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【読書ノート】56 「Anthro Vision(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界」

著者は英国人でケンブリッジ大学で社会人類学を専攻し博士号を取得し、その後フィナンシャル・タイムズのジャーナリストになった異色の経歴の持ち主。(東京支局長として日本に滞在したこともある。)本書の原題は「人類学的視野」で2022年に出版。現在、グーグルなど始めとする欧米のハイテク企業は積極的に文化人類学者を採用しているが、これは人類学者は他者の心の中に入り込むことを学び、異文化を理解するだけでなく、インサイダー・アウトサイダーとして新鮮な視点で自らの環境を評価し、別の視野を得るのに役立つからだという。

この人類学的視野を活用することで、経済分野、金融業界やハイテク産業などでも広い視野と「WHY」を突き詰める視点を確立し、多くの人たちが「見えていないもの」を正しく「見える」ようにすることがいま求められている。それによって社会も組織もより良い方向に変化していくのではないかというのが著者の考えである。

実は私自身も大学時代に文化人類学を専攻して、その後ハイテク企業で勤務した経験もある。私が確固たる人類学的視野(アンソロ・ビジョン)を持っているかどうかは定かではないが、文化人類学は未開民族の研究だけ留まらない奥の深い優れた学問体系であることは理解しているつもりである。その意味で、日本の企業も大きな進化を続ける欧米のハイテク企業同様、この「人類学的視野」を導入することをお薦めする。この本はその理解の大きな一助になるのではないかと思われる。

【目次】
まえがき もうひとつの「AI」、アンソロポロジー・インテリジェンス
第一部「未知なるもの」を身近なものへ
第一章 カルチャーショック――そもそも人類学とは何か
第二章 カーゴカルト――インテルとネスレの異文化体験
第三章 感染症――なぜ医学ではパンデミックを止められないのか
第二部 「身近なもの」を未知なるものへ
第四章 金融危機――なぜ投資銀行はリスクを読み誤ったのか
第五章 企業内対立――なぜゼネラル・モーターズの会議は紛糾したのか
第六章 おかしな西洋人――なぜドッグフードや保育園におカネを払うのか
第三部 社会的沈黙に耳を澄ます
第七章 「BIGLY」―トランプとティーンエイジャーについて私たちが見落としていたこと
第八章 ケンブリッジ・アナリティカなぜ経済学者はサイバー空間に弱いのか
第九章 リモートワーク――なぜオフィスが必要なのか
第十章 モラルマネー――サステナビリティ運動が盛り上がる本当の理由
結び アマゾンからAmazonへ――誰もが人類学者の視点を身につけたら
あとがき 人類学者への手紙


以下、気になった個所を抜粋:

投資銀行協会の会合はタジキスタン人の結婚式とまるで変わらない、と私は思った。 どちらも集団の社会的絆と世界観を共有し、強化するために、儀礼や象徴を使っていた。タジキスタンではそれが結婚の儀礼、 踊り、刺繍入りのクッションの贈り物といった複雑なサイクロを通じて行われた。 一方コート・ダジュールの投資銀行の面々は、一緒にゴルフコースを回ったり、明かりを落とした講堂でパワーポイントを眺めたりしてるあいだにも、 名刺を交換し、酒を酌み交わし、ジョークを飛ばしあっていた。どちらのケースでも儀礼と象徴が、共有された認知地図、バイアス、前提を確認すると同時に再生産していた。

118

・・・新型コロナ・パンデミックは産業界に狭い視野の危険性、企業の財務や経済という狭いレンズで未来見ることのあさを突きつけた。それが広い視野を持とうとする意欲に火をつけている。さらにパンデミックはあらゆる人に科学を無視すること、あるいは地球の裏側の、一見自分たちとは無縁の世界で起きているニュースを無視することの危険性も示した。気候変動問題もこの2つの点と関連がある。気候変動に立ち向かうには狭い視野ではなくて広い視野、そして世界を繋がってるという意識が求められる。
一方、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性の問題はこれからも厳然と続いていくだろう。 ESGという略語が VUCAの反応として生まれてきたことを思えば、 人類学の視点に似たモノの見方への転換とともに、その流れは続いていく可能性が高い。 「エスノグラフィーの視点はモラル(倫理性)への架け橋ともなる」とノルウェイのサステナビリティの研究を続けるホルムズは指摘する。「何より重要なのは耳を傾ける姿勢だ」

304

20世紀には数々の強力なツールが生み出された。経済モデル、医学、金融予測、ビッグデータ・システム、そしてアレクサの内部にあるようなAIプラットフォームなどだ。 それ自体喜ぶべきことだ。しかし、コンテクストや文化を無視すれば、こうしたツールは効果を発揮しなくなる。 コンテクストが変化している状況ではなおさらだ。
私たちは見過ごしているものを見る必要がある。「意味の網の目」と文化が、自らの世界の捉え方にどのように影響を及ぼせるかを理解しなくてはならない。 ビッグデータは何が起きているか教えてくれても、それがなぜかは教えてくれない。 相関関係は因果関係ではないからだ。あるいはアレクサのようなAIプラットフォームは、私たちが環境から受け継ぐ、 矛盾に満ちた意味のレイヤーを読み解いてはくれない。どのように記号が変異し、アイディアが移動し、習慣が混じりあっていくかも教えてくれない。

308

では、どうすればアンソロビジョンを見つけられるのか。本書では少なくとも5つの方法を提案した。
①誰もが自らの生態学社会的、そして文化的な環境の産物であることを理解する。
②自然な文化的枠組みは1つではないと受け入れる。 人間のあり方は多様性に満ちている
③ 他の人々への共感を育むために、たとえわずかな間でも繰り返し 他の人々の思考や生き方に没入する方法を探す。
④自分自身をはっきりと見るためにアウトサイダーの視点で自らの世界を見直す。
⑤その視点から社会的沈黙に積極的に耳を澄まし、ルーティーンとなってる儀礼や象徴について考える。ハビトゥスセンスメイキングリミナリティ、偶発的情報交換、汚染、相互依存、交換といった人類学の概念を通じて自らの習慣を問い直す。

309-310

もっと多くの人がアンソロビジョンを身につけたら何が起こるだろう。劇的な変化が起こるかもしれない。経済学者の視野が広がれば、マネーや市場だけでなく、多種多様な交換を考慮するようになり、環境などかつて外部性と位置づけられていた問題も注目されるようになるだろう。経済学者は自分たちの部族的パターンが視野を狭くしていたことも気づくだろう。(すでに気づいている経済学者は評価したいが、まだ少ない)。
・・・ハイテク業界にも同じことが言える。本書で見てきたように、ここ数十年にわたって多くのハイテク企業が人類学者を採用し、 顧客の理解に努めてきた。それは評価に値する。だが、今ハイテク業界に切実に求められているのは、レンズの向きを逆にして自分たちが理解することだ。(金融関係者と同じように)ハイテク業界の人々も一般の人から見れば倫理感にかける思考の枠組に陥っている。 例えば、効率性、イノベーション、ダーウィン主義的な競争を信奉し、人間について語る時までコンピューティングの用語やイメージ(ソーシャルグラフ、ソーシャルノードなど)を持ち出すところだ。

311-312

(2004年2月20日)


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