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指定文化財「結城紬」と人生ストーリー

小田さんと10年以上お付き合いがある、老舗呉服屋の「ゑり華」さんにお邪魔した時の一コマです。

この日は、「ゑり華」さんで結城紬(ゆうきつむぎ)の展示会がありました。
国の重要無形文化財に指定されている「結城紬(ゆうきつむぎ)」を作られている老舗呉服店「奥順」の専務「奥澤さん」が来られていました。

奥澤さんと小田さんは昔からの知り合いということもあり、小田さんに結城紬の説明をしてくれました。

結城紬の原料である繭(まゆ)はブァーーと舞う♪

奥澤さんは結城紬の原料であり繭についてこう話してくれました。

「繭(まゆ)を重曹と一緒に煮ると、繭がピンポン玉くらいに膨らんできます。繭は蚕(かいこ)が食い破って出てきた部分だけ薄くなっているので、膨らんできたものは、指で押すと、裏っ返しにできます。

5,6枚重ねて開くとこれになります。

だから、こうやって分裂するんです。

で、これ広げると驚くくらい広がるんです。

五層になってるので、こうやって引っ張ると分かれるんです。

高く持てもらって

放してもらうとこうなります。

これは綿が軽いのもそうなんですけど、空気をたくさん含んでいるので浮力が生まれます。結城紬(ゆうきつむぎ)が温かいのは、真綿から〝より〟をかけずに糸を取っていくからです。


結城紬は世界で唯一無撚糸(むねんし)で作られている

ここまでできたら、職人さんたちが唾液で一本にするんですが、指で真綿をよるんですけど、スタートの部分だけよって、後は引っ張るだけなんです。

だから、よった部分も元に戻るんです。
(ねじってとめてないということですね)

これを無撚糸(むねんし)と呼びますが、この無撚糸を使っているのが世界中探しても結城紬しかありません。日本の糸の中で唯一、ユネスコ無形文化遺産に指定されているんです。


結城紬の糸とさっき食べたうどんの成分が同じ?

一反(いったん)分の糸をつむぐのに、3か月かかりますが、結城紬の着物を作るのに、これを400枚使います。

こうやってできた無撚糸(むねんし)を使って6か月~8か月かけて織るのです。

さっき、小田さんが食べたうどんは、この糸を補強する〝のり〟と一緒の成分なんです。

うどん粉のりで糊付けして糸を補強しています。
普通の生糸だったら、数本の糸をよって作っているので強いんです。
だから、フノリと言って海藻から作ったのりを使うんです。

でも、結城紬だけはうどん粉(小麦粉ノリ)を使っています。

海藻系のフノリは補強力が弱いんです。
生糸はよって作るので、もとが強いのでフノリでもいいのですが、結城の糸はよってないので繊細な分、フノリでは補強しきれないんです。

だから、補強力の強いうどん粉(小麦粉ノリ)を使っています。

でも、この糸を使うから後々大変なんです。

小麦粉ノリは、水に入れても溶けないんです。
今はでんぷん質分解酵素を使って溶かしちゃうんですが、昔は真水しかなかったので丁稚(でっち)さんに着させたり、自分が寝間着として着て、こなれてきて初めて外で着ていたんです。


結城紬とアンティーク家具

結城紬はこなれた感じがカッコイイんです。
逆に新品は逆にピカピカはカッコ悪いんです。
経年劣化ではなく、時を経るほど価値が上がるのが結城紬です。

だから、いっぱい着て(アンティークの家具のように)時代を経て使っていくうちに光沢が出てきます。

これは5~60年たった結城紬です。

だから、小田さんの結城紬の着物はいづれ、息子さんいゆずっていただくのがいいということです。


平織りとちぢみの違いとは?

