見出し画像

【社会問題】ヒトラーと民主主義

みなさんはヒトラーをどのような人物だと思っているだろうか?

「ユダヤ人迫害をした悪い人」「第二次世界大戦を引き起こした平和の敵」「民主主義と真逆の独裁者」

およそこのような評価ではないだろうか。しかし、このうちでひとつ、あきらかに間違っているものがある。それは「民主主義と真逆の独裁者」だ。もしヒトラーを、民衆をむりやり戦争や迫害に駆り立てた人物だと思っているなら、それは間違いだ。ヒトラーは当時のドイツ国民から熱烈な支持を集め、その支持を後ろ楯として、戦争や迫害を行ったのだ。

ヒトラーはもともと、たいした勢力を持たない、いち政治活動家だった。ところが、だんだんと国民の支持を集めることに成功し、やがて首相にまでのしあがるのである。つまり、ヒトラーは民主的に政権を獲得したわけで、むしろ民衆の支持があってこそ、はじめて力を得ることができた。イメージと違うかもしれないが、ヒトラーは紛れもなく、民主主義のもうし子なのである。

もちろん、当時のドイツ国民が異常集団だったわけではない。いつの時代も変わらない、ごく平凡な人達の集まりにすぎない。しかし、だからこそ、民衆というものが持つ特徴をヒトラーは巧みにとらえ、その恩恵を最大限受けとることができた。民衆の特徴とは、ひとことでいえば「盲目で流されやすいこと」。民衆とはいつの時代も、きちんとした知識や思考を持たず、周りがなにかを言い出すと、無批判に自分もそれに従ってしまう。ヒトラーはこういう民衆の習性を熟知し、まさにスターのごとく瞬く間に躍進した。

ただ、この段階では独裁政権は完成していなかったので、そのあと反対派への暴力的弾圧を繰り返し、やがて、全権委任法という法律を成立させ、名実ともに独裁政権を作り上げていく。この過程については、たしかに民主的とは言えないが、だからといって、独裁者ヒトラーを誕生させたことにたいして、民主主義が果たした役割をなかったことにはできない。ヒトラーはそもそも、民衆の支持がなければ歴史の教科書に載ることすらないような無名の人物だったし、独裁をはじめてからも、経済復興や生活水準の引き上げなど、民衆の支持は高かった。つまり、独裁者ヒトラーの誕生は、民主制と暴力的弾圧の共犯によって生み出されたものといえる。

民主主義が犯した、独裁者ヒトラー誕生という絶大なる過ち。このことを一部の民主主義擁護派は覆い隠そうとする。民主主義を推進するうえで、そんな汚点を知られると都合が悪いからだ。しかし、その「民主主義の悪い部分はごまかしてしまえ」という態度こそ、民主主義を推進していくうえで、絶対にあってはならないものだと私は主張したい。

それは、たとえるなら、子供を海で遊ばせておきながら、潮に流される危険を教えないようなもの。危険を教えられなかった子供は、何も知らず遊んでいるうち、引き潮にさらわれ戻ってこれなくなるかもしれない。つまり、人に何かをさせるときには、ちゃんとその危険性も認識させなくてはならないのだ。

それは政治も同じだろう。民主主義を採用するならするで、民主主義が抱えている危険を、きちんと国民に伝えなくてはならない。民主主義擁護者は、民主主義がかわいいあまり、ヒトラーの台頭を民主主義のせいではないと言いたがるが、それは人類が同じ過ちを繰り返すことをむしろ後押ししてさえいるのだ。それは、自分の主張を押し通すために民衆を危険に陥れる、とても不誠実な態度であると言わざるをえない。

残念なことに、今の教育は民主主義の利点を子供に教えるばかりで、その危険性を教えようとはしない。本来なら義務教育で、「選挙でみんなが選んだからといって、その人が良いことをするとは限らない」「みんなの意見に流されて、おかしな人が当選しかねないのが選挙」と教えるべきだ。それをしないで国民に選挙権を与えるのは、ブレーキのない車を買い与えるようなものなのである。

また、ヒトラーについて教えるにしても、彼に異常者のようなレッテルを貼ってしまうことも、実に危険だ。ヒトラーを当時のドイツ国民は異常者と見ていなかった。それどころか、新時代のリーダーだと思っていたのだ。それは裏を返せば、今、新時代のリーダーと目されている人が、未来にはヒトラーのようになっているかもしれないということに他ならない。

私はどういうわけか、物心ついたときから民主主義に不信感を持っており、そのおかげで、民主主義の危険性については自分自身で気づくことができた。しかし、ほとんどの人は民主主義の良い部分だけを教えられ、受け入れていく。それは洗脳である。私は教育と洗脳の違いを、「物事の良い面も悪い面も教えるのが教育。意図的にどちらかだけを教えるのが洗脳」と明確に区分している。この区分に従えば、民主主義の良い面しか教えないのは洗脳であり、それは日本人が必死に否定する、独裁者への個人崇拝となんら変わらない。

私はそもそも民主主義に不信感を持っているし、民主主義は民衆を賢くしないと確信を持っている。なぜなら、民主主義が進むにつれ、正しい政治をして民衆の知性に訴えるより、民衆の愚かさにつけこんだほうが効率よく票を稼げるということに、政治家は気づきだすからだ。それならばとばかり、国民の不満を煽ったり、偽善的な綺麗事を並べたり、かわいそうな被害者ぶったりして、それを真に受ける愚かな層をターゲットに支持を得る。つまり、国民が愚かになることも、それを利用した偽善的な指導者が現れるのも、民主主義がそのシステムのうちに抱え込む必然なのだ。

よく、「当時、もっとも民主的といわれたヴァイマル憲法下で、なぜヒトラーが台頭したのか」といわれる。しかし、そういう人は根本的に民主主義、そして、民衆というものが分かっていない。それはむしろ逆で、もっとも民主的だったからこそ、いちはやくヒトラーのような指導者が現れたのだ。なお、一般市民への無差別爆撃、あげくのはてに原爆投下という大虐殺を行ったのも、最大の民主主義国家アメリカであったということも、あわせて覚えておかなくてはならない。

もういいかげん、民主主義を盲目的にありがたがるのは、国民ひとりひとりのレベルでやめてもらいたい。そして、現に今の日本でも、「平等」「差別反対」「被害者救済」などの偽善的な綺麗事を掲げることで、愚かな人たちから票を稼ぐヒトラーのできそこないみたいな人がいるということに、盲目でない賢明な国民には、早く気づいてもらいたい。

Forever 19 summer vacation !