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「怒り」のエネルギーの扱い方と投影


マナーの悪い人を見かけると
つい腹を立ててしまいます。

エゴの振る舞いを見かけると
つい怒りが湧きあがってきます。


そして、相手を裁いてしまいます。



しかし、自分自身もまた、
マナーを無視することはよくありますし、

エゴな振る舞いをすることもあります。

 

お互い様です。

 


「自分が正しい」と思うと
怒りがすぐに勃発します。

このような状況に遭遇した時、

相手は、自分を写し出す鏡なのです。



相手を裁いてしまう自分は
「立派な人間なのか」と反省する機会です。


自分を省みる余裕ができれば
自然と怒りは治まります。






自分の中にありながらまったく気づいていないものが、他人の中 にある場合には、はっきり見えるということです。


これが「投影」の本質。



自分自身のネガティブな側面(自分が過去に拒絶したもの)が他人の中に見えた時、
それはトリガーとなって一つの反応を引き起こします。


その側面に対して、
ずっと前に自分がした反対と全く同じ反応を、

ここで再びしてしまうのです。



ある人のちょっとした一言で
傷つくことがあります。

ある人の心ない言葉で
グッサリとくることがあります。

ある人の批判的な言葉で
心が抉(えぐ)られる痛みを受けることがあります。

ある人の破壊的な言葉で
いつまでも引きずり、トラウマになることがあります。



人間とはかくも
繊細な生命体なのです。



傷と痛みを受けることで
人は許せない気持ちになります。

そして、過去の記憶として残し
傷つけた相手を恨み続けることになります。



しかし、恨み続ける限り
心の傷は癒えることはなく
自らを苦しめることになるのです。





傷と痛みを癒す最善の方法は
許すこと。


許して、水に流す。

 

これが平安な心を
取り戻す方法なのです。

許すとは愛の行為。


あなたの傷が大きいほど
大きな愛を経験することができるのです。


ぜひ愛することに挑戦してみてください。




もし、それでも許せない傷であるならば
あなたが過去の人生で逆のことをしたのかもしれません。




目の前に起こる出来事は
魂を磨くチャンスです。

 


特定の誰かに対して

「消えてほしい」
「いなくなってほしい」
という気持ちを抱くのは特別なことではなく、

心の中で激しい感情と共に感じた経験は少なからず
誰でもあるのではないでしょうか。




逆に自分自身が

「消えてしまいたい」
「いなくなりたい」
と感じることもあるでしょう。

 

これは誰もが少なからず抱く思いであり、
それは幼少期の経験からやってきています。



幼児期の私たちは
自分のニーズを満たすのに親を必要とし、
完璧を求めますが、

実際に、親が完璧に満たすことはできません。


望んでいるのに、求めているのに、
満たされないということが、たびたび起こります。


 

自分の内側にあるものが、
望んだように映し返されない経験は

拒絶された痛みとして
深く根付いていくでしょう。


そして、少しずつ
「拒絶されないように始めから期待しない」ようになるか
「拒絶されると分かっていながらも、
今度こそはと期待して努力する」

といった形など、さまざまな歪みをもって

その後の対人関係のなかで再現されて
私たちは苦しむことになります。


 

誰かから拒絶されたと感じた時

当時の痛みや傷がやってきて、
これ以上、その苦しさを感じたくないがゆえに

その苦しみの元凶である相手に消えて欲しいと願うか
あるいは自分がいなくなりたいと願うかということが
反射的に起こるでしょう。


 

その痛みは本物ですが、

元々の出所は、目の前の対人関係ではなく、もっと古い記憶からやってきているのです。



目の前の相手がトリガーとなって、
記憶の中にあるトラウマが刺激され

当時の混乱や苦痛や痛みが蘇るのです。

 

子どもにとって親から拒絶される体験は、
死を連想させる恐怖があります。


世界から拒絶されて、
居場所がどこにも存在しないような絶望もあるでしょう。



それでも、ここにいなければならないとするなら
拒絶を連想させる対象を消すか、
拒絶される自分を消すかしかないと感じるかもしれません。

 


