【映画評】「グロテスク」(2009) スプラッター版「奇跡の海」

「グロテスク」(白石晃士、2009)

評価:☆☆☆★★

 もう2度と観る気になれない映画である。この映画に関して言えば褒め言葉だろう。以下、10年以上前に1度観た記憶だけを頼りに書く。
 どういう映画かといえば、キチガイ男がカップルを拉致して拷問するという、それだけの内容だ。
 動機は、「感動するため」。拷問に耐えられれば恋人は助けてやる、と宣告した上で男を拷問し、自分の大切な人を守るために人間がどれだけ耐えられるか観察する――という、身も蓋もないというか、ありきたりというか、いかにもキチガイが考えそうなことを想像してみたという感じのお手軽な設定だ。高尚な犯罪哲学やら、残酷の美学やらとは縁遠い。

残酷の美学?

 この作品では、メインの被害者は女でなく男である。
 女を被害者にすると必然的に「絵になる」画面ができてしまうし、必然的に、男のサディズム的な欲望が混入してしまいがちである。この作品では、そうした情緒はあまり取り上げられず、男が男をひたすら痛い目に合わせるという、誰にとってもきつそうな場面が続いていく。
 えっ、ボーイズラヴ? いや、金玉に釘を打ち込みペニスを切断する拷問なんて、よほど特殊な嗜好の持ち主じゃなきゃ楽しめないでしょう……。
 もっとも、白石作品には男女の同性愛を思わせる描写がよく出てくるので、加害者と被害者がともに男であるというこの作品の設定も、同じ系譜にあるのかもしれない。あるいは、意外に白石は、カップルを拉致して女の前で男を苦しめたいという率直な欲望を持っているのかもしれない。それはわからない。
 が、女よりも男を激しく拷問したのは、やはり単純に、男の体を素材にしたほうが即物的な「グロ」を強調しやすかったからだろう。男性器を破壊するのは、純然たる「グロ」描写の極致である。それをやったらおしまいよ……ある意味これは禁じ手だ。

「血肉の華」+「奇跡の海」

 加害者の行動原理は、特にしっかり設定されているわけではなく、「キチガイはどうせこういう意味不明なことをやるんだよな」という程度の、薄っぺらといえば薄っぺらなイメージに即して、いきあたりばったりに被害者(そして観客)を苦しめるだけである。挙句の果てにこの加害者、自分のコミュニケーション能力が欠落しているのは体臭のせいだったのだ、と女に指摘され気づいたりする。
 何じゃそりゃ……。
 ところで、この作品は、日野日出志監督の「ギニーピッグ2 血肉の華」から影響を受けているはずだ。「血肉の華」は、兜をかぶった白塗りのキチガイ男が拉致した女をバラバラに解体する、疑似スナッフ・フィルムとして悪名高いオリジナルビデオ作品である。
 だが、「血肉の華」が、「暴力」というものについての省察を鑑賞者に促すのに対して、「グロテスク」では、残酷描写は、即物的な残酷さ以外のどこにも帰結することがない。「血肉の華」は、他者とのコミュニケーション、男が女に抱く欲望、映像を通じて他者を鑑賞する眼差し、などなどがはらまざるを得ない根源的な暴力を垣間見せる作品であるが、「グロテスク」では、そのような奥深さはバッサリと削ぎ落とされている。
 また、「血肉の華」では、加害者のキャラクターには漫画的な暗い魅力があるが、「グロテスク」では、加害者の異常さを「体臭」で説明して済ませるくらいだから、キャラクターに深みを持たせることなどはじめから問題にしていないのだろう。
 そして、私は最近になって知ったのだが、「グロテスク」は、ラース・フォン・トリアー監督の「奇跡の海」から(も)影響を受けているらしい。「奇跡の海」は、夫の障害を治すためには自分が徹底して苦しまなければならないという妄想に囚われ、娼婦へと転落していくキチガイ女を描いた名作映画である。そう言われてみればたしかに、恋人を助けるために苦しみを引き受けるという設定はまるっきり同じである。うかつにも気づかなかった。
 あえて分類すれば、「血肉の華」は加害者のアウトサイダー性を浮き彫りにする作品であり、「奇跡の海」は被害者のアウトサイダー性を描いた作品である。女をバラバラにする妄想とともに生きる狂人、あるいは自己犠牲の妄想に囚われ堕落する狂人、すなわち、当人にしかわからない、「この現実」とは別の現実を生きるアウトサイダーだ。「グロテスク」は、2種類のアウトサイダーを拷問のための密室空間へと引きずり込んだ映画と言えるだろう。だが、密室の淀んだ空気の中、アウトサイダー性が煮詰められるかと思いきやそうはならず、逆に陰影が削ぎ落とされ、身も蓋もない即物性だけが残された。
 要するに、お化け屋敷だ。
 この映画を一言で言えば、カラッとした感性で、ジメッとしたことをやろうとした作品、ということになると思う。密室映画、アウトサイダー映画、キチガイ映画、変態映画――どういう側面をピックアップしてもよいが、いずれにしても、通常ならば「ジメッ」としていそうなところで、この作品は微妙に定石を外しているのである。したがって、これらの側面からは評価の仕方が難しい。
 別の言い方をすれば、要するに単なるお化け屋敷映画である。

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