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【読書】日本統治時代を肯定的に理解する

出版情報

  • タイトル:日本統治時代を肯定的に理解する

  • 著者:朴贊雄(パク・チャンウン)

  • 出版社 ‏ : ‎ 出版社 ‏ : ‎ 草思社 (2010/8/24)

  • 単行本 ‏ : ‎ 304ページ

本書から民主主義を教わる

 この本を読んで、衝撃を受けたことが2つある。1つ目は、

民主主義の形式は多数決の尊重だとしても、民主主義の精神は人を尊ぶ心遣いである。

日本統治時代を肯定的に理解する p34

民主主義の精神は人を尊ぶ心遣い』。すごい。これって例えばキッシーはすぐ言える言葉かな?あるいは日本の議員たちで、どれだけの人がこんなふうに言えるだろう?

2つ目は、売国奴かどうか愛国心を持っているかどうかは下記が基準となると、著者はいう。(一部を要約し抜粋)

- 統治者については、国民に対して「一定の自由」と「一定の生活水準」を保障して、恐怖心を取り除くよう努力しているか。
- 国民については、自身の民主力量をもって、『基本的人権と最小限の生活水準が保障される社会』を作り上げるよう努力しているか。

日本統治時代を肯定的に理解する p263

政治は政治家だけが努力してもダメ。国民だけでもダメ。政治家は「一定の自由」と「一定の生活水準」を保障して、恐怖心を取り除くよう努力し、国民は自身の民主力量をもって、『基本的人権と最小限の生活水準が保障される社会』を作り上げる。双方の努力が必要だ、と当たり前のことだけど、現在の日本のどれほどの為政者、国民が理解しているだろうか?
 自分のことは抜きにして、相手のことばかり責め立てる姿勢に終始していないだろうか?

『民主主義の精神は人を尊ぶ心遣い」
って私がずっと大人になってから知ったディープデモクラシーに通じるものだし、『統治者および国民が愛国心を持っているかどうかの判断』は見ようによっては戦後の日本国憲法に、そして見ようによっては仁徳天皇の民の竈に通じる話じゃないか!国民を大御宝(おおみたから)とする考え方に。それを戦前戦中を日本人として過ごし、戦後の韓国北朝鮮のありように絶望してカナダに渡った、韓国人のおじいさん(著者)から、学ぶことになろうとは。しかも著者は本書を全編日本語で書いているのである。台湾の故李登輝総統も「20歳までは日本人でした」とか「難しいことは日本語で考える」と述べていた。奇しくも著者も李登輝総統も同年代、同時代人。朝鮮と台湾という地域・国の違いはあれど日本統治下で当時の日本の教育を受けた知識人である。お二人が共通して持つ何か大切なもの。戦後日本、日本人が捨ててしまったもの。
 日本国憲法のことも、仁徳天皇の民の竈の話も明示的には著者は何も言っていない。でも、透けて見える、大切な何か。
 著者の精神性を培ったのは、戦前の日本の教育、日本人の先生たちとの交流、そして、両班の家に生まれながら日本に留学して弁護士活動をし、自らも教育者として尽力した彼の祖父。
 日本の私たちも、彼らを通じて学ぶものがあるのではないだろうか?私たちの先人が私たちに、本来、未来に残そうとしてくれたであろう、そして終戦、GHQ統治を通じて失ってしまった、何か『善きもの』を。

反日=愛国者という韓国の風潮を憂う

現在の韓国のたいていの若者は、反日に傾いているという。

近来、たいていの若い韓国人らは、植民地時代の日本人は横柄で、韓国人を踏みにじったと考えている

日本統治時代を肯定的に理解する p18

そして著者は、今の韓国の人々の反日=愛国者という風潮は『軽率で荒唐無稽な発想と言わざるを得ない』と断じている。

ある集団において、ある個人が愛国者かどうかを判別する基準は、彼がこの理想社会の方向に社会を導くよう努力しているかどうかにあり「独立」や「統一」に貢献したかどうかにおくべきではない。ましてや「親日」か「反日」かがその基準になるのは、もってのほかである。愛国者と売国奴の判別基準を、ただ親日派如何に置くというのは、軽率で荒唐無稽な発想と言わざるを得ない

