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新海誠が描く神とは?「すずめの戸締まり」

今回は、新海誠作品について書いてみたい。
彼は、いまや日本屈指のヒットメイカーだよね。
最新作「すずめの戸締まり」を見ても、抜群の安定感である。
「ほしのこえ」に始まった初期作品は「別れ」をテーマにしたものが多かったが、今は違う。
特に「君の名は」以降はひとつのスタイルが固まってきて、いわゆるボーイミーツガールのセカイ系ってやつか。
初期作品に比べればかなり後味がよくて、「すずめの戸締まり」に至っては歴代最高のハッピーエンドだったといっていいだろう。
よくできた作品だった。

今回の題材は「地震被害」だったね。
「君の名は」は「彗星落下被害」、「天気の子」は「集中豪雨被害」。
非常に分かりやすく、天災vsひと組の男女、という形式に固定している。
同じセカイ系でも「エヴァンゲリオン」みたく、使徒やら人類補完計画やらワケ分からんものではないさ。
ただし、根っこは同じなんだよね。
「エヴァ」は旧約聖書の世界観を下敷きにしており、使徒の存在を突き詰めていくと、万能の創造主、「神」にまで行き着くこととなる。
セカンドインパクトやらサードインパクトやら色々小難しいことやってるが、ようするに、これは聖書にもあった「大洪水」や「ソドムとゴモラ」の再現でしょ?
神というのはことあるごとに「裁き」を下す存在で、特に干渉も教育もせずにしばらく放置し、あかんと思ったらリセットボタン押しちゃう性格なのよ。
ぶっちゃけ、ダメな親の典型である。
一方、新海誠のセカイ系は同じ神を描くにしても、こういうキリスト教系の唯一神ではない。
昔ながらの日本の神、やおよろずの神。
それこそ、縄文由来の自然崇拝からきた神である。
この世界観は「エヴァ」の庵野秀明よりも、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」で宮崎駿が描いた神の方に近いかと。

「もののけ姫」のデイダラボッチ
「すずめの戸締まり」のミミズ

多分、唯一神教圏の人たちはこれを「モンスター」と解釈してるんだろうが、これは日本古来の神の姿なんですよ。
新海さんは、「君の名は」や「天気の子」でも神を畏るべきものとして描いていた。
そして歴代で最も分かりやすくしてくれたのが、「すずめの戸締まり」だろう。
作中、「閉じ師」の草太は
「命が、かりそめだとは知っています。
死は、常に隣りにあると分かっています。
それでも、いま一年、いま一日、いまもう一時だけでも、私たちは永らえたい!」

と神に訴えていた。
結構凄いセリフだな・・。
つまり、彼は人が神に敵わない存在であることは最初から分かってるわけで、それでも祝詞を唱え、祈りを捧げるんだね。
もともと、日本は立地からして地震の多い国ゆえ、古代から地震=神と認識してたことは事実だと思う。
天変地異は病気じゃないんだから、根本的な治療なんぞ無理だし、完治など絶対にしない。
だましだまし、現実を受け入れながらやっていくしかないんだ。

神に祝詞を捧げる閉じ師・草太

神は自然法則であり、我々人間はその自然の一部。
唯一神教信者は天変地異を「神の裁き」だと解釈しがちだが、日本の場合は裁きというよりも「もともと神って荒れてるもんでしょ」という「荒振神」の認識がある。
元々からして、私はキリスト教がよく分からないのよ。
だって、あの宗教は神を「慈悲ある存在」としておきながら、その慈悲ある神が大洪水起こしてノアの一族以外の人類を全滅させたり、ちょっとばかり堕落しただけでその人々を皆殺しにしたりするもんかねぇ?
このへんの納得いく説明、私は今まで一度も聞いたことがない。
要するに、初期想定と違ってきたからメンドくさくなって、リセットボタンを押しただけでしょ?
ぶっちゃけ、やってることはそのへんの中学生と変わらんじゃないか・・。

「009RE:CYBORG」

最近は「神」を描くのがひとつのトレンドなのか、私が好きな神山健治も「009RE:CYBORG」で神を描いていた。
もともとの「009」はブラックゴーストという謎の軍需企業(?)が敵だったんだが、この話はブラックゴースト壊滅後、世界で頻発している自爆テロに009たちが立ち向かっていくストーリーだった。
その自爆テロを誘導してる黒幕は誰なんだ?って謎解きをしていくと、最後に辿り着いた結論は、これが【黒幕=神】というトンデモないオチなのよ。
ようするに、これは福音書に書かれてた「ハルマゲドン」ってことね。
神はまたリセットしようとしてる、と。
この作品見て「神山さん、トチ狂ったのか?」と思ったが、どうやら原作者の石ノ森章太郎先生宅には未完のまま遺した「009」最終章があったらしく、その内容がまさに009vs神というものだったらしい。
なるほど、石ノ森先生は「神の裁き」とされる人類抹殺もまた、一種のテロに違いないと解釈してるんだね。
神は必ずしも善なるものとは限らん、と。
そこは、私も同意である。
そもそも、神=善という解釈そのものが間違ってるさ。
少なくとも日本じゃ神は祟るものであり、それを祀った神社は欧州のような神殿のニュアンスではなく、あくまでも祟りを封じる結界のニュアンスの方が強いんだし。

「すずめの戸締まり」ダイジン

これは、「すずめの戸締まり」に出てきた神獣・ダイジンだ。
善とも悪ともつかない、謎めいた存在である。
「まどかマギカ」でいうところのキュウベエっぽいキャラにも思えるけど、このダイジンの相棒であるサダイジンが巨大化した姿は「夏目友人帳」のにゃんこ先生っぽくもある。

「すずめの戸締まり」
「夏目友人帳」

こういう妖怪、神獣というやつは現実でなく、昔の日本人が作り上げた一種のメタファーだと思う。
自然の生命エネルギーのメタファー、とでもいうべきか。
昔の日本人って、割と感性が文学的なんだよね。
一方、唯一神教を作り上げたユダヤ人ってやつは、完全に理系でしょ。
彼らのイメージした世界観は、最近流行の【世界=仮想現実】説に少し近いニュアンスあり、この世界をプログラミングしたプログラマー(創造主)は絶対いるよね、という考え方なんだ。
我々がいる世界の外側に神(プログラマー)がいて、彼らが我々をモニターしてる、と。
で、我々の正体とはプログラマーの姿に似せて作られた自律型のアバターであり、この世界もプログラムである以上は必ずや最後には電源を切られるだろう(⇒ハルマゲドン、最後の審判)というのが根本的思考。

最後の審判は、地球上で今まで死んだ人が皆生き返って審判を受けるという
つまり、死んだ人が輪廻転生して循環する設定ではないんだね

そして、彼らはイエスキリストをプログラマー自身のアバターだと解釈していて、イエスのいっていた「最後の審判」は、次のリニューアルバージョン世界に転用されるアバターと廃棄されるアバターのセレクションがある、という意味だろう。
この考え方って、それなりに筋は通ってるけど私はいまいち好きじゃなくてね・・。
あまりに理系すぎない?
なんかロマンに欠けるというか、やっぱセカイは新海誠っぽく文学的なものであってほしい。
仮に、この世界が誰か外世界の人が作ったプログラムだったとして、その人は絶対ガチガチの理系脳で、文学的ファンタジーの価値とか全く分かってないよね。
もし私がプログラマーなら、絶対「すずめの戸締まり」っぽく冥界の扉とか廃墟に設置するよ?
実際にそういう扉がないところを見るに、この世界の神は全然センスない奴だわ。


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