emptiness0514

愚か者の代表です。よろしくお願いします。

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最近の記事

善財童子と東海道五十三次(出発地:日本橋)

善財童子とは華厳経という仏教経典の中に登場する青年です。華厳経とは南都六宗(奈良時代の仏教宗派:華厳宗、法相宗、倶舎宗、三論宗、成実宗、律宗)の1つ華厳宗の基になったお経です。南都とは平安時代に京都の南側の都市であるという意味で名づけられた名称で、華厳宗の大本山は奈良の大仏で有名な東大寺ですね。ついでに言えば興福寺、薬師寺は法相宗の大本山、唐招提寺は律宗の大本山ですね。残念ながら現在、倶舎宗、三論宗、成実宗のお寺は残っていません。 善財童子は「仏とは何か」「生きる苦しみはど

    • 対立の世界

      私たちが生きているこの世は対立の世界であると言われています。幸福と不幸もそうです。幸福という言葉は不幸という言葉があるから存在するし、同時に不幸という言葉は幸福という言葉があるから存在できる。対立の世界であると同時に互いの存在を支え合っている仲間と言えるかもしれません。 対立の世界に居るから不幸を感じ、不幸なところからどうしても抜け出したいと思うのが人間です。そう出来ている世の中から出たいということは、そう出来ているものを棄てるということでなくてはならない。棄てるということ

      • 地獄の真ん中で気付く極楽

        地獄の真ん中にいて始めて極楽の有難さが感じられると言われれば、普通に誰でも納得するでしょうが、極楽にいて始めて地獄の味が分かると言ったら、誰がそれに同意するでしょうか? しかし事実は、極楽などにいたら、何の変化もなく、朝から晩まで単調な幸せな生活を送らなければならない。 果たして、人間はそれに堪えられるだろうか?極楽を味わえるだろうか? Ennui(アンニュイ)で死んでしまうかもしれない。私たちはここで始めて人間らしく地獄に同居していることの意味に気が付くかもしれない。

        • 地震の悲しい摂理

          最近の地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りしますと共に被害を受けられている方々の環境が少しでも早く復旧されることを念願しています。 地震は突然やってくる。そうすると樹が倒れる、家が壊れる。土砂崩れが起こる。しかしその地震はこの樹を倒してやろうと思って地震を起こしているのではない。この家を壊してやろうといって地震を起こすのではなくて、地震はただただ地震を起こす。壊れたものは壊れるので壊れたのだ。そこに何ら自分(地震)の意志は入っていない。地震に殺人の意志はない、倒れた

        善財童子と東海道五十三次(出発地:日本橋)

          禅という言葉の説明の一例

          20年以上前のことになりますが、私はある禅寺で某有名な宗教社会学の先生と語らっていました。その先生は私に 「私はかつてスタンフォード大学で『禅とはなにか』というテーマで講演をやったんだが大いに受けたが君はどう思う?」と言われました。講演の内容は 『我々が自分自身を幸福に導くのに2つの方法がある。1つは外の環境を作り変えて行く方法であり、もう1つは内なる自己自身を変えてゆくというやり方である。前の方は西洋に発展した科学的・技術的な方法であり、後の方は東洋、ことに禅によって代表的

          禅という言葉の説明の一例

          甲と乙

          自分の愚かさを自覚しつつも今日はどうしても不愉快になり自分自身の感情を整理できない。確かに不愉快になった原因はあるけれども他人が自分に与えた失礼さ不愉快さを寛容な気持ちで受け入れることができないなんて恥じ入るばかりだ。これは不愉快な事象を与えた他人より自分が一番大切だという自分の愚かな自己本位の気持ちのせいだと思う。相手のことを思う気持ちが足りないからだろう。自分自身の心を整理する意味で以下を書いてみたい。 よく私たちは「甲乙つけがたい」という。よくよく考えてみると「甲」と

          承認(誰かに認められたい)

          例えば、お遊戯が上手にできたお子さんが「よくできましたね~」とほめられる承認です。あるいは、プロ野球の選手がバッターボックスで難しい球をクリーンヒットした時に、それはプロ野球選手として承認されたと思えるでしょう。 ただし、具体的に誰かに褒められることをしなくても、ヒットをうった時に自分自身が嬉しくなる。それは野球というゲームの中で、みんなから承認され得る行為を自分はしているという事が分かっているから嬉しくなるわけですね。その証拠に、もしも野球というゲームが、ヒットを打つと

          承認(誰かに認められたい)

          宗教はなぜ存在するんだろうか?

          かつて問題視されたオウム真理教や今問題視されている旧統一教会等々、私たちは宗教に怪しさや不信感を抱きつつ暮らしている。新興宗教だけではなく、長い歴史を持つキリスト教、イスラム教、仏教も例外ではないように思う。でも、そう言いながらも、相変わらず、宗教は今も生き残り、我々はある程度嫌いながらも、一定程度距離を保ちながらも何となく心の支えとして生活している。   生きるためには食料が必要だ。我々人間はこの地球の自然環境をかなり把握理解している。食べられる動物や植物はどこにいる

          宗教はなぜ存在するんだろうか?

