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西ヨーロッパ=東アジア 

前にロシア東欧はヨーロッパの東南アジアという文章を書いたので、今回は東アジア(東北アジア、外務省の分類だと北東アジア)と西欧の比較を書いておきたい。

①中国は東アジアのギリシャ、ローマ

 中国は、この地域の基層文化を創造したから、ギリシャ、ローマに該当する。これには異論はないだろう。ギリシャの哲学者に当たるのが中国の諸子百家で、ローマ帝国に当たるのが漢である。

②韓国、朝鮮は東アジアのアイルランド

 いずれも、隣の島国に併合され、そのことを根に持っている。アイルランド人は日本軍が英領シンガポールを陥落させたことを喜んだという。
 南北に分断されているところも同じ。北アイルランドはいまだにイギリスの一部という点は韓国とは異なっているが……。
 またイギリス人の話だと、アイルランド人は自己主張がイギリス人より強いのだそうである。そのせいで、チームワークが苦手らしい。これは日本人から見た韓国・朝鮮人にも当てはまりそうである。

③モンゴル


この書物の中で、イギリスは「絵もない、音楽もない、彫刻もない」と書かれ、文化的に不毛であることが強調されているが、イギリスは世界を制覇した国でもあった。同様の国を日本に近いところで探すと、モンゴルということになるだろう。
 イギリスは立憲君主制の島国で、喫茶の習慣や自動車が右ハンドルであることなどから、日本と比較されやすいのであるが、日本は世界を制覇したことはない。


④ウイグル

 ウイグルはトルコ系民族の一部なので、ウイグルというよりトルコ系に当たる国々を考えた方がいいかもしれない。
トルコ系の人々は中国の西域から中央アジア、西アジアにまで広がり、それらの地の人々と混血している。これで連想されるのは、スペイン系の国々であろう。ヨーロッパから中南米に広がり、さまざまな人々と混血して、現在の国家群を形成した。 
トルコ系=スペイン系

⑤フランスに当たるのは?

 自己中心的である点で、中国=フランスという比較をよく目にする。だが、これは違う。中国=ギリシャ、ローマであって、=フランスではない。

⑥フランク王国=隋、唐
フランク王国はフランスの起源ではあるものの、フランク王国=フランスではない。隋、唐は浸透王朝で、帝室は漢民族ではない。(諸説あるが、北方の騎馬民族らしい)中国では、隋、唐は漢民族王朝ではないなどという主張はしていないが、フランク王国のように別系統の民族が建国したと考えると、たとえフランク王国がフランスの起源であったとしても、中国=東アジアのフランスと言えるわけではない。では、東アジアのフランスはどこだろう?

⑦清朝
満洲族の征服王朝。フランスの植民地拡大も清朝と時代的には重なる。
先程の『善悪の彼岸』には「フランスは北のゲルマン要素と南のラテン要素がほどよく混淆している」という記述がある。清朝は北方の騎馬民族の要素と南方の漢民族の要素がほどよく混淆していると考えれば、満洲族がフランス人に当たるのではないだろうか。フランス人は怒る可能性があるが……。
日清戦争における清朝の敗北は、普仏戦争におけるフランスの敗北に対応していると考えれば、フランス人=満洲族説もあながち荒唐無稽とも言えない気がする。

⑧チベット

チベットのダライ=ラマをローマ教皇のような存在と考えれば、チベット=バチカンもしくはチベット=イタリアということになるだろう。

⑨日本
 
では、日本は?
イギリスと似た面はあるものの、やはり東アジアのドイツということだろう。これは、定説のようになっていて、これに異を唱える必要もない。

⑩東アジア(東北アジア、北東アジア)=西欧であり、東南アジア=ロシア、東欧が比較対象としは正しく、ウクライナ戦争も、こうした観点から考えると、異なった見方ができるかもしれない。

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