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昔のカンボジア写真館

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【昔のカンボジア】28 カンボジアのビザ 1994年

【昔のカンボジア】28 カンボジアのビザ 1994年

1994年2月に初めてカンボジアに来た際、ポチェントン空港(現プノンペン空港)で取得したカンボジアのアライバルビザです。バンコクやホーチミンから1日数便だけが飛来していて、空港ターミナルは平屋の小さいものでした。2月26日入国で発行番号が11162。1日あたり200人程度しか到着ビザを発行していなかったことがわかります。1994年。

【昔のカンボジア】23 ゴミ拾いの親子

【昔のカンボジア】23 ゴミ拾いの親子

空き缶や銅線などの資源ゴミを回収する親子です。プノンペン中心部にも、まだスラム化しているエリアが複数ありました。皆が貧しかった時代が終わり、この頃から貧富の格差が顕在化してきたように思います。2005年頃。

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【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本橋

【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本橋

プノンペンの通称日本橋、正式には日本カンボジア友好橋です。1枚目の写真右奥がプノンペン中心部です。高層ビルはまだ1つも見えません。日本の無償援助で修復するときに歩道に休息スペースが作られました。平和になって、橋の途中で景色を愛でれますようにとの思いを込めたものだったと聞いていますが、その後潰され、警備小屋が作られてしまいました。今はどうなっているのでしょうか。
あれから四半世紀が経ち、交通量も増え

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【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本カンボジア友好橋(1994年)

【昔のカンボジア】22 プノンペンの日本カンボジア友好橋(1994年)

プノンペンの日本カンボジア友好橋です。写真右奥がプノンペン中心部ですが、高層ビルは1つも見えません。カンボジアの戦後賠償の放棄を受けて、日本が支援したプロジェクトの1つです。内戦により壊れていた橋を、1990年代に日本の無償援助で修復しました。その際に、平和になったカンボジアで橋の上からのんびり街を眺めてほしいとの思いから、休息スペースがデザインされました。残念ながらその後潰され、警備小屋が作られ

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シアヌークビルへの高速道路の今昔

シアヌークビルへの高速道路の今昔

昨年、中国企業によりシアヌークビルへの高速道路が開通し、カンボジア初の高速道路と認識されている方も多いと思います。実は「高速道路(highway)」と名付けられたカンボジア最初の道路は、1959年に開通していました。

今回の中国企業と同じく、首都プノンペンからシアヌークビルまでの道路がアメリカの支援で開通し、「クメール・アメリカ友好高速道路」と名付けられています。国連暫定統治により新生カンボジア

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【昔のカンボジア】18 選挙運動のラリー(1998年)

【昔のカンボジア】18 選挙運動のラリー(1998年)

UNTAC国連暫定統治下の初回総選挙で、新生カンボジア王国が誕生してから4年、人民党が連立与党だったフンシンペックを排除した7月事変から1年。国民議会選挙での野党支援の選挙ラリーです。現在の選挙運動の原型が窺えます。1998年。

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【昔のカンボジア】13 国内避難民キャンプの寺小屋(1995年)

【昔のカンボジア】13 国内避難民キャンプの寺小屋(1995年)

内戦下の国内避難民キャンプに作られた寺小屋です。どんな状況でも次世代のために子供の教育は大事だと、誰もがわかっていました。バタンバン州。1995年。

【昔のカンボジア】14 伝統音楽と子供の踊りで、おひねりを狙う村人(1994年)

【昔のカンボジア】14 伝統音楽と子供の踊りで、おひねりを狙う村人(1994年)

伝統音楽と子供の踊りで、観光客からのおひねりを狙う村人。アンコール遺跡群、タプロム遺跡です。遺跡での物売りやこういった活動は禁止されましたが、障害者によるこういった伝統音楽は、現在も、市内中心部のパブストリートなどで散見されます。1994年。

【昔のカンボジア】16 オルセイ市場付近

【昔のカンボジア】16 オルセイ市場付近

プノンペン中心部、111通りです。画面左の空き地は現在のオルセイ市場です。この時期は改築準備中で、オリンピックスタジアムの敷地内(現在のオリンピアシティー)で、仮設営業中でした。まだまだ新しい建造物がなく、内戦前からの古い町並みが残っていました。1995年。

【昔のカンボジア】17 野党大躍進の選挙運動(2017年)

【昔のカンボジア】17 野党大躍進の選挙運動(2017年)

2017年地方選挙の野党の選挙運動の光景です。この選挙での躍進を受けて、政治的な圧力が強まり、野党は非合法化されました。会見風景の写真は、選挙前日の国家選挙管理委員会による事前総括の会見です。政府から参加した内務省高官が最前列に座っているのがわかります。

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【昔のカンボジア】8 最後のノーリー

【昔のカンボジア】8 最後のノーリー

カンボジアで最後のノーリーです。独特の歴史的経緯や環境から生まれ、劣悪な道路の補助手段として役立ってきたカンボジア式トロッコのことをノーリーと呼びます。現在は観光客向けの再現アトラクションとして、バッタンバンに残存するのみです。道路の急速な改良と鉄道の再整備で、絶滅の危機にあった2014年にポーサット州にて撮影。

【昔のカンボジア】9 バッタンバン市内の川辺

【昔のカンボジア】9 バッタンバン市内の川辺

バッタンバン市内の川辺。長閑な街並みに見えるが、国境での内戦は続いており、後方支援基地の役割を担っていた。1994年。

【昔のカンボジア】10 何も無かったベトナム国境バベット(1995年)

【昔のカンボジア】10 何も無かったベトナム国境バベット(1995年)

ベトナム国境バベットの様子です。カジノや工場どころか、建物が一切無ありませんでした。手前の赤い門がカンボジア、奥の白い門がベトナムです。プノンペンからホーチミンへのバスは1日1便だけオルセイ市場付近から出ていました。1995年。

【昔のカンボジア】11 アンコール遺跡群の物売り(1994年)

【昔のカンボジア】11 アンコール遺跡群の物売り(1994年)

当時アンコールの遺跡群には、近隣の村から土産物を売りにくる子供たちが沢山いました。遺跡の中で、飲み物やカメラのフィルムを売る子も。大勢の観光客が暑さで喉が渇いたり、予想以上に撮影をしてしまい、それなりの売り上げだったと思います。 1994年