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うまいことできた世界だ 嫌になるほど

私がこの世に生まれて最初の記憶は、母が誰かと長く立ち話をしている傍ら、地面に散り積もっていた桜の花びらをかき集めて一人遊びをしていた光景である。
その切り取られたワンシーンだけがはっきりと記憶として頭に残っており、とてもよく晴れた日の昼下がりの事であったとのように憶えている。
小さな両手にいっぱいの散り桜は、当たり前の事ながら季節が春である事を示していた。それが一体いつの何の出来事であったのか、何気なく母に尋ねてみると、それは父方の祖父のお葬式の日の事だろうとの返答を得た。言われてみれば、確かに黒い服を着せられていたような気がする。当時私は3歳だったそうだ。

父方の祖父との思い出はない。どんな顔をしていたのかもわからないし、なんなら祖母も私が物心ついた頃にはもう居なかった。生まれて初めての記憶が、人の“死”にまつわるものである事は何か意味する事でもあるのだろうかと時折思う。

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年明けて1月2日、私は一人お線香を手に父方ではなく今回は母方の祖母に会いに行った。
こちらの祖母は私が大学に入学して最初の冬に口腔ガンで亡くなった。一日でも長くと懸命に生きる祖母の顔には大きな穴が空いていて、そんな変わり果てた姿を目の前にするとどうしても声が出なくなり、最期までまともに祖母と話す事はできなかった。
そんな後悔もあってか「死んじゃったからには喋るでもないのに」などと心ない事を言う伯母を振り切って、私はこの正月、祖父母の家から程近い祖母が眠る墓地へと向かったのであった。──「どうしてあんな事言えるんだろうね 不思議だね」と墓前から私は祖母に語りかけた。きっとその声は祖母に届いている。その返事が私には聴こえていないだけの事で。

この眼が二つだけでよかったなぁ
世界の悲しみがすべて見えてしまったら
僕は到底生きていけはしないから  ──「狭心症」RADWIMPS

そんな年始早々の朝、Twitterのトレンドから“第三次世界大戦”の文字が飛び込んできた。新年会で早速ブラックアウトした事への懺悔、シンプルな二日酔いと抗不安薬を2日間飲めていなかった事もあってか、そんな色々が交じりあい、その日は久々に強い不安感と希死念慮に襲われた。

──もし、戦争が本当に起きたら。

ほんの少し前ならば、不謹慎ながら戦争でも富士山噴火でも大地震でもなんでも起きろと思っていた。自殺する勇気はないし、やむを得ず死んだとなれば死後の世界で苦労する事もないであろうとバカな事を考えていた。
そのため、気分が優れず精神が不安定なそのタイミングで戦争の危機となれば、人間失格のサイコパス心理でも発動してそれなりにほくそ笑んでいてもおかしくなかったはずである。
それでも実際のところ感じたのは、誰しもと同様に“恐怖”、ただそれだけなのであった。きっと今や92歳で健在の母方の祖父が戦争の恐ろしさを教えてくれてきた事もあって、実はまともな感性を持ち合わせていたのかもしれない。

結局、病死でも戦死でも、いざ“死”が差し迫ってきたら、私は怖くて怖くてたまらないのだと思う。
そもそも私は幼い頃から死ぬという事にただならぬ恐怖心を抱えていた。心臓がトクトクとちゃんと動いている事を確認して泣きながら毎日眠りについていたほどには臆病で、常に死を意識していた。まだ幼かった私は、そんな感情を吐き出すにも上手く言葉にする事ができず、幼稚園にも通えなくなって母の膝からなかなか離れられない時期もあった。
そんな死に対する恐怖心は成長とともに薄れていき、段々と生きやすくなっていったのであるが、19歳になった頃に祖母と親戚のおばさんが立て続けに亡くなった。3歳ぶりに大切な人のお葬式に参列をし、その時に初めて死んだ人間の顔を見た。

