僕はドラえもんにはなれないけれど   ~発達障害を抱える子供達の支援の現場で、当事者の僕が考えたこと~

僕の仕事を紹介します。

僕は現在、発達障害を抱える子供たちが通う教室で療育をする仕事をしている。

発達障害」という言葉が社会の中で様々な文脈でクローズアップされる一方で、そうした障害を抱える子供たちへの支援の実態や「療育」という言葉は、まだ多くの人たちに知られていないように思う。

「療育」という言葉を調べると、「障害を抱える子供たちが、将来、社会的に自立した生活を送ることができるように取り組む治療や教育」といった内容が定義されている。僕も、1年前に異業種から転職してこの仕事に就くまで「療育」の意味なんて、まったく知らなかった。しかし、縁あって、この業界に飛び込んだ後、今は、小学生から高校生までの、主に発達障害を抱えた子どもたちに対して、勉強を教えたり、コミュニケーションの練習をする仕事をしている。

発達障害とひとえに言っても、それぞれ個性や抱えている課題は文字通り千差万別である。IQ140で不登校の子もいれば、高校生で発語がないけど独特の美的センスを持つ子もいる。学力には遅れがないけど空気を読むのが苦手な子もいれば、勉強はすごく苦手だけどめちゃくちゃ愛嬌のある子もいる。共通しているのは世間で決められた「普通」の枠組みから少しはみ出しているということである。

僕の仕事は、ざっくり言うと、そんな凸凹を抱えた子どもたちが、個性を活かし、苦手を克服しながら、将来社会と折り合いをつけて自分らしく生きていくことをサポートすることである。

未来を変えるためにやってきたドラえもん

異業種から何の資格も持たずこの仕事をはじめて1年と少しが経った。初めは手探りながら、自分なりに試行錯誤を重ねて、気が付いたらのべ100人以上の子どもに関わってきた。

ある時ふと、今の仕事の立ち位置ってなんか「ドラえもん」に似てるなと思った。

ドラえもんについて知らない人はあまりいないと思うけど、ドラえもんがなぜ未来からのび太のところにきたのかを知っているだろうか。
ドラえもんには、のび太の子孫であるセワシ君が、のび太がポンコツなせいでこのままでは、悲惨な人生を送り子孫の代まで迷惑をこうむることになるから、そんな未来を変えるために、子守用ロボットとしてドラえもんを派遣したという設定がある。実は僕が、自分とそんな「ドラえもん」を重ね合わせたことには、ある個人的な理由がある。

それは、僕自身が発達障害の当事者であるということだ。 

発達障害を抱える子どもたちと向き合う際、僕は時々、彼ら、彼女らが過去の自分と重なって見えることがある。支援者としては、自分と子どもたちは別の人間であり、発達障害の特性として似ているところがあったとしても、自分の視点から重ね合わせて考えるのはよくないと頭では分かっている。それでも、無意識に重ねて見てしまうことがある。                 

小学校1年生の学力は高いが、空気を読まずに、自分ばかりが発言してしまう子に、「これ続けてると高学年になると先生からも同級生からも嫌われるぞ」と思ったり、まわりの音が気になるといってイライラをぶつける子に、「気持ちはわかるけど、残念ながらそれは聴覚過敏だから、今のうちに自分なりに集中する方法見つけたほうがいいよ」と思ったり。        自分と似た傾向を持つ子見るたびに脳裏に「あの頃の自分」がよぎる。まるで過去にタイムスリップして、当時の自分に対して、この先、必要以上苦労しなくてもいいようにと支援をしているような気になることがある。

僕は、ドラえもんになることはできなかった

その後、支援の現場にいる中で、やっぱり、僕は、「ドラえもんになることは出来ない」という現実に直面する。ドラえもんはのび太が困っていると、それがどんな課題であっても秘密道具で一瞬で解決することができる。一方、支援の現場では、ひとりひとりの抱える課題に対して、手さぐりでアプローチ方法を探る。発達障害を抱える子供の支援や療育の歴史自体まだ浅く、様々なメソッドが存在するものの、どんな子供にも有効なメソッドなどは存在しない。経験の浅い、僕は日々、目の前の子どもと愚直に向き合いながら、有効な手立てを探るほかない。

また、支援を続けていく中で、「この仕事には明確なゴールがない」ことに気が付く。子供たちは様々な課題を抱えて、その親達は様々なニーズを抱えて、うちの教室にやってくる。多様なニーズを無理やり一括りにすると(少し語弊があるかもしれないが)少しでも自分の子供を「普通」にして欲しい、少しでも自立して「普通の人と同じような幸せな人生」を歩んでほしいと多くの親達は願っている。一方で子供たちが抱える課題の背景には、障害があるので、課題がすべて解決すること、「障害が治る」ことはありえない。そんな現実の中で、目の前の課題に対処しながら、将来、その子が障害とうまく付き合いながら「普通の人と同じような幸せな人生」に極力近づける様な道を模索する。

