見出し画像

「あなたに出会えたから」と言える、キミがすごいだけ

「あの時出会えたから」
「あの時、ああいう風に言ってくれたから」

そう言われて、全く悪い気はしない。むしろ、すごく嬉しい。

ただ、そう解釈したのは紛れもなくあなた自身で、過去の出会いや経験、それらをプラスに変えて行動できているのも、紛れもなくあなた自身。

あの時、たまたま自分と出会って、たまたま自分が話を聞ける状況にあって、たまたま思い浮かんだ言葉を伝えただけで、あなたがうまく受け止めてくれたから。

人のことをどこかあまり信用していなくて、自分に対してもあまり自信を持てていなくて。どこかで使い古された言葉じゃ、決して心は動かなくて。

やりたいことはあるのに、どこか諦めていて。けれど、完全には諦めてはいなくて、何だかんだ努力しようとしていて。

そんな感じだったっけ。


「生徒と関わる」という教育の最前線から離れて、かれこれ1年以上経つ。

数年前に生徒だったみんなは、今日もスーツに身を包んで、あちこちで自分をアピールしている。

どうしてだろう、自分の方が年齢も上だし酸いも甘いも噛み分けているはずなのに、彼らの方がよっぽど大人に見えてしまう。

生徒にとって先生はたった一人、先生からしたら生徒は毎年たくさんいるかもしれないけれど、あなたは“あなたしか”いない。

胸を張って「先生」とか「教育者」なんて自分は言える立場じゃないけれど、そんな教育者の端くれでも、出会った生徒のことは誰一人忘れていない。

一人ひとりドラマがあって、そのドラマは自分との関わりがなくなった今でもずっと続いていて。

数年経って、「今頃何してるのかな?」とか、卒業アルバムなんて無かったけれど、アルバムのページをめくるようにあれこれ思いを巡らせていると、不思議とそういう時に限って連絡が来る。

「就職先が決まった」とか、「そろそろ就活だ」とか、「留学することにした」とか。

いつから僕のメッセージ画面は、生徒が自分語りをする場になったのだろうか。ただ、どれだけ長い文章でも全く嫌な気がしない。

一言報告してくれるだけでも十分嬉しいのに、当時のエピソードを持ち出して、感謝や決意を伝えてくれる。いつの間に、そんなことができるようになっていたなんて。

当時は、こっちが泣きたくなるような、手を焼くエピソードが無かったと言えば嘘になるけれど、泣かせる存在であることは相変わらずみたい。

これから先、もっと色んな世界を知って、社会に揉まれて、一喜一憂して、どんどん大人になっていくんだろうな。そのうち、自分なんかよりもずっと立派で、頼りがいのある人になっていくんだろうな。


あの時もそうだけれど、いつだってあなたを変えてきたのはあなた自身だ。

あの時、懸命に話を聞いて、言葉を選んで、僕ができる限りのことはしたかもしれない。けれど、それらを受け止めて、受け止めるかどうかも含めて判断して、最後に決断したのはあなた自身だ。決断を結果に変えたのも、あなた自身。

そうやって、自分のために自分で決断してきた経験が、今、未来へと繋がっていく。

大切なことに気づかせてくれたのも、教えられていたのも、実はいつも僕の方だったんだよな、きっと。


最後まで読んでいただきありがとうございます。 みなさんからの感想やコメントすごく嬉しいです。 サポートいただいたお金は、他のクリエイターさんのサポートに回そうと思います...!