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鹿狩りフラミニヤ―創作

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自然発生的に生まれた掌編や散文詩ともつかない「創作」寄りのもの、およびお題をきめて書いた習作をこのマガジンで販売しています。不定期的に更新され、原稿用紙で二百枚程度になったらひと… もっと読む
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#小説

プラネッツ 一、アダムとエヴァ

プラネッツ 一、アダムとエヴァ

   一、アダムとエヴァ

 ストーキング行為も今回で半年めへと突入した。
 大丈夫。
 マーヤが過去に姦淫の罪を犯したか如何は分からない。だが己(お)れのなかで彼女の処女性は円環を象る。恋愛などどうせ皆作り話みたいなものさ、異國人(エトランジェ)。
 東京都庁最上階付近の展望ロビーに至ると、文庫本(マーヤが描いた藁かごに眠る仔猫のイラストが表紙)をポケットにしまって、己れは望遠鏡にいざり寄る。原

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鹿狩りフラミニヤ(改訂)

鹿狩りフラミニヤ(改訂)

 一一九八年、ビスケ湾内のある島に、狩猟の苦手な領主がいた。高い鼻をもっていて、しょっちゅう風邪をひいていた。フラミニヤがむかし聖堂で観たモザイク画のなかの廷臣のように、領主は細身で長身だった。だがその頃から、モザイク画の周辺をふちどる近東の民族美術をマネした不思議な文様の方に、強く惹かれるものがあったのがフラミニヤである。
 気まぐれに訪れた平和な一期間ともなれば、領主たるもの、狩りに出て憂き身

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残影(前)

残影(前)

 それは彼にとってはたしかな記憶だった。厳密にいって、その記憶は長らく忘却されていて、今朝がた思い出されて以降、「たしかな記憶」として彼に感得されていた。彼は彼女とある画廊を訪ねていたはずであって(銀座と有楽町の中間に位置する、人けが途絶える横通りに画廊はあった)、それは夏の日の夕刻で、そのあと彼と彼女は柳通りの建物の地階にあるカフェーに入った。彼はブレンドを頼んだはずであり、というのは彼は彼女と

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玉岡あひるの荷物と荷づくり

玉岡あひるの荷物と荷づくり

 日本は平和なんさ。そう、恐らく根本的に、土とか水の段階からして平和なんさ――中学生までの期間をニューヨークの都市部で暮らしていた玉岡あひるにとって、それは日比谷公園の鳩をみながら、山の手の満員列車でスマホケースを破損させた女性の悲鳴を聴きながら、神田川をみながら、つねづね確認させられている揺らぐことなき胸懐で、そしてそのものの見方や感じ方が彼女の態度のはしばしにあらわれると、それはクラスメイトた

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ppp(非常にパルプに)と符合がある幕間劇のつづき――または「僕のやり方をみせてやろう」

ppp(非常にパルプに)と符合がある幕間劇のつづき――または「僕のやり方をみせてやろう」

 そして赤錆びた駅舎を抜けた僕はフロアーの真ん中でうつ伏せに倒れていた。
 立ち上がろうとするとパイプ椅子が頭に当たった。
 防災訓練でもあったらしい。
「わりと器用なのね」
「屑みたいな気分だ」
「お酒は呑んでいないはずよ」
「屑だ。屑だ」
 時折起きしなに体験する意識消失のように、立ち上がろうと思っても立ち上がることができない。
 僕は床の上を泳ぐようになる。
 フローリングの床をつかむような

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ルイーズと森の道(仮題)―前

ルイーズと森の道(仮題)―前

※無料

 世の中には幽霊を信じる者と信じない者とがある。ルイーズはその立場の上で、截然と前者の態度をとっていたが、それは単純な幽霊とは性質を異にしていた。もしも万が一、それについて踏み込んで話を聞くわけしりがいたものならば、彼はルイーズの身の周りに起こっていることについて卒然と感得させられ、理解を促させられていたはずだった。ルイーズの幽霊はルイーズ自身と切って離せなかった。そのルイーズの幽霊は人

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給食配達ベラ・バラージュ

給食配達ベラ・バラージュ

 コンビニでつぎのような買いものをする。
 おにぎり二種(紀州梅と鮭)。
 板チョコ。
 ちいさいおようかん。
 これで買いだめであるのは、爾来わたしの食が細く、かつ家の冷蔵庫に飲みものが潤沢にあることに拠る。
 チャンさんというみない顔がレジスターの操作をし、これをわたしはベトナムのひととみた。名札の上方に、研修中、の文字がゴシック体で記入されてあったのはなるほどしかりである。
 コンビニの袋を

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鹿狩りフラミニヤ

鹿狩りフラミニヤ

 一一九八年、ビスケ湾の中におさまるある島に、狩猟の苦手な領主がいた。高い鼻をもっていて、フラミニヤが昔聖堂のモザイク画でみた廷臣のように細身で長身で、しかしその頃からモザイク画の周辺をふちどる近東の民族美術に感化して飾られた不思議な文様の方に、惹かれるものがあったフラミニヤである。気まぐれに訪れた平和な一期間のことであったから、領主たるものは狩りに憂き身を窶すのが世のならいであったが、教会が狩猟

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令和の御代のはじまりと私――掌編にかえて

令和の御代のはじまりと私――掌編にかえて

 沸々として湧き出るものが、溢れて零れる時を私はずっと待ち受けていた。
 もうだれとも逢いたくない、人と出会って話をしていると私は彼らの言葉に声に、私の懐中から取り出した細やかな工具を用いだし、醜い部分を裏返しにさせて露呈させ、私はそれ以外の従来の工具の使い道を見失っている始末だった――なにを言っているの? 慥かに君には僕が何を言っているのか分からないかも知れない。けれどももう本当に見納め時だとお

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十二月上旬の景観

十二月上旬の景観

 いずれ世界を底抜けに滑稽に染め抜く小唄ともつかぬ、饒舌と哄笑の遊戯でさえなくなった惰性の遊戯に包まれて、この日本という島国でもっとも夜が夜であるという繁華街の中央、危なっかしく均衡を保とうとすることに私はそのころ、疲弊していた。疲弊? 今更なにが疲弊であったと云うのだろう?――こうなることを選んだのは自分だったではないか。交遊も酒も喧噪も、持って回った言い方も。問題は、ふと醒めたようにしてそれら

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十一月半ばに書かれたパスティッシュ風の幕間的掌編

十一月半ばに書かれたパスティッシュ風の幕間的掌編

「そうですか」
 それは広く長い河川の流れとは異なっている。
 それは地下からしみ出す水がいずれなにかのはずみに、掘り抜き井戸を溢れるのとも異なっていて、そしてまた海辺におとずれる潮の満ち干とも決定的に性質をたがえている。
 あらゆる意味においてそれらの比喩は、適切さに欠ける。

   □

 ただ私はみていたのだ。穏やかな波頭のうねりをみつめているうち、時をかけてなにかが漂着する「時」の訪れその

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