日本統治時代を肯定的に理解する p263

また、『韓国人にとって、反日感情はいかにも勇ましく愛国的でカッコがいい』が、

今の若い連中は教科書や小説などの影響を受けて「当時の朝鮮人は皆、日本を敵国と見なし、ことあるごとに命を投げ出して独立運動をした。日本の特高が全国的に監視の目をゆるめず、多くの愛国者が次々と捕えられて処刑された」という自己陶酔的な瞑想に耽っているが、これはウソである。

日本統治時代を肯定的に理解する p14

それでは、実際の日本統治時代の日本人と韓国人の関係はどのようなものだったのか。

近来、たいていの若い韓国人らは、植民地時代の日本人は横柄で、韓国人を踏みにじったと考えているが、実際はお互いにヨソモノという気持ちはあったとしても、そのような敵対感情はなかった

日本統治時代を肯定的に理解する p18

当時の朝鮮人は歴史的事実として、植民地化されている現実を認めて生業を営んでいるかたちだった。…独立運動をする親もいなければ、子に独立運動をするようそそのかす親などはただの一人もいなかった。

日本統治時代を肯定的に理解する p12

こんにち韓国に蔓延している反日感情はいつから生まれたかと言えば、

韓国における反日感情というのは、植民地後期においては上流下流を問わず、全く見当たらなかったものである。この反日感情は終戦後、李承晩大統領が個人的偏見と政治的策略のもとに煽りに煽った結果である

日本統治時代を肯定的に理解する p204

とはっきり述べている。

明治期に根づいていた民主主義の精神

 著者の祖父は両班(朝鮮支配層)にルーツを持ち、幼い頃から漢籍などを学んだ。日本に留学し中央大学を出て(1907年、明治40年)、検事となり2年後に退官し弁護士になった。その一年後に日韓併合が起きる(1910年、明治43年)。それ以降、16年間、弁護士業に携わった。1925年に普成専門学校(現在の高麗大学校)の校長に迎えられ、1932年に普成を去る。その後は朝鮮語文法の研究と国民の生活改善運動に余生を捧げた。
 祖父の教えは

人は誰でも尊い存在である女や子供を軽んじてはいけない。…祖父は使用人達に対しても、その呼称や敬語の格式に神経を使った。男女ともに「さん」づけで呼び、年上の使用人には相応の敬語を使うようにした。…大人の乞食にも子供の乞食にも丁寧に対応し、一銭玉を与えるにも投げ与えてはならない。…家の食卓では嫁も子供も皆一緒に同席した…これは家族が民主化した表れでもあった。

日本統治時代を肯定的に理解する p39

結婚の儀式に際しても、通常は嫁に棗(なつめ)を投げ与えるのに対して

祖父は「棗を投げ与えるのは嫁に対して失礼」だとして、嫁が前に進み出て父母から棗を手渡してもらう形式に変えさせた。…今でも韓国人は全国各地で威勢よく嫁にめがけて棗を投げている。だいたい嫁に対して、子を産めとか産むなとかいうこと自体が下品なしぐさである。あの大礼の儀も家庭民主化の立場からして愉快なかたちではない。

日本統治時代を肯定的に理解する p41−42

上記記述は2005年記とあるので、その頃までの習俗だろう、2023年現在はどうなのだろうか。
 著者は祖父と

政治的あるいは社会的な、重みのある話をした覚えはない

日本統治時代を肯定的に理解する p34

とのことであるが、

彼の結論は、僕の心の隅にたたずんでいた僕の日本観と正確に一致する

日本統治時代を肯定的に理解する p34

それでは祖父の日本観とは、どのようなものだったのだろうか。

人は老若男女問わず、お互いに人格を尊重し合わなくてはならない。民主主義の形式は多数決の尊重だとしても、民主主義の精神は人を尊ぶ心遣いである。これが人格であり、その人格の平均値が国格になる。日本はこの国格がしっかりしているというのが祖父の感想であったらしい。僕はこれを非常に大切なことだと思う。

日本統治時代を肯定的に理解する p34

 この『国格』という考え方。私はまだ読んでいないが『国家の品格』という本もあるようだ。『国格』とは、つまり『国家の品格』のことだろう。彼の祖父はそれは「国民の人格の平均値」だと言っている。それが明治の日本はしっかりしていた、と。「民主主義の精神は人を尊ぶ心遣い」であり、それが一人一人の人格を形成し、その民主主義の土台が日本および日本人はしっかりしていた、と。私たちは、ここから学ぶものがあるのではないか。失ってはいけないものがあるのではないか。
 また彼の祖父は、朝鮮独立について、

