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後遺症と生きるということ


11年前の後遺症が今更わかった話にも書いたが。
私は頭の中で人の顔を全く想起出来ない。

脳腫瘍摘出の際、脳の視覚野を切っていることによる高次脳機能障害の1種。

もうこの体で干支一回りしてるから、特段人の顔が覚えにくい以外に生活面での不便は全くしていないが。

亡くなった大好きな人達の顔を思い出せないのがとても悲しい。

どんな顔だったのか。
思い出せない。
ぼわぼわとした雰囲気みたいなものしか分からない。

だから、これからはことあるごとに写真を残していこうと思う。
歳を重ねても、また思い出に会えるように。

ささやかに記録を残しながら生きていきたい。


***


脳腫瘍関連の長期入院中、同室だった彼女達は麻痺という後遺症を抱えていた。

クモ膜下出血、脳梗塞、脳動脈瘤破裂。

今まで動いていた腕や足や動かない、ご飯もうまく食べられない、トイレもままならない、伝えたいことを伝えられない。

これは人生でどんなに修羅場を乗り越えてきた(であろう)彼女たちでも、簡単に乗り越えられるもんではないことを目の当たりにして。

泣いて喚いて、受け入れられられないのに、しんどいリハビリを受けなきゃならず、17,18歳の少女だった私は見ていてしんどかった。
脳神経外科にしては私は当時最年少だし、外見からみたら頭髪をちょっと刈られただけで、それ以外なんの問題もなく見える。

あんたはいいよね、若いから、すぐ治って出ていくんでしょ。

実際、若くてもVPシャントがとにかく身体に合わなかったから(VAシャントに切り替えるまで手術複数回)全然そんなことはなくて、入院生活は多大にしんどかったのに、そんなふうにやっかまれたりも多々した。
そう言いたくなる気持ちも理解は出来るけど、多感だった若いあの頃はそんな言葉に凹んだりもした。

失った機能は、なかなか思うようには取り戻せない、受け入れようにも受け入れ難いことも、ある。
ほんとまざまざと現実を見せつけられた。

だって私みたいに生活に大きい影響がない後遺症じゃない。
同室の彼女達が抱えていた後遺症は生活が丸ごと一変する後遺症。

あの部屋で感じていたのは医療者達への違和感。
ある日の、忘れられない一言

早くして!!
もう動かないんだから、リハビリするしかないんだよ!!もう動かなくていいならもうやらない!ずっと寝てればいいよ、知らないよ!!

これを言われたおばあさんは70代くらいで、動かなくなってしまった身体を受け止められなくて、夜に泣き声が聞こえてくることもあった。結果、そのばあちゃんはそんな言葉をかけられてまた泣いてしまって、ナースも来て、てんやわんやしていた。

子供ながらにもやもやと尋常じゃない切なさと、自分のタスクしか見えない大人なんだなあと思ったあの気持ちが今も忘れられない。


***


今自分は社会福祉士をしていて、仕事柄色んな方々と関わることが多くて。

ふと、障害受容と後遺症の受容って似ているなって思って。

なにか自分の経験を活かせないか?と思ったりする。

受け入れ難いこともあるということは重々分かっていながらも、やっぱり私はその人がその人らしく生きるためには、まず本人が自分のことをよく知って欲しいと思うし、その上でどんな風に生きたいか考えてもらいたい。

けど、だんだん仕事のジレンマが大きくなってきた。。。
いつまで続けていくことができるだろうか。
なんでこの仕事をしているんだっけ。
どこまで踏ん張れるか。

模索。

副業探そう。
あれ?本題はどうした。

あなたと支え合いたい.