排他的に攻撃的に、そして避けてきた部分は残念ながらあったと思う、いやあったはずだ、あったんだ、あった。今や自分なりの答えや意見で物差しを持って、そして危害を加えるなどという、禁断の行為には及んでいない。

社会そのものと、社会の中で企業や大学それぞれの自治や認識に、男女平等とかLGBT理解とかそういう御託を並べられたものに付き従っては右から左と賛成したり反対したり、何か不穏で大きな動きに騙されたり突き動こかされたりではなく、真に知ることと何が寄り添うということなのか、正解のない問いへ取り組み働きかけること、そして、再度しつこく言うように、巨大組織などに屈することなど断固拒絶して、「一橋大学アウティング事件」を忘れ去られるような風化は起こしてはならないし、この事件の決着と今後の展開についても目を離していいはずが無いことだけは、くどいようだが確かであり、絶対不可侵の事実なのである。

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