彼は日本の朝鮮統治に関し、良かれ悪しかれ批判を試みたこともなく、朝鮮の独立運動に関しても、公的にしろ私的にしろ賛否の発言をしたこともなかった。祖父の心境を強いて憶測するならば、「朝鮮独立などは全然可能性がない。カネもなく、チカラもなく、ただ漠然と日本統治に逆らったところで、報いるところは何もない。それより朝鮮人のいろいろな後進的な慣習や心構えを改善して教育水準を高め、日本という枠内で発言権を高め、差別をなくしていくのが正道である」と考えたのであろう

日本統治時代を肯定的に理解する p37

 彼の祖父は、それを専門学校の校長として、朝鮮語文法の研究と国民の生活改善運動を通して実践していった。

著者の生い立ち

 著者は1926年(大正15年)10月に京城(ソウル)で生まれ、数え年20歳で終戦を迎えた。日韓併合は1910年(明治43年)から1945年(昭和20年)まで35年間である。それを遡る5年前に朝鮮は日本の保護国になっているので、日本が朝鮮を保護したり統治したりした計40年間のうちの後半の20年間を著者は日本人として過ごしたことになる。日本は、1919年(大正8年)3月1日に起こった独立万歳デモ事件を契機に、それまでの朝鮮統治の原則を武断政治から文治政治に切り替えた。それにより朝鮮民衆による抵抗はとみに衰え、文化的な生活が広がり経済も向上し比較的穏やかな20年間に著者は生まれ、育ったと言える。

著者の歴史観

 本書の中で韓国人の国難二千年史を振り返り、その上で国難史上に比べた日本植民地時代の評価を行い、

韓国人を法的に日本人と同等の地位に置き、幾らかの差別はあったものの、「人権」と「民生」の面において明らかに向上させている。…かくして比較的短期間中に日本当局の努力で、韓国の近代化の基礎が着実に固まっていった歴代総督の朝鮮民衆に対する基本姿勢も、解放後の南北韓の独裁者の脅迫的姿勢と比べて、遥かに温厚だった

日本統治時代を肯定的に理解する p267-268

と述べている。また、もし日本が統治していなければ、中国やロシアの植民地になった可能性がある、とした上で、

もし韓国が中国やロシアの植民地になったと仮定するとき、韓国の政治や経済の発展は今の中国吉林省内の朝鮮族自治州あるいは中央アジアのカザフスタンやウズベキスタンに存在する高麗族の水準にしか達し得なかったであろうそれよりは日本の植民地になった方がよかった、というのが僕の歴史認識である

日本統治時代を肯定的に理解する p8

とも述べている。そしてまた終戦時の日本人の引き上げに関して

朝鮮人は終戦と同時に朝鮮在住日本人全員(推定80万人、全人口の約3%)の全財産を没収して日本に追い払った。これは法的にも、社会的にも、経済的にも、暴挙の極みだったと僕は思っている。

日本統治時代を肯定的に理解する p35

と述べている。私の身近に韓国その他、外地からの引き上げ者が大勢いるわけではないが、著者がこう言ってくださっていることには、日本人として素直に感謝ししたい。政治や世界情勢に振り回され、財産その他を失った日本人当事者の直接的な痛みが消えるわけではないだろうが(戦後はその痛みすら表現する『言語空間』がなかったのではないだろうか?)、何か善きものも、その地にもたらしたと認識している人がいる。それはすごく日本人である私たちにとって「うれしい」ことなのでは、ないだろうか?父母、祖父母世代、祖先を誇り思えることなのではないだろうか?
 著者は自嘲して、下記のようなことも述べている。

しかし当時の(今も同じことだが)朝鮮人の知能と徳能から、これ以上を期待するのは無理であろう。今彼らの全財産を没収するのは小気味よいかもしれないが、それは後で大きなタタリとなって返ってくるはずだ。(終戦から)5年後に起こった朝鮮戦争もそのツケの一部であるかもしれない。

