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〈写真の物質性〉を根本から考えなおすことになった。
ティルマンスが「写真は三次元的オブジェ」と言ったり、シャーロット・コットンが「オリジナルに似たオブジェクトの表現。転写や翻訳ではなく、並行形式の同等のもの」と言ったり、またはデジタル写真やヴァーチャルリアリティなどに時代性を踏まえて〈写真の物質性〉が言祝がれている。
これは単純に触感、写真集の重みや写真プリントのカール、みたいなもの。
またはバルトの写真のノエマ、〈それはかつてあった〉という時
Also sprach Wolfgang:ヴォルフガングはかく語りき
保坂です。
この文章は『美術手帖2004/12 p145-151』に掲載されている「Also sprach Wolfgang:ヴォルフガングはかく語りき」という、2004年10月16日に行われたヴォルフガング・ティルマンスのアーティスト・トークの記事です。
ティルマンスのインタビュー記事は少なく、この美術手帖の記事も二十年前ということで、なかなか読めない内容になってます。
現在の写真を考える上でも
大山顕『新写真論:スマホと顔』読書会用資料
・大山顕『新写真論:スマホと顔』
ゲンロンβ 2017/4-2019/8 に「スマホの写真論」として連載
大山顕:写真家・ライター、団地研究家。
・日本写真協会賞学芸賞
著書『新写真論 スマホと顔』において、撮影された写真だけでなく、スマホ・SNS・AIなど写真の周りで起こりつつある出来事すべてを「写真」の内部で考えようとする論考は、現代における写真とは何かを考える上で示唆に富む。この労作に
機材の話し:カメラを換えるか?
OMシステムさんから、OM1 mk2に買い換えませんか~?キャンペーンがやってきた。
メーカーキャンペーンの魅力は、古い機種を高く下取りしてくれる上に、自分はプロサポートに入っているので、205,220JPYで購入できるところ。
ボディのみだが十数万円で新機種移行は魅力的だ。
シグマ60mm f2.8 dnスナップは驚くほど、自分の写真が下手なのでどうしようかと思う。
ずっと広角から標準で撮って
久しぶりに機材の話し:単焦点望遠スナップという新しい作風
いまメインSNSが完全に「Threads」になっている。
最近は写真を撮る人/撮られる人ばかりでなく、絵を描く人も増えてきてうれしい。
絵を描く人って“いたずら描き”と称して、すらすらってアップしているのが、本当にうらやましい。
文章や写真、時々映像といった、必ず編集が入る表現をしていた自分にとっては、音楽や演劇、速描きといった即興的な表現に憧れる。
写真家にとっての即興性が強いエスキースといえば
リアルロボットとスーパーロボット
十数年ぶりにロボットアニメなぞ、自分で進んで見たくなって、『勇気爆発バーンブレイバーン』を見てしまった。
大張正己監督である、というのも大きいのだが、実は一番、見たかったのは「リアルロボット」と「スーパーロボット」の融合というところだ。
大衆小説の芥川賞と純文学の直木賞があるように、文学を非常にざっくりと分類をすると、リアリズム小説とロマン主義に分かれる。
これをロボットアニメに当てはめると、
篠山紀信と魚眼レンズ、American Surfacesに多自然主義
ブルータス No.995を本の山から救い出す。
ここに故篠山紀信の最期のメディア記事がある。
「なぜ息をするように、写真を撮り続けるのか?」と問いかけているが、先日、まるで撮るものが無くなったかのように老衰で亡くなる。
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昔の魚眼レンズスナップがTumblrにてリブログされた。
やっぱり対角魚眼レンズはいいよな、とちょっと思い始めている。
PureRAWを使うと魚眼のゆがみもとってくれるが、AP
改めて《存在論》を掘る
つかの間の読書の自由な時間は終わり、早速、二つの読書会/ゼミに向けての精読が始まる。
その始まる前にステートメントというか、問題意識を未来の自分に送る。
保坂は改めて《存在論》を掘りたい。
というのも
・ロランバルト『明るい部屋』を読み直したところ、写真に対する「存在論的な」欲求にとらえられた本であることがわかった。
それが令和のいまはなぜか、「表象」という概念をあえて定義しないまま戦略的な操作
新しいゼミに入った。
保坂はヲタク(だった?)なので、昔からゲームをプレイするために公民館を借りたり、飲み会を主催したりしていた。
インターネットに触れると、メーリングリストを主催したり、メールマガジンに参加したりするようになる。
写真をはじめると、これまたワークショップに参加したり、主催したり、海外のグループ展に遠征などしていた。
このノートもやっていることは、ほぼ同じだと思っている。
コロナになり、Zoomの読書会
明示的な写真、Taking Seriously、植物図鑑
日本はバルト『明るい部屋』以降、海外からの写真論が受容に何かひっかかりがあるのは、日本アカデミックのポスト構造主義理解に大いなる特殊事情があるんじゃないか?
と、諸先輩方に質問を投げかけた。
日本語エクリチュールのラスボスたるイシューとは「日本国憲法」のはずである。これがどうなってるのか??
保坂的には、ここを曖昧にしているから、写真論も曖昧なのじゃないかと想像したのだった。
すると《柄谷行人》と
読書と写真とThreadsが楽しい
最初に、Threadsがたのしい。
Twitter/Xは完全に読み選、Facebookは連絡用、Instagramはエスキースを上げてる感じ。そして長文を投稿しているのが Threadsだ。
いま日々の思いを Threadsにあげ、ここ noteにまとめている感じ。
やってて思うけど、Twitter/X はやっぱり文章の世界であり、気が利いた一言を発せる人が評価される。
だからこそ《ビッグマウス》