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温かい人たちに囲まれる感謝

ふと目を閉じて、思い起こす。

私には「温かい」を感じていない日々が会ったことを。

生まれは伊勢の近くの山育ちで、家族と、自然に愛され満たされて育った。だけど大人になった私は、そんなふんわりした世界だけしか知らなかった故か、甘ったれた田舎娘はとんでもない地獄を見ることになった。

私を利用しようとする人間がいた。暴力をふるう人間がいた。
味方のふりをして、私の心を一ミリも見ていない人間がいた。

暴言やストーキング、嫌がらせは、ネット上では今でも引き続きあるが、それよりももっと近い存在にそういった人たちがいて、「温かい」と思い込ませ、そんな疑似の世界にずっといたように思う。

思考は停止し、高校時代に好きだと言われていた文章もろくに書けず「今の私は脳みそが溶けている、脳みそが溶けているからうまく判断が出来ない」と、そう周りに言っていたそうだ。

私の思考が戻ったのは、周りの環境が落ち着いてからだ。だからこそこうやってここに思ったことを書くことが出来、文章を読んでくれる人がいる。

トークショーには、私がとても信頼している人ばかりが来てくれた。もっともっと多方面で集客をした方がよかったのかもしれないが、興味がある人に来て欲しかったから、大きな集客は特にしなかった。

それでも集まってきてくれた人は、東京だけでなく他県の遠方からわざわざ来てくれた方もいて、私の話に耳を傾けた。

私はトークショーのあの時間を通して「温かい人の中にいる」ことを実感した。誠実で、温かい。そんな世界は実在して、そうだ、生まれ育った時はそんな世界にいたはずなのに、私はいつの間にか地獄の扉ばかりを自ら開け、苦しい思いを続けていたじゃないか。

数年前、どん底まで落ちて薄暗く泥臭い井戸の中に入ってうずくまっている時に、上の方から聞こえた優しい人たちの声。その声たちは見上げると、温かい光となって先へ先へと歩み出す大切な道しるべだった。

その優しい光を頼りに歩き、走り、いつの間にか周りには温かい人で溢れていた。光に包まれるように、私も「そちら」に辿り着いたのか。

感謝を持つんだ。この温かさがなかったら、私はきっと凍り付いたままあの井戸の中から這い上がることすら出来なかっただろう。それでも私を信じて声をかけてくれた人。その後出会って優しく接して今でも仲良くしてくれる人全てに、感謝の気持ちを捧げたい。

私は幸せに向かって走り続けている、今も。
優しい周りの人たちも、幸せと優しさに包まれる日々であるように願う。

そしてこの手に宿った温かい光を、今温かい場所にいない人の心に灯してあげることが出来る自分になれますように。


山口葵

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