日本統治時代を肯定的に理解する p35

朝鮮の文明開化に貢献した日本

 実証主義の著者らしく、歴史的事実、統計的事実を挙げながら、半島に対する日本の貢献を簡潔にまとめている。

  • 現代の尺度で裁くのは不当

- 朝鮮が日本の植民地に陥る1905-1910年当時の世界は弱肉強食の時代で、経済力や軍事力のひ弱な国は、植民地獲得戦に乗り出している列強が競ってこれを食い物にした。
- (当時)韓国には海軍もなければ軍艦もなかった
- 日本の海軍はロシアのバルチック艦隊を日本海に迎えて全滅させている。
- 日本は、日清・日露の両戦役を勝ち取った余勢を駆って朝鮮を手に入れた。これに対して、現代人が今の国際規約や国際慣習の尺度で当時を裁くのは不当である。

日本統治時代を肯定的に理解する p8
『-』 による列挙と記載順入れ替えは報告者による。
  • 文明開花が進み、生活水準が向上

当時朝鮮は日本の植民地になったおかげで、文明開化が急速に進み、国民の生活水準がみるみるうちに向上した。学校が建ち、道路、橋梁、堤防、鉄道、電信、電話などが建設され、僕が小学校に入るころ(昭和8年)の京城(現ソウル)はおちついた穏やかな文明国のカタチを一応整えていた。…日本による植民地化は、朝鮮人の日常生活に何ら束縛や脅威を与えなかった。それはなんでもないように見えるかもしれないが、独立後の南韓(韓国)・北朝鮮における思想統制とそこからくる国民一般の恐怖感と比べるとき、かえって南北朝鮮人は終戦後の独立によって、娑婆の世界から地獄に落ち込んだのも同然であった。このような事実描写に対し、「非国民」あるいは「売国奴」呼ばわりする同胞も多かろうが、そういう彼らに対し、僕は一つの質問を投げかけたい。日政(日本統治)時代に日本の官憲に捕えられて拷問され、裁判のかけられて投獄された人数及びその刑期と、独立後に南韓または北朝鮮でそういう目に遭った人数とその契機の、どちらが多く長かったであろうかと。

日本統治時代を肯定的に理解する p9-p10
  • 人口は2倍、貿易額は40倍に増大

日本植民地時代の35年間に、朝鮮の人口は確実な足取りでほぼ2倍に膨れ上がっている。…これにはいろいろな要因が考えられる。(1)疾病の予防並びに医療制度の向上、(2)豊富とは言わぬまでも食糧の普遍的供給、(3)総督府の誠実な農村振興ならびに治山治水政策の奏功、(4)産業化への離陸、というのが僕の推測である。…実業家で後に野口財閥を形成する野口遵氏が咸興に隣接する興南に建てた朝鮮窒素肥料会社の貢献は特筆に値する。…日本国内にもなかった37万キロワットの巨大発電所を作る。それに続いて白頭山、豆満江などに各15万キロワットの発電所を建設した。彼はこの電力を利用して空中窒素から硫安を作るなど、総合的化学工業化を果たしたのである。また合併当時(1910年)、わずかに6千万だった貿易額が1924年には6億4千万円、1939年には23億9千万円と増加した(『朝鮮年鑑』1943年版)。朝鮮に政争も腐敗も弾圧もない、このような天下泰平の時代が、かつてあっただろうか。

日本統治時代を肯定的に理解する p12−p14
  • 韓国の教育の淵源は日本である

韓国における現代感覚の高等教育の歴史は、日本と比べて非常に遅れている。韓日合併以前にそのような教育機関は見当たらない。今の成均館大学の歴史は高麗朝に遡るというが、現代感覚での同校の歴史は終戦以降と見るべきである。…日本は韓国合併以降、1916年の京城高等工業学校を手始めに高等商業、法学専門、京城師範、京城女子師範、医学専門、歯科専門、薬学専門、水原高農、鉱山専門等を矢継ぎ早に設立し、1924年には京城帝国大学を設立した。(当時、日本の帝大は全国で東京、京都、福岡、仙台、札幌の5校のみであった)。…ちなみに終戦後、1946年に米軍政下で設立されたソウル大学は…上記の学校を一つにまとめて挑戦じゃつの総合大学に仕上げたものであり、それまでに理工系の高等教育機関は皆無に等しかった。これを見るとき、韓国の教育の淵源は日本にあったと言っても過言ではない