          幸福×不幸

          何度も自殺を考えた。駅のホームから飛び込もうか、睡眠薬で死ねないか、今住んでいるアパートから飛び降りようか、ただ、たかだか3階からの飛び降りでは中途半端で死ねないかもしれない。結局のところ僕は死ぬ勇気さえないのだと思った。なんともだらしない中途半端な人間なんだと気づき改めて自分が嫌になった。 今日は2024年1月1日。一人での正月を迎えるのはこれで2度目だ。目覚めていつものように狭いベランダに出て空を眺めた。真っ青な空が奇麗だった。昨日の大晦日の朝は雨だったのが嘘のようだ。

          あ~、もう耐えられない

          ゴールデンウィーク前、僕はある上司から私の考え方を全否定され激しい叱責を浴びた。 あ~、もう耐えられない、もう嫌だ、我慢できない、逃げ出したい、死にたい、と思って しまった。 頭の中は混乱し、冷静さを失っていた。自分の人生の生きる意味や価値、アイデンティテ ィを全否定されたのだから。 ゴールデンウィークはいつも通り酒浸りの愚かな日々を過ごした。 そしてふと考えた。あれ、俺は生きているし、まだ耐えている、と。 もう耐えられない、我慢できないという感情は冷静に整理してみると、

          あ~、もう耐えられない

          神仏習合

           日本の宗教をいま一つ分かりにくくしている原因はこの「神仏習合」にその原因の多くがあるに違いないようです。例えば、「八幡様」にしたって、「八幡神社」というくらいですから神様だと思うのが当然です。鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣する人々だって、社頭で柏手(かしわで)を打ってお辞儀をします。  ところが、その一方では「八幡大菩薩」という称号もあるからややこしいですね。戦国武将の旗印などに「南無八幡大菩薩」など掲げているのを、映画や絵画で見たことがあります。言うまでもなく「南無」も「菩薩」

          「空」とは何だろう?

          仏教の日本の主な宗派は浄土真宗本願寺派、浄土真宗大谷派、浄土宗、天台宗、真言宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗ですがこの八宗の祖と言われているのが紀元2世紀のインド僧、龍樹(ナーガルジュナ)で、その龍樹が確立したのが「空」の基になる中観思想です。  中観の「中」は龍樹の主著『中論』の「中」ですね。 龍樹は、この中論等の論書において、皆さんよくご存じの般若心経に代表される般若経経典群の空観を大乗仏教の基本的立場と考え、これがブッダの説いた縁起説の真意であるとして、空理論を哲学的に理論

          「空」とは何だろう?

          私という人間の歴史

          私はこの世に生まれ、生き、そして死んでいく運命にあるようです。私は死ぬことによって私が存在しなくなってしまうことを恐れてしまいます。私の歴史は、私の死と共に終わります。   私が死に、私の肉体が朽ちてしまうことは、私や私のまわりの人間にとっては一大事ですが、私を構成している電子や陽子や中性子にとっては、私の生も死も何の意味もありません。   「私」という存在は、身体を構成している分子の「関係性」に支えられています。世界は大きく、分子は小さい。小さな分子が大きな世界にまき散

          私という人間の歴史

          日本仏教の概略

           インドで生まれた仏教思想は日本書紀の文献によると中国、韓国を経由して6世紀に日本へ入って来たそうです。日本はそれまでも遣隋使や遣唐使を始めとした交流手段を通して中国文化の影響を受けて来ていましたし、朝鮮半島の国々とは縄文時代から交流があったようですから、仏教思想はごく自然に日本に入って来ました。  仏教はインドではほとんど亡びてしまっていますが、その精神は今日でもヒンドゥー教等の中にその思想は根付いているようです。マハトマ・ガンディーのような人々は正にこの仏教思想を含有し

          日本仏教の概略

          Something Greatとお蔭様

          20世紀前半に活躍したアインシュタインはこの世界を考えるParadigmを変更させるほどの業績を残した無知な私でも名前くらいは知っている偉大な物理学者です。その彼が、ある記者に「神はいると思いますか?」と質問された折、次のように答えたそうです。   「この世の中をつぶさに見て、これほどの調和が、なにか計り知れない偉大な存在なしに実現しているとは思えない。」と。   ですからアインシュタインは、godという表現を避けて、something greatと発言したわけで

          Something Greatとお蔭様

          苦しむことの喜び

          最近の私は65歳まぢかの年齢なのと昨年癌で闘病生活を送りましたので趣味だったジョギングを控えていますが、それでも仕事に復帰していますので意識しないでもスマホの万歩計アプリを見るといつの間にか当たり前のように毎日10,000歩以上を歩いているようです。 どうも私に限らず人間は身体を鍛えることが本能的に好きなのかもしれません。もっと 別の言い方をすれば身体的に辛い負荷をかけることが好きなようです。生きるには何かの 励みや気分転換が必要です。学生時代はもちろん社会人になってからも

          苦しむことの喜び