これが「平織り」の作り方ですが、平織りは横には伸びません。

一方、「ちぢみ」は手で取った糸によりをかけるんです。

よりをかけると糸自体がスプリング状に縮みますが、このよりをかけた状態で強引に伸ばして、小麦粉ノリで固めてしまうんです。

そうすると、本当は縮みたいけど、固まってるので縮めない。強制的に真っ直ぐにされた糸を使って織ってしまう。

反物になった状態で、初めてお湯に入れて小麦粉ノリを落とすとーー、強制的に真っ直ぐにされていたのが解放されて、一気に反物が縮みます。

そうすると、縮んだ分、表面に凹凸ができるんですよ。

凹凸があるので、梅雨時や、じめっとした時期に、肌への接地面が少なくなるので涼しく着れるんです。

隙間が空いている分、熱も外に出ていくやすいんです。昔は冷房もなかったので、こうやって工夫していたんです。

ちなみに、今着てるのが〝ちぢみ〟を使った結城紬です。

これは昔の見本帳ですが、昔の〝ちぢみ〟の方がよりが入っていたんです。

昔はちぢみが出ることを「しぼが立つ」とも言っていましたが、手で紡いだ糸の中でも、よりいいものだけを選んで作ったのが、ちぢみの結城紬です。


年間2/1000反しか作れないちょーレアな結城紬の反物

こちらは糸を作ってから織り終わるまでに、3年かかったものです。

15個の点の集まりで1つの亀甲ができるんです。

模様をまず作らないといけないので、糸の段階で色染めしていきます。

細い糸でないと、こういう細かい柄は作れないので、糸をつむぐだけで1年以上かかってしまうんです。

それを縦と横の柄を合わせながら作っていきますので、うちでも全部で1000反くらい結城の反物を作っていますが、生産されている中で1,2反くらいしかできないんです。

でも、それよりスゴイのがこれです。


2000年の結城紬の歴史の中で2反しか作れなかった、ちよーちよーレアな反物

1ミリもない間隔で50本くらい束になってる糸を木綿の糸でくくっていくんです。

で、染め上げていくんですがくくった部分だけ染め上がらず白く残るんです。
全部、染め上げて最後ほどくとこの点々の集まりになるんです。
250個亀甲が入っています。

米粒以下ですが、ちゃんと亀甲の形になっているんです。
これは結城紬2000年の歴史がありますけど、二反しか織られていないうちの一反です。

値段で出すと、1億くらいです。

この160亀甲が今、うちで作ってる年間2000反のうち1~2反ですが、この上に200亀甲っていうのがあるんです。

今はもう200亀甲は作っていないんですが200亀甲が作られていた時代だからこそ、250亀甲が作れたんです。

昔は250亀甲を作れる技術もあったし、それを買う需要もあった。もう今だったら10年かかっても作れないと思います。


250亀甲の結城紬に隠されたは壮大なストーリーとは?

これはヤザワさんという方が作ってくださったものですが、親子で織ったものなんです。縦が父親が横を息子が結んだんですが、亀甲の長さの違いで横の方が目が細かいんです。

お父さんも息子さんも亡くなってしまったので、今はもう作れません。

奥さんに話を聞かせてもらったことがありましたが、これを作っている時は怖くて近づけなかったと話してくれました。

ただ、ひたすらこの織物と向き合った。
職人さんの人生がつまったものなんです。
その職人さんは、この1点しか作らなかったんです。

一見すると遠目では無地なんですが、

近くで見たらキレイな模様が見えるんです。

亀甲が細かければいいものでもないんですが、これはいわば突き詰めていった結果です。
みる人が見ないと分からないと思いますが^_^

時間と引き換えの商品なので、誰が作ったかというよりか、どれだけ細かくて、どれだけの時間がかかったかで値段と価値が決まるものです。

作家モノとは違ったものですね。

どうしても人って最高のものを作りたいって気持ちに駆られるものですね。着る着ないとかそういうレベルではなく、そこの世界に行ってみたくなる。

これはもう民芸とか工芸の世界ではないです。

「道(どう)」ですね。

これ作っていた方は本当に素晴らしい方でした。

最後、目のガンで亡くなったのですが、直前まで眼帯しながら、自分がどんな状態になっても織り子さんの仕事が止まらないようにって心配して、奥さんに病室に持ってきてもらって仕事をしたくらいです。

この方の仲良かったトヤマさんって方も、亡くなるって分かっていたから、息子さんに継いでもらうのに自分の仕事をビデオに撮ってもらって残していきました。

この反物はうちでも、お手本として大事に保管しています。


人間国宝 「平良敏子」さん

こんな感じで奥澤さんの話が終わりましたが、結城紬の背景やストーリーを感じさせていただいたなぁーと思っていたところに、

「ゑり華」さんのご主人、花岡さんが平良敏子さんの話をして下さいました。

「平良敏子」という人間国宝の先生が今年99歳を迎えたんです。
現役バリバリの先生なんですが、白寿の記念に「白寿記念作品展」を沖縄の識名園(しきなえん)で開いたんですよ。

識名園は1799年に造営された琉球王家最大の別邸です。

ここに芭蕉布が98点展示されました。
僕らはみるだけで触れないけど、当然、売るのが分かっていたので担当の人にみんなで一緒にあけようと思って置いといた。

そしたら、その日たまたま来店られたお客様が、そのまんま買ってくださった。

記念の作品なんで、やっぱり手元に1つ欲しいなって思ってまた取り寄せたんです。4日後にお客様が来られて買われていったんです。
また、手元に置いておきたいから取り寄せたら、また持ってきてもらったんです。

次の日にお客様が来られて買われていったんです。


白寿の記念作品展ですので、通常よりも価格も五割増しなんです。
作品展に出すくらいだから、気合入った作品です。
見るからにパワーを持ってます。


牛窪:お客様も分かるんですね。

花岡さん:絶対分かる!


恐ろしくらいにパワーをもっている。
平良さんも、メチャクチャ元気。

で、こういう感じで箱書きも一緒に展示してあったんです。
(といって現物を見せてくださいました)


一同:わぁ~~

小田さん:これはスゴイですね!