日本統治時代を肯定的に理解する p34-p35

戦中、戦後の筆者たち家族

 終戦直前に、著者に大きく影響を与えた祖父は逝去。父はというと、聡明な人ではあったが、体が弱かったことと、時代的なこともあり、戦後は金銭的な苦労もし、十分に才能を開花させたとは言えないが、最後まで気品ある紳士であった、とのこと。父を中心に母も手伝い著者家族は、新しく商売を始めたり、住居を変えたりしながら、なんとか生計を立てたようだ。『朝鮮動乱が起こった1950年6月25日当時、僕はソウル大法大4年に在学中だった』p219とあるように、著者ら兄弟たちもどうにか学業などを続けていたと思われる。
 著者ら8人兄妹のうち上の3人兄弟は朝鮮戦争中、陸軍海軍などに応募し、米の配給なども受けながら、通訳将校として米軍に協力していく。弟一家は日本に定住し帰化(祖父から数えて3代にわたって中央大学で学んでいる)。ほか兄妹は米国へ留学。理学や医学の道へ。著者自身は、多分南北朝鮮分断と、それぞれが独裁政権であること、民主主義が実現されていないことに嫌気がさしたのであろう、カナダに渡り食料品店を営み半島の民主化運動を支援した。晩年になって、日本人の恩師たちとの交流、本書の元となる様々な日本語を含む執筆活動を行なっていた。

  • 1940年代の暮らしぶり

- (1943年11月に祖父が亡くなった)そのころ太平洋戦争での日本の敗色が濃厚になり、食糧や各種物資の品不足が深まってきた。…この時分、ソウル市民に対する米の配給量は一日2合3勺で、中高大学生には毎月3升券が渡された。だから日割りにすれば1日3合3勺となる。後で聞いた話だが、この配給量は東京市民に対する配給量と正確に一致した
- しかしうちは鉄原の農場から一定の自家用米の搬入が許されていたし、肉類はいわゆるヤミの行商が訪ねてくるので、食生活が困ることはなかった。
- 鉄原(筆者ら家族の疎開先)に都落ちしてちょうど1週間目に終戦になった。韓国ではこれを解放という。しかし僕はこれを解放と言いきれない。解放とは精神的ならびに肉体的な拘束から解かれ、これによって生活水準が向上するのを意味するものであるが、朝鮮はいわゆる解放以降、韓国も北朝鮮も、それぞれ同族の独裁者による精神的、肉体的束縛が増強され、今に至るまでその本質は変わっていない。1945年8月の終戦は、朝鮮民族にとっては更なる拘束の増大を意味し、かえって日本民族がそれまでの精神的ならびに肉体的な拘束から解放されたものと僕は判断する。

日本統治時代を肯定的に理解する p50−p51
『-』 による列挙と記載順入れ替えは報告者による。
  • 鉄のカーテン

- 北韓(北朝鮮)にはソ連軍が進駐して38度線という境界線ができた。鉄原からソウルまでは汽車で2時間の距離にすぎなかったが、その間に38度線という鉄のカーテンがおろされたのである。
- 当地の共産党幹部…は終戦までの数年間、父の秘書をつとめていた若者で、彼は父のために…通行許可証を取り寄せてくれたので、父のソウルへの道が開かれた。
- うちの家族は1946年の1月から2月にかけて、家族が別れ別れになってソウルに戻ってきた。疎開に出るときはトラック3台分の家財道具が、帰りには馬車3台分に減ったにしろ、荷物を馬車3台に載せて38度線を超えたというのは嘘のような話だった。

日本統治時代を肯定的に理解する p51
『-』 による列挙と記載順入れ替えは報告者による。
  • 兄妹のその後、北米へ

- 1964年から1975年の間に我ら8人兄妹中、賛機を除いた7兄妹が北米大陸に移住した。(賛機氏は日本に帰化されたようだ)
- 素直で、ずば抜けた頭脳の順貞は…アメリカのテネシー大学で博士の学位をとり、デトロイトのミシガン大学で数学科の副教授になってつとめている
- 僕は1961年7月にニューヨーク大学の行政大学院に留学したが、父が喉頭がんにかかったという報らせを受けて。1964年8月に帰国した。
- 母、呂允淑は…彼女の末子賛亨が癌内科長をつとめる…テキサス工科大学附属病院で86歳の生涯を閉じた。

