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「物書きの美学と矜持」を学べる一冊

1週間前のnoteで「絶版本」について書きました。

絶版のものは新刊書店では入手できません。図書館で探すか古書店を巡って見つけるしかない。長年読みたいと願いつつ、いまだ実現できていない本はもちろん私にもあります。

淡い期待を込めて「神田古本まつり」へ足を運びました。

厳かでありつつ開放的。何気なく陳列され、積まれ、シリーズごとにまとめられ、ワゴンの中で背表紙を見せる宝の山を眺めているだけで胸が躍りました。

最大の収穫は↓です。

2002年に出版された単行本、2005年に出た文庫のいずれもいまは絶版状態。ささやかな沢木ファンのひとりとして「いつかいつか」と願っていた一冊にようやく出会えました。

内容は「映画評論集」「書評集」および「スポーツ観戦記集」の三本立てです。全体で300ページ弱。決して長くない。しかしひとつひとつに妥協や忖度とは縁遠い緊張感が漲っており、作品のセレクトも大衆寄りではありません。

またスポーツ観戦記においては、ときにアスリートや大会に対して辛辣なことを書いています。たとえば「オリンピックのVIPは選手と子供以外にいないはずではないか」とか。

昨年買った↓を思い出しました。

正直読みながら「沢木さんほどの売れっ子が書いた本でも、こういう内容だと版切れになるのか」と妙な感慨に浸ってしまいました。同時に「だからこそ価値があるんじゃないか」とも考えました。売れないとか絶版という状況は、必ずしもその本が「残念な一冊」であることを意味しているわけではないのです。

あと印象に残ったのは「駄作ではないか、と思っていた」で始めたある本のレビューを「やはり駄作だったか」で締めたこと。これは私にはできません。紹介するプロセスで批判することはします。しかし最終的には秀逸な点を見つけて(場合によっては強引にでも)前向きな余韻を残すのが通常なのです。

でも沢木さんは、いい意味でそういう「大人の仕事」をしない。実際はケース・バイ・ケースかもしれませんが、少なくともこの本では皆無でした。フリーランスの矜持。いやフリーだろうがサラリーマンだろうが、本来書き手は誰もがこうあるべきなのでしょう。

スポンサーや出世させてくれる上司、そして強大な権力に媚びた記事を書く人にもきっと様々な事情がある。名もなき書店員の私にはわかりません。一方で五分の魂というか、手離してはいけない気概もたしかに存在する。私にとっては太宰治の名言「芸術家は弱者の友」がそれに当たります。たぶん沢木さんも似たような美学を内に秘めているはず。

軽い気持ちで「書店員を続けながら物書きになりたい」「紙の本を出したい」と宣言しているわけではありません。しかし文筆業で長年生き抜いてきたレジェンドの矜持に触れ、己の甘さを痛感したのも事実です。絶版本に教えられたという点にも、あるいは何らかの示唆が含まれているのかもしれない。見据える目標を間違えるなと。

沢木さん、ありがとうございました。まだまだあなたの本から学ばせてください。

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