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海からの手紙(ルティシアにて)

   海賊王子と初恋花嫁」(著 須王あや 角川ルビーコレクションより発行)の小話です。

「イシュル様、イシュル様、レンティアからのお手紙が届きましたよ。たくさんの贈り物とともに」
「カイから?」
 この単語は何と読むのだったっけ……と細い眉を寄せていたイシュルの顔がぱあっと輝いた。
 皇帝陛下の覚えがめでたくないので、あまり出世の見込みのないイシュルだが、本を読むのが好きなこともあって、誰に言われなくても学問はよくしいていた。
 何十人もいる兄たちのなかには、世継ぎになれるわけでもなく、退屈を持て余して、学問もせず、武術の鍛錬もせず、日がな放蕩に耽る者も多かった。
もっとも、イシュルはろくに言葉を交わしたこともない兄たちよりも、海の勇者として吟遊詩人たちに歌われるカイを、憧れの兄のように慕って、道標としていた。
 生まれ育った後宮から出ることもないイシュルの生活は単調で、日記のように他愛のないことばかり書いてカイに手紙を送るのだが、海賊王子殿は様々な国を旅しながらも、実にまめに返事をくれた。
 それは、カイのイシュルに対する幼い深い愛情や心配からの奇跡の賜物で、普段のカイはと言えば、
「おまえはイシュル殿への手紙以外にも長い文章を書けよ。イシュル殿への手紙に比べて、偉い人への手紙が簡素すぎだから」
 とヤンに呆れられるような有様だったのだが。
「何かいい香…」
「まあ、有名なイシュタルの紅茶ですね。本当にいつもカイ様からの贈り物は趣味がよろしいですね」
「うん……そうだね」
 カイのことを誉められると、イシュルはいつも嬉しくなる。
何と言っても、世界中探しても、たった一人しかいないイシュルの友達だ。
 イシュルは、そうそうパーティにも呼ばれないので、他国の人とは出会う機会がないし、たとえ出会ったからといって必ず友達になれるものでもない。
 そして友達になったからといって、こんなにまめに手紙や贈り物が届くわけではないということは、カイ以外には友人のいないイシュルの知らないことだ。
「カイ様は、いまはどちらにいらっしゃるのですか?」
「いまはね……、イシュタルにいるみたい。女王陛下がイシュタルから帰してくれないってこの手紙で嘆いてるよ……」
「人気の高い方ですから、何処の国でも引き留められて大変ですね」
「……ね」
 手紙を読みながら、イシュルは微笑んでいる。
 今回のイシュルの手紙は早めにカイのもとに届いたのかも、とご機嫌だ。
 イシュルは、レンティアに手紙を出すことが多いけれど、カイは違う国にいることも多いので、カイの手に届くまでにだいぶ時間がかかることもある。
 そういうときは、ごめん、時差がだいぶ出来た、といつにもまして、カイからの贈り物の山が出来る。
 イシュルは、カイの手紙以外は、本当に贈り物は何もいらないのだけれど。
 カイが元気で、イシュルのことも気にかけてくれると思うだけで幸せなので。
 手紙の返事が遅くて気にかかるのは唯一、初戦以来ずっと無敗を謡われるレンティアの海賊王子とて不死身ではないのだから、カイの身に何事かあったのでは、と怖くなるだけだ。
「何処の国の姫が海賊王子の心を射とめるのか、楽しみなことですね」
「え……?」
「でもきっと、どんな姫がカイ様の婚約者になられようとも、イシュル様ほどはカイ様からお手紙を頂けないのでは……」
 女官たちは、ちょっとした優越感に満ちて、微笑みあった。
 普段は人も訪れなくて寂しいイシュルの宮だが、世の中で話題の若い美貌な武人に主人がこんなに大切にされている、というのは女官たちの密かな自慢だった。
 成長とともに、カイの名は、人々の耳に届き、こんなに遠いルティシアの宮廷どころか下町でもカイの姿絵や物語が売られていた。