でも。そもそも「普通の人と同じような幸せな人生」ってなんなのだろうか。

未来が見えない時代を共に生きる中で

また、ドラえもんの話に戻ると、ドラえもんには、のび太は将来こういう人生を送ることができれば間違いなく幸せになれるというヴィジョンが明確に見えているように思える。(具体的に僕が知っているのはしずかちゃんと結婚するという話だけだけど。)
一方で僕は、今、目の前の子供達に対して、こういう道を辿れば、幸せな人生にたどり着けるというヴィジョンを示すことが出来ない。発達障害を抱える子供達の未来を生きている僕自身、まだ、何が幸せな人生なのかまったくわからないからだ。
たとえば、昭和的な価値観の幸せ像(いい学校、いい会社、結婚、マイホームなど)をゴールにした場合、それは発達障害を抱える多くの人にとって絶望的にハードルが高い。もちろん、そもそも前時代的な成功モデルは、現在一般の人にとってもハードルは高くなっていて、他に多様な幸せの形があるはずであるということは重々分かっている。しかし、僕はまだ、子供たちに、いい学校に入らなくても、いい会社にはいらなくても、結婚しなくても、マイホームがなくても、全然幸せになれるということを胸を張って伝えることが出来ない。
そもそも、自分自身が今幸せであるかと問われると少し躊躇してしまう。決して不幸だとは思わない。ただ、発達障害を抱えながら生きてきた26年間でたくさん苦労をして、たくさんの夢を諦めてきた。もしかしたら、それは別に、それこそ普通のことかもしれない。苦労したのも、夢を諦めたのも本当は発達障害なんて関係なかったかもしれない。僕の場合は。

要するに、結局まだ、自分自身がよくわからないのだ。自分が抱える障害のことも。それとどう向き合って、どう折り合いをつけて生きていけばいいのかも。秘密道具も使えなければ、未来がどうなるかも見えていないドラえもんである。ただの青いだみ声の狸じゃないか。

でも、そんな中で、自分がこれだけは子供達に伝え続けたいと思ったことがある。

それは、人生はどうやればうまくいく(=幸せになれる)のかはわからないけど、挑戦し続けること(=生きること)には意味があるということである。

僕はアニメ監督宮崎駿の「この世は生きるに値する」という言葉を座右の銘にしている。
きっと生きてるうちに世界から、戦争も貧困もなくならない。人間はいつか死ぬし、障害は治らない。でもそんな世の中でも生きる価値はある。生きているといろんな人と出会い、いろんな物事を知り、いろんな感情が芽生える。そんな経験を繰り返して他の誰とも違う自分という人間が出来上がる。生き続けている限り、常に未来は予想外の可能性に満ちている。

若干綺麗ごとっぽいかもしれないが、たくさんの挫折を経験して、その度にいろいろな人に支えられながらなんやかんや26年間生きる中で、「ひとまず生きていくなかで見えてくる未来」もあるんじゃないかと最近思う。

僕は、ドラえもんにはなれない、秘密道具も使えなければ、未来がこの先どうなるかも全くわからない。でも、子供達より少しだけ未来を生きる人間として、「まぁ、ぶっちゃけ人生大変だし、なかなか思い通りにならないことばっかりだけど、でも案外悪くないんもんよ」ということを、これからも伝えていきたいと思う。

そもそもよく考えたら、ドラえもんの本当の役割も だって、秘密道具で課題解決することや未来視点アドバイスすることではなくて、少しの時間側にいて、失敗したり、悩んだりする様子を見守りながら、一緒にこの時代を生きていくところにあったりするのかもしれない。

まぁ、何れにせよ僕はドラえもんみたいにみんなに愛される存在にはなれないけど。(実際、共通点は最近出てきた腹ぐらい)

かっこ悪い毎日を、これからも楽しんで、頑張って生きようと思う。


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金井塚悠生

定型と発達のあいだ

発達障害の当事者かつ支援者でもある筆者が、定型発達者(定型)と発達障害者(発達)の境界線(あいだ)の視点から個人的な考えを綴ります。ボーダーラインに立つ人間から見た社会のリアルを発信して、自分と誰かの生きづらさ、健常者と障害者の壁を少しでも融かしていけたらと思います。 ※記...
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コメント1件

子どもたちに過去の自分を重ねてしまうの、私も職場でよくやるんですけど、よくないなあとかしない方がいいって自分の行いを否定ばっかりしてて。でもこの記事で、やり方や見方によっては重ねてしまってもいいんだって思えました。
とても素敵な記事でした!ありがとうございます😊
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