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心が弱い人は悪くない。走る速度を少し間違えただけだ。

10月1日、会社を正式に辞めた。

8月のある朝、突然起き上がれなくなったからだ。

その前日の夜にしていたことは、仕事で使うためのパソコン周辺機器の購入。自分が明日から二度と会社に行かなくなる未来など、1ミリも想定していなかった。

社会人になってから6年間、何度も仕事を辞めた。その度に、周囲に適合できない自分を嫌悪し、責めてばかりいた。

しかし、現在のわたしは、仕事が続かないことを理由に自己否定したりはしない。それどころか、清々しい思いで過ごしている。なぜなら、悪いのは、自分の人格や社会性ではないと気づいたためだ。

短距離走と長距離走は適切な速度が異なる

これまで出来ていたことが、ある日できなくなった。あるいは、これまで誰かが自分にしてくれていた行為が、ある日突然終わってしまった。

こうした経験をするとき、「どうして?」と、自分を責めたり、相手を責めたりしてしまう場合がある。

その「どうして?」に、わたしが代わりに応えてみる。

陸上競技に、100メートル走と1500メートル走がある。Wikipediaから拝借すると、

・100メートル走の最高記録(男子)は9秒58
・1500メートル走の最高記録(男子)は3分26秒00

であるようだ。ここで、1秒あたりに進んだ距離を計算してみると

・100メートル走の場合、1秒あたり10.44メートル
・1500メートル走の場合、1秒あたり7.28メートル

進んでいることになる。

ここから言いたいのは「走る距離が長くなるほど、1秒あたりに進める距離は短くなる」ということだ。世界トップ選手でさえ、そうなのだ。

もちろん、これは陸上競技の話であり、筋肉と体力の話である。しかし、「物事への取り組み方」も、これと似た構造を持つと思う。

高いパフォーマンスで円滑に仕事ができ、周囲から評価を得ていたとしても、"長距離を走りぬくために適正な速度"よりも速く走っていたのだとしたら、完走はできない。毎日7の仕事をするべきなのに、毎日10の仕事をしていたら、持続性がなく途中でバテてしまうのである。結果、3年務めるつもりだったのに、1年で辞めてしまうようなことになる。

はたまた、献身的で優しかった恋人が、その支援と優しさの実行に"短距離向きのエネルギー"を費やしていたとしたら、やはり長距離は走れない。毎日7の貢献なら続けられたとしても、毎日10の貢献では限界が来るのである。我慢の爆発とともに、短期間で関係が終わる。

どの速度なら長期間走れるかは人それぞれ全く異なるが、何かを長く続けるためには、期間内を走り続けることが可能な適正速度で走る必要がある。

逆に言えば、何かが長く続かなかった人は、走る速度を間違えてしまっただけなのである。

冒頭の「どうして?」にはこう答える以外にないのである。

「走る速度をミスったからバテちゃった、テヘペロ☆」

うつ病になりやすい人は全力疾走している

適応障害やうつ病になりやすい人の特徴として、よく以下が挙げられる。

・真面目
・完璧主義
・責任感が強い

なぜこうした特徴を持つ人たちが適応障害やうつ病になるのか?それは、全力疾走をしているからである。

真面目で完璧主義で責任感が強い人は、手抜きや休むことが下手である。自分を大切にすることも下手である。このため、走る速度を調整することも下手である。ゆえに、短距離走向けの速度で長距離を走ってしまうので、途中でバテるのである。

逆に言えば、それだけの話だ。

世の中は心が弱い人に冷たい。しかし、心が弱いことはダメではないし、そもそも「心の弱さ」などという概念は適応障害やうつ病の原因ではない。論点が間違っている。

先の3つの特徴を有する人に欠けているのは、自己管理能力だけである。すなわち「走る速度を調整する能力」である。

ほどよく手を抜く、ストレスを感じたら逃げる、人に助けを求める、自分を気持ちよくする時間を作る、無理なものは無理と言う、などは速度調整の行動に該当する。

こうした行動が上手になれば、事態は改善に向かうのである。上手になるのは長年の時間を要するが、少しずつ上達することはできる。

心が強いか弱いかは関係なしに、数々の失敗を繰り返しながら、走る速度を適正に向けて調整することができれば、これまでより少しでも長く、何かが続けられるようになると思われる(少なくとも自分の場合は、3年前より持続期間を延ばせるようになった)。

最初から適正速度を見つけるのはむずかしい

とはいえ、自分が走り続けられるための適正速度を見つけるのは容易ではない。特に、自己肯定感が低い人は、自分の心身が発しているSOSに気づきにくいため、こまめに調整する経験を積んでいない。

誰もが適正速度で走れるというのは、簡単なことではないのである。

毎日当たり前のように出社している部下が、明日も出社する保証はどこにもない。

今日も優しくしてくれた恋人が、明日も同じように優しい保証もどこにもない。

誰もに愛され順風満帆な芸能人が、明日も生きてる保証はどこにもない。

ストレスを抱えたときにうまく発散したり、自分を気持ちよくしたりする行為は、誰もが当たり前のようにできるわけではない。無意識のうちに積まれた訓練の賜物である。できない人は、本当にできない。少なくとも、ある日突然できるようなるものではない。

毎日当たり前のように続いているすべての営みは、脆さの上で、奇跡的な均衡を保ちながら、成り立っているだけである。

だからこそ、誰かが毎日何かを続けていること自体に、もう少し感謝を示す社会であってほしいと願っている。

「契約書通りにやってもらうのは当然だ」
「金銭で対価を払っているからやるのは当然だ」

そういう態度は、ロボット相手に取るべきである。

善意、好意、情熱、興味、信頼、気力、勇気、前向きさ、モチベーション…

人の中にあるものは、すべて脆い。いつ壊れてもおかしくない。

好きな気持ちや頑張りたい気持ちを保ち続けられるのは、当人の日々の絶え間ない努力のおかげだ。世の中で何かが続いていられるのは、人生を通じて育んできた自己管理能力を駆使して、必死に壊さない努力をしている人たちがいるからだ。

そんな奇跡的な営みは、決して当たり前に存在するものではない。


わたしの次の進路は、人の脆さに理解のある経営者になることだ。


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