日本統治時代を肯定的に理解する p65, p66, p55,p56
『-』 による列挙と記載順入れ替えは報告者による。

著者は『朝鮮戦争後、母校京畿中に奉職し』p102、『1975年にカナダに移住しましたが、その当時…仁荷大学に勤めておりました。その前はソウルの徳政女子大におりました』p109と、教職を韓国で務めた後、カナダに移住し『小さな食品店で生計を支えながら韓国民主化のための反独裁運動に投身し』p109たとのこと。

著者の信念と活動

著者の反独裁の活動内容は下記に端的にまとめられる。これは『民主主義の形式は多数決の尊重だとしても、民主主義の精神は人を尊ぶ心遣いである』P34という、祖父からの無言の教えから帰結されるものであり、ひいては「日帝時代の善きもの」から帰結されるものであり、粘り強く、強い意思を持って表現されている。時を通して、人を通して受け継がれている。現代日本人が学ぶところは、とてつもなく大きい。読んでいて心が痛くなるほど正論だと思うのは私だけだろうか。

  • カナダでの活動および旅行更新の拒絶と復活

- 僕は韓国が第二次世界大戦終戦後に独立して以来、李承晩、朴正煕政権の時代にはその独裁に抵抗する立場を貫いてきた。カナダに移住してからは、反独裁運動団体である韓国民主社会建設協議会(民建)を設立して、1977年から86年までその会長をつとめたために、韓国政府から危険分子とみなされて旅券の延長を拒まれ、カナダの地に釘付けの状態に置かれた。
- 1987年の7月27日にソウルのデモがクライマックスに達するや、全斗煥大統領はたまりかねて…次の大統領は…国民投票で行うことを約束した。僕はこの日を韓民族の歴史上、独裁政権から民主政治に移る分水嶺であると信じている。こうして僕の旅券もその後更新されて12年ぶりに故国訪問が可能になったのである。

日本統治時代を肯定的に理解する p207
『-』 による列挙は報告者による。
  • 著者の信念

- 僕の感ずるところでは、今の時点において韓国国民が果たすべき焦眉の急務は、北の金正日政権が十数年続けている自国民大虐殺を抑えることと、同時に金正日に物質的支援を送り続けている盧武鉉政権を糾弾追放することである(これは金大中前大統領が始めた歴史的犯罪である)。
- 北朝鮮の地では3百万人以上の人民が餓死・獄死しており、今も毎年多くの人民が餓死または獄死している様子である。にもかかわらず南韓の同胞らは、政府も国民もこの独裁者を早急に追放しなくてはならぬという同胞愛が湧いてこない。いや、それどころか盧武鉉政権は虐殺の元凶である金正日に対して巨額の金品を送り続けて、その政権の地盤を固め、彼の自国民虐殺を支援するのに余念がない。この事実は我が国史に、恥辱的真実として残すべきである。
- 次に重要なことは、終戦後、南韓の李承晩・朴正煕・全斗煥の右翼独裁政権と、北の金日成父子の左翼独裁政権が、国民を弾圧、拷問、投獄し、また不正腐敗、苛斂誅求に耽る国家的犯罪行為を追求して、これを処罰することである。その犯罪の規模とその残虐性は、日帝時代の状況を遥かに上回るものである。そのような民族反逆者らが、今も大きな顔をしてソウルや平壌を闊歩しているのだ。
- 韓国人らは民族主義という哲学ならざる哲学を振りかざして、同族を弾圧、喝取、虐殺する国家権力の犯罪には目をつぶり、日本人の韓国侵犯だけを声高にあげつらう。これは価値観の順位の喪失であり、哲学の喪失である。これがわからない民族は、自治能力なき劣等民族と断定せざるを得ない。

