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通信制高校から全日制大学に入り、退学して自分の生き方を考えているひとの煩悶

今日も500文字でおしゃべりしましょう。と思いましたが2000文字に迫る文章になりました。今日はじっくりとお読みになってください。

〈大綱〉
いちど入った大学を半年経たずに辞めたこと

フリーランスの発見

フリーランスを取る不安

フリーランスを取る理由

わたしはとても不安です。

わたしの末路がこわいです。

わたしは今、自由に生きようとしています。

全日制の大学に入ったのに半年で辞め、
通信制の大学に入ってフリーランスになろうとしています。

もう一度全日制の大学を受験することもできる環境にいます。

それでもわたしは通信制を選びたい。

一度入った大学で、授業時間がもったいなく思えました。
苦労して早起きしたのに、ゆったりと進む説明、休み時間のようなグループワーク。
その時間に本を読んで文章を書きたいと思いました。

それに、一日のうちに授業に出て部活に出てバイトに行くという連戦をする体力は、わたしの脳や身体にはありませんでした。

かといって授業だけの生活はとても空虚になることが予想されて嫌でした。

わたしには拒む決断力がある。

そう奮い立って、大学を辞めました。

辞めるときには、まずは旅をしようと思っていました。

近いうちに経済的な自立をしなければならないけれど、
3年くらいの猶予はあるだろうと思ってのことでした。

けれど家庭内の話し合いの結果、次の冬にまた全日制の大学を受験することになりました。

そのときにはわたしもそれが幸せにいちばん近い道だと考えました。

大学で、いちばんやりたいものを専攻する。

就職して、生活に煩わされずにやりたいことを大いに続ける。

生活自体に頭を悩ませることは、とても辛いことだと思ったのです。

そして再び受験勉強をしていたある日、フリーランスという働き方の存在に気づきます。

会社に通わないという働き方。

組織内の煩わしさや、組織に居続けるための苦しさがない生活。

これを目指すことに切り換えた方が未来が開けるように思われました。

すぐに、会社に通わないことが大学に通わないことに繋がりました。

そのとき、大学に通おうとしていることが馬鹿馬鹿しく思えたのです。

通信制高校の生活が好きでした。

安定を求めても、得たと思った安定がいつ崩れるか分からない社会だと聞きます。

すぐに行動を起こし、商業的に通用する技能を身に付け実務を始めることは、長い目で見て賢明ですらあると思いました。

わたしは受験勉強を止めました。

最低限で続けようと思っていましたが、モチベーションが立ち消えて続きませんでした。

あっさりと止めてしまったことを受けて、全日制大学を目指すことに見切りをつける方向に心が動きました。

高校最終学年で、エントリーシートや面接におそれをなして出願しなかった、あのときに結果は出ていたのだと思いました。

来る日も来る日も同じ時刻に通学路を通って、
心が固くなっていくのが嫌でした。

わたしは関心の向くほうに手を伸ばし、ほどほどの生活水準で生きていこうと思いました。

けれどこわいのです。

いつか、後悔するのではないでしょうか。

あのとき、社会に迎合していればよかったと。

貧しさからは容易に抜け出せないのではないかと思います。

どこにも属さなければ相対的に他者と関わる機会が減り、隠遁者のようにひっそりと一生を終えることになるのかもしれません。

けれど、全日制の生活は、難易度が高いのです。
思い込みかという疑いが頭をよぎりますが、
実際に、納得していなければ、わたしはまたやめようと考えるでしょう。

それに、このこわさの元である認識が思い込みである可能性もあります。

思い込みで忌避するのは嫌です。

わたしは通信制の可能性を信じたいし、
個人の生き方の追求を肯定したい。

「もう学校に行かなくていいんじゃない」と言ってくれるひとが、身近にいてもいいのではないかと、これまでの数年間を振り返って思います。

フリーランスでしっかりと生活が成り立っているひとが身近にいたら、これほど悩むことはなかったかもしれません。
つまり、フリーを目指すことにこれほど悩む必要はないかもしれません。

今この時期に、自分の人生を決定する岐路に立たなければいけないのかもしれない。そう思います。

通信制高校に入るときは、それまで漠然と想定していた進路を考え直す必要はありませんでした。通信制高校生が大学受験をすることは難しくなかったからです。

節目のたびに、それなりに悶々と悩みましたが、他の可能性を潰すことを伴う選択を、積極的にはしてこなかったと思います。

今こそそれをする時かもしれないと思うのです。

頭でっかちかもしれません。

愚かしいかもしれません。

それでも、人生に真面目であることは、貶されるようなことではないと思います。

どうせ苦しくて不確かなら、楽しめそうな方に進もう、と思います。

わたしの決断を、僕は楽しみにしています。


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