牛窪:スゲーー

スタッフの女性たち

:いやぁーー、ひれ伏しちゃいますね♪

:別世界の美しさ

:カッコイ~~~

これは黄色いのが売れてしまった(引き取り予定)ので、記念作品をどうしても手元に残したくて、もう一つ多分これが最後の品と言われて買ったものです。

着物30本、帯70本。僕がそのうちの5本を買ったんですよ。
これって相当なことなんですよ。
美術館で展示されたものを5点も購入するのは99歳の人間国宝が85年この道やってきて、集大成ですよ。


集大成、1つ1つ一点もの。
珠玉の98点の中の1つ。
そこに居合わせられた幸せ。

結局、僕が沖縄大好きだから、しょっちゅう平良さんのとこいってました。
それをお客さんも知っていましたし、有難いことに僕が好きなものをお客さんも好きになってくれるんです。


牛窪:(平良さんと花岡さんの)2つのストーリーですね。

花岡さん:そうですね。


まさにここ(識名園)で頂点極めた感じです。
一番最初に、「花岡さん、識名園の平良さんの商品ありますよ」って声がかかったのが塩竈撮影の日だったんですよ。
チームODA塩竈神社撮影会

あの時だったんですよ。

塩竈神社で第一報が入って、「花岡さんの一番気に入っていた平良先生の作品を確保しましたよ」ってあの日だったんですよ。


お化けって平安時代に概念が広まった?

花岡さん:うちは、全部の商品をどの作者さんが作ったか知っています

小田さん:それサラッとおっしゃってますけど、スゴイことなんですよ。

普通だったら商品知識を知って終わりです。

でも、花岡さんはちゃんと作家さんのところに行って現地で顔をみて話して、うちのあのお客様、こういうお着物似合うからこういうの作って下さいって直接頼むでいますが、そういうことできる人は本当に少ないです。

お化けって平安時代に概念が広まったって説があります。
何かというと、それまでは全部の生活で使うものが、どこの誰が作っているか顔が見えた。

だから、安心して使えた時代だったのが、作り手の顔が見えなくなったのが平安時代。誰が作ったか分からない不安がお化けという概念になって広まった。

顔が見える安心感っていうのは重要。
それが見えない力になるから、見えない分からないは思いが入らない。
その人のことを思うって力だから、

誰が作っているか、誰が売っているかを気にする人が増えてきた。


二分化してきている。
1円でも安く買いたいと思う人と、
とにかく知っている人から買いたい、何を買うかよりも誰から買うを大事にする人がいるけど、後者が増えてきた。


平良さんが鏡を頼んだ理由

平良さんが人間国宝になる時に、村の人が何か先生にしたいって思った。

そしたら、平良さんはこうおっしゃった。

「鏡をください」

村の人は疑問に思ってこう聞き返しました。

「その鏡何にお使いになるんですか?」

そしたら、平良さんはこう答えました。

「いつも見えるところに置いて、(仕事行く前に)私はちゃんと手を抜かないで仕事ができてるかどうか確認するために使わせえていただきたいです」

80歳の後半の大ベテランなのにそうおっしゃった。

平良さんだけは、文化庁が人間国宝になってくださいって頼んできたんです。他の人もすごいんですけど、平良さんは違う。
この人だけは、人間国宝になってくださいって頼まれ続けた。

なぜかというと、人間国宝になることを断り続けてたから。

「芭蕉布というのは、自分1人では作れない。みんなで作らないとできない。だから、私1人が人間国宝になるなんてとんでもない」
って断り続けてたんです。

お願いだから、人間国宝になって下さいって頼まれてようやくなった人なんです。

「人間の格が違う」

展示会は9日間開催しましたが、その期間中、ずーーと平良さんは展示買いにいらして、新聞や報道の効果もあって最終日、スゴク人が集まったんです。

15時に展示会は終わりましたが、平良さん、食事もいらないって言って、ずーーとみんなの前で実演してくれたんです。
みんな来てくれてるからって。

それ終わって、次の日、会館の人が朝7時に鍵開けたら、平良さんがいらして仕事していた。会館の人もビックリしたけど、そういうエピソードいっぱいあるんですよ。

この鏡の話だったり、人間国宝の話だったり、それらが着物に全部乗る。

そういう思いで作り続けてくれたからこそ、それがエネルギーとなって芭蕉布に全部乗る。

お客さまは芭蕉布という物を通して、その背景にあるストーリーを購入しました。

花岡さんの平良さんへの思いや、着物への愛情、平良さんの芭蕉布や一緒に作っている仲間たちへの思いや、そういった仕事の仕方を85年し続けてきた年月が全部、ストーリーとなって商品に乗っているんです。

お客さんは言葉で説明されていなくても、それをパッと感じて、即決されたのだと思います。

自分はどんなストーリーを生きているのか?

それが自分が発する言葉にも乗りますし、作った物にも乗るのです。

99歳の人間国宝「平良敏子」さん。

そして、2000年の歴史がある結城紬。

「ゑり華」さんで、エネルギーの塊のような2つの背景を聞くことができました。

すごいストーリーですよね〜。

小田さんの周りには凄い人ばかりですので、また、感じたこと気づいたことなどありましたら、書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。

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