日本統治時代を肯定的に理解する p259-p260
『-』 による列挙と記載順入れ替えは報告者による。

本書を読んで:日本と韓半島の関係のこれからを考えるためのヒント

 大多数の日本人が終戦を境に、生き方を大きく変えざるを得なかったわけだが、韓半島の人たちも、大きく運命が変わった。
 これは慎重に考えたり表現したりする必要があるのだが、事実としては…日本が半島から去った後、米ソはすぐさま朝鮮を分割し、それぞれが南北朝鮮を統治することとなった。その後、中国共産党が後ろ盾となり、北朝鮮が進軍を始め、あっという間にソウルを占拠し、朝鮮戦争が始まった。この戦争で約300万人の人が死亡した。今も北朝鮮と韓国は、基本的には「戦争状態」が続いているのである。この一点だけを見ても、筆者が言うように日本統治時代は、朝鮮半島史上、稀に見る平和で大幅な経済躍進を遂げた時代、と言えるのではないか。
 でも、そんな本当のことを認めたら…日帝の統治から解放の途端、国土は分割され、同胞同士が争い、その同胞同士の潜在的な戦争状態が70年以上も続いているとしたら…しかも一方の当事者は失政を続け、同胞を飢えさせ、国土も産業も人心も荒れさせ放題の最貧国に陥っているとしたら…その元凶を賛美するような形でしか援助してこなかったとしたら…そんな状態からは目を背けたいのが人情なのかも知れない。「今よりも日帝時代は酷かった」と思っておきたいのかも知れない。解消できない痛みが数十年続いていて、今度も解消の目処が立ちづらい…。そもそもが分割を前提に「解放」がなされている…。そういう痛みから目を逸らすためにも「反日」が「受け入れられやすい土壌」があるのではないだろうか?だからこそ、『同族を弾圧、喝取、虐殺する国家権力の犯罪には目をつぶり、日本人の韓国侵犯だけを声高にあげつらう。これは価値観の順位の喪失であり、哲学の喪失である』という筆者の正論は、正論であるだけに正視できないほどの心の痛みをも、ともなうのではないか。

 話は飛ぶが、香港は1997年に返還されたが、一国二制度は2047年まで維持されるという合意が英国と中共の間でなされた。その合意が2020年に実質的に破られたとき、英政府はビザ発給という形で、香港に住む人々を支えた。日本は韓半島から去るときは有無を言わさず『全財産を没収して日本に追い払った』。戦争に負けたのだから当然、とそれを韓半島の人は行い、日本人も受け入れた。1965年(昭和40年)に合意がなされ賠償も終わっている。(その後も何度もぐだぐだ日本人から見れば『集られている』と認識せざるを得ない状況が続いているが…)。つまり新たな関係構築がなされる基礎固めはとっくに終わり、このぐだぐだこそが新たな関わりとして始まってしまっているようなのだ。…だとしても…韓半島にかつて「善きもの」も残した隣国として何か今と違う関わり方の可能性があるのではないか。お金をばら撒くのでもなく、通貨スワップなどの形でもなく、ATMやたかられ屋という立ち位置でもなく…。拉致や核による恫喝に、遺憾砲しか打てない状況でもなく…。隣国人は北も南も『同族を弾圧、喝取、虐殺する国家権力の犯罪には目をつぶり、日本人の韓国侵犯だけを声高にあげつらう。これは価値観の順位の喪失であり』哲学を喪失しているのだ、という洞察を声高に述べるのでもなく、ただし、この真実は心に秘めながら。この真実と痛みに巻き込まれるのではなく、つけ込まれるのでもなく、上から目線でもなく、できれば共感しながら、あるいは距離をとりながら隣人づきあいを行う…。そういう隣人付き合いもあり得るのではないか。それにはまず、日本人自身が哲学を取り戻す必要がありそうだ。

 また隣国の痛ましい分断から私たちも学べるものがあるかもしれない。ただし、それは気をつけないと、さらなる分断を招いたり、際立たせたり、分断を癒そうとする意図そのものを望まない方向に利用されてしまう可能性もある。
 7−8年前に、明治維新時に賊軍とされた人々、西郷隆盛や会津藩の藩士らを靖国神社に合祀しようという動きがあったという。政治家や財界の人々も動いていたとのこと。それは結局実現していないが、賊軍合祀のためには、明治維新を総括する必要がある。明治維新の総括ができずに大東亜戦争に突っ込んでいき、終戦から70年経っても、やはり明治維新は総括できていない。いったんある方向に動き出すと、立ち止まって振り返ることはかなり難しい。特に国外からの干渉や思惑が強い力を持っている場合は。でももう、いろいろ総括する時期に来ているし、そういう動きもあるようだ。さらに追って学んでいきたい。

引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。漢数字、ローマ数字はその時々で読みやすいと判断した方を採用しています。

追記修正:2024年2月24日

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