幼少期の私たちには、
痛みや苦痛そのものを自身で感じ
受け入れ、扱うだけの裁量がありませんでした。


ですから、代わりに私たちは

その痛みや感情を丸ごとパッケージとして保存し
それを扱うことができるようになるまで

とっておくことになります。

 


そして大人になって、
さまざまな能力が身につくと、

しばしば対人関係を通して
「保存された痛み」と感情が再現される状況がやってくるでしょう。

 

相手を消し去ってしまいたいような、
あるいは自分自身を葬り去らせたいような、

激しく、狂気のような、
大きな大きな苦痛を伴う
怒り、悲しみ、嘆き、痛み…

 

その激しい感情に駆られて、
世界や自身を破壊したい衝動に襲われるかもしれませんが。


しかし、それが心から生み出されたものである限り私たちはそれを心で受け止めることができるのです。



激しい怒りを、絶望を、嘆きを、苦痛を、痛みを
恐怖を全身で受け止めると、

荒れ狂う嵐のように、
心と身体がめちゃくちゃに切り裂かれるような

 

それがやってくるたびに何度でも何度でも、
感じて、味わう…

痛いし、苦しいし、しんどいけれど、
それは本当にそのような苦しさがあったのです。


その時に扱えなかったものを扱い
味わうときがやってきているのでしょう。




自分の感情を感じきることができれば、
世界が変わります。

それは長くて時間のかかる道のりであり、
自分の心が安定していないうちは、

助けてくれる人を必要とするかもしれません。



この助けてくれる人の導きが誤っていると
また悲劇が繰り返されるというリスクもあります。

 


「怒り」もまた、
根本的な原因は幼少期の傷といえます。

怒りはエネルギーを消耗します。


つい腹を立てて怒ってしまうと
テンションは下がり、不快な感情がずっと尾を引きます。


できれば怒ることのない平安な日々を
過ごしたいものです。




ちなみにこの「怒り」
どうして生まれるのでしょうか。

 

その大きな原因の一つが
「期待」にあります。

 

実は、怒りは相手への期待から生まれるのです。



彼や彼女に怒るのも
夫や妻に怒るのも
上司や部下に怒るのも
お店や店員に怒るのも
政府や国に怒るのも

すべて期待するからです。




怒りを治める最善の方法。

それは
期待を放棄すること。




他人の行動を変えることは難しいことです。


しかし自分の期待を
放棄することは可能です。

相手に何も求めなければ
怒りは湧いてきません。



この『赦す』というエネルギーは、
ネガティブな選択をエネルギー的にニュートラル化する効果があります。


例えば、
肉体が死んで『あの世』の存在に戻ると
「浄玻璃鏡」と言われる体験をします。

この体験は、あなたがしてきた事を受けた側の
視点から体験します。

 

「赦す」エネルギーは
ニュートラル効果があるという意味は、

「浄玻璃鏡」と言われる体験をする時、
受け取り側の視点から体験する体験が

キャンセル化される事を意味しています。



つまり、「浄玻璃鏡」は
あなたが《撒いた種を刈り取る》メカニズムによって
あなたがしてきた事を、受け取り側の視点で受け取るメカニズムです。


つまり、バランスをとっています。




「赦す」エネルギーによって
《刈り取る》エネルギーは調和される事になります。

よって、相手側の視点での体験を
受け取る必要がなくなるのです。

 

キリストの言う「罪の赦し」とは、
まさにこのメカニズムを伝えています。

「赦す」ことでネガティブエネルギーは調和され

あなたが撒いた種(ネガティブ)は
バランス良になる事を意味しているのです。




「自分を赦す」事は「他を赦す」事に繋がります。

その逆に、「他を赦す」事は「自分を赦す」事に繋がります。




「相手から」ではなく
まず、「自分から」の精神を。








生きとし生けるものすべての魂が
幸せでありますように…




スピリチュアルライフコンサルタント橘直葉



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