 もっとも描いてる絵描きは、カイ本人に逢ったことがない者がほとんどなので、誰かが描いたカイの似姿のそのまた似姿になっている。
 とにかく海の神様も迷うようなどえらい美形らしいから、遠慮なく美形に描いとけ! ぐらいの勢いだ。
「そんなことあるはずないよ。カイはきっと……」
 花嫁になる人のことを大事にするはず、と言いかけて、イシュルの言葉は途中で消えた。
 何故だろう。
 大人になったらあたりまえに、カイも花嫁を迎えるだろうに、カイの隣に誰か知らない人が立つ、と考えただけで、少し寂しくなった。
 手紙に添えてる、イシュルの小指の指輪が目に入る。
 カイがくれた、お揃いの指輪。
 いつか、カイの小指ではない指を、他の人とお揃いの指輪が飾るのだろうか。
 それを想像すると、どうもあまり楽しくない。
 ……これは、自慢の兄を、知らない他の人にとられるような気持ちなんだろうか。
「まだまだきっと遠いお話ですわ。カイ様はお若いし、レンティアに一番有利な国の姫をお選びになるでしょうし……、それはカイ様がイシュル様に捧げてらっしゃる、純粋な御友情とは違って……御国のことが絡む御婚姻でしょうから」
「……カイにはそんな不自由な結婚して欲しくないな」
 カイには、誰よりも自由で、いて欲しい。
 イシュルの分まで。
 カイが花嫁を選ぶなら、御国の為でなく、カイの意志でカイの望む人を選んで欲しい……。
 美しい、優しい、カイの隣に立つにふさわしい人を。
「きっと大丈夫ですわ、イシュル様。何と言っても、カイ様のお父様も、フェリシアの姫と駆け落ち結婚ですもの。レンティアの方は、条件の良さより、燃え上がるような恋に殉じるお国柄なのかもしれません」
「まあ、まるで子供の頃に母が読んでくれた御伽噺のようですわ」
「……さあさあ、皆さん、イシュル様は、カイ様のお手紙をゆっくりご覧になりたいでしょうから、私たちは少し下がりましょう」
 いつも一番イシュルの気持ちを考えてくれる女官のミナが、勝手にカイの話ではしゃぐ女官たちを制してくれる。
「……はーい。イシュル様、どうぞ、カイ様に、私どもにまでいつも贈り物をありがとうございます、誠心誠意、カイ様のご期待に応えられるよう、イシュル様にお仕えしますね、とお伝えください」
「う、うん……わかった。伝えるね」
 いや、その文面はどうなんだろう? と思うけど、いつもカイが女官たちにもいろいろ贈ってくれるので、カイからイシュルへの便りが届くのを、イシュルの宮の者たちはそれはそれは楽しみにしているのだ。
「………」
 やっと一人になれたイシュルの部屋には、イシュタルの紅茶の匂いがしている。
(……女王陛下が、なかなか帰してくれないんだが、オレを宮殿なんかにおいて、どうしたいんだろうな。ここには海がない。早く海に帰りたいよ)
 女官たちの勝手な噂話とは関わりなく、カイは、子供の頃と同じ言葉を手紙に綴っている。
 イシュルの唯一知ってる子供のカイが、拗ねてる顔が浮かぶ。
(オレは王子様じゃないのになあ。でもイシュルが女の子だったら、オレのお嫁さんにしたらレンティアに一緒に連れていけたのにな)
 お人好しのカイ。
 政治的に結婚を決めるのも似合わないが、そんな理由でちいさなイシュルと結婚を考えるのもどうなんだ、と言う……。
 あれは、イシュルが泣いたから。
 帰らないで、と泣いたから。
 十二歳の頃から、初めて逢った十歳のイシュルにも、あんなこと言ってたくらいだから、泣いてる子がいたら、きっとあちこちで情に絆されて、大変なんじゃないな……。
「早くカイが女王陛下から解放されて、海に帰して貰えますように」
 イシュルはそう言って、お守りの指輪だとカイから貰った左手の小指の指輪に、祈るようにくちづけた。
 少なくとも、まだいまは、カイとお揃いの指輪をつけてるのは自分だけなのだろうか、と子供っぽい甘い独占欲を感じながら。

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