じりじりと死を感じるのは、一番嫌だ。仮に大病を患って自分の最期を悟った時、私はどのような感情を抱くのであろうか。“やっと合法的に死ねる”だとか“生まれ変わるなら大富豪のお家の猫かな”などとのんきに病室のベッドでごろごろしてるつもりでいたけれども、今となってはきっとそうではないように思える。
そんな自分の事よりも、この先必ず訪れる両親の病気や死に対してしっかり向き合えるかどうかの方がよっぽど心配で生き地獄であるに違いない。前述の伯母が脳出血で倒れて後遺症が残ってしまった時も、あまりの辛さでお見舞い後の帰りに私は車の後部座席で思い切り泣いていた。

もし、戦争が起きて、世界が大混乱に陥ったその時、果たして私は生き延びようという強い意志を持って一日一日を懸命に生きようとするのであろうか。必死になって命乞いをするのか、自ら命を絶つのか否か。
2020年、私たちはもう戦後ではなく戦前に在るとの言葉を受け、私はハッとさせられた。腐敗しきった安倍政権もやりたい放題な世界情勢も、弱ったメンタルに対して本当に悪影響でしかない。

今日もあちらこちらで 命は消える
はずなのにどこを歩けど 落ちてなどいないなぁ
綺麗好きにも程があるよほんとさ
なんて素晴らしい世界だ ってなんでなんだか

そんなアメリカとイランの緊迫したニュースで始まった景気の悪い正月明けの白昼、新宿駅南口にてそれはショッキングな光景が多くの人々の目に飛び込んできたという。私もいつかしょっちゅう通っていたその橋で、若者の命が消えた。
良くも悪くもこんな時代なもので、東京から遠く離れた地方であってもその様子がタイムリーに情報として入り込んでくる。現場のモザイクなしの写真とともに。

警察や消防によって、“なされるべき対応”が取られ、その橋および新宿駅南口はいつもの光景へと戻っていったという。私はついさっきまで生きていた人間が命を落とした途端、まるでモノを扱うかのような言葉で扱われるのが嫌いだ。そのため、やたらと使われがちな“処理”という表現はしたくない。
正月休み明けで仕事初日、新宿駅から職場に向かう人々はきっとそのほとんどが下を向いて歩いていた事であろう。そして誰かが叫んだ声や目線高めに動揺する様子が伝播してやっと大勢が上を向いて──

この一件に関して様々な議論がなされていて、その思いの丈をnoteに綴った方々も多くいらっしゃると思う。私に関してはその深い部分については敢えて語らず、自身の中で留めておくつもりである。人それぞれの考え方と価値観がそこには在る。
ただ「公の場で自ら命を絶つ事は“迷惑”だ」という言い方だけは、どうも引っかかる。前述の“処理”という表現同様、私が訴えたいのはもっと別の言い方があるだろうという事である。

確かにその現場に出くわして精神的ショックやトラウマを抱えた人からすれば、“迷惑”と言いたくなる気持ちは大いに理解ができる。これ以上の発言は、私こそ現場に居た訳ではないので強制終了とするけれども、なんの関係のない人間が「全く迷惑だ」と言っているのを見ると、せっかく日本語ならではの言葉のニュアンスを理解でき、一つの言葉の意味でも複数の言い回しの中から選択して発言ができる能力があるのだから、もう少しオブラートに包んだ言葉を選んで発言してくれても良いのでは?という思いに刈られた訳である。

主よ雲の上で何をボケっと突っ立てるのさ

その自ら命を絶った人物が“若者”だったという目撃情報だけで、それがもしかすると私だったかもしれないという錯覚が起きた。ニュースなどで「“20代女性”が殺害されました」と聞けば、その女性が実は私であったかのような、あの感覚。
自分が今回の彼のようなかたちで命を絶たない保障などどこにもない。自分が誰かに殺されないとは絶対に言いきれない。それだというのに何もかもに対して他人事な言い回しをする人間が多すぎる。一体、神様は何を見ているのであろうか。死者を目の前にした人間たちの残酷で滑稽な一面を垣間見ても、主は何もしようとはしてくれないのか。そもそも私は神の存在など信じてはいないけれども。

そんな事ばかりを考えていたら、また気持ちが暗く重くしんどくなってきた。私は双極性障害Ⅱ型とかいうやつに近いらしい。別にそれが誤診で実は水虫でしたとかでもこの際なんでもかまわなくて、余裕のないこんな世界なんて、もう全部失くなってしまえばいい。──どうかあの彼が安らかに眠れますようにと、手を合わせる。

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