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平凡と非凡の分かれ目

映画『未来のミライ』の舞台挨拶に出ていた細田守監督が、朝の情報番組のインタビューでこんな話をしていた。

子供の自転車練習に付き合って自転車を押していると、時空を飛び越えているような不思議体験をする。
自分の幼い頃の自転車練習を思い出し、目の前の子供が自分であるかのような感覚になる。
同時に今の自分は、当時の親の気持ちもなんとなくわかる。
すると自転車を押している自分が自分の親のようにも錯覚する。
時空が入り乱れているような、すごく不思議な体験。

だいたいこんなような話だったと思う。

私はその話を聞いて、ものすごく納得してしまう。
監督の親としての感受性に、ではない。
私も子供がいるので言っていることはよーくわかる。
子育てしているとそういう感覚は毎日ある。
子供のこと、自分のこと、親のこと。
重ね合わせて考えない方が難しいくらいだ。

でも、それを時空がどうとか、ファンタジックに捉えたことは一度もない。

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私の母はすでに他界していて、そろそろ10年が経つ。
母は、俳句を詠む人だった。
本も好きな人だった。本棚には太宰や芥川から高村薫、宮部みゆき、沢木耕太郎など、色々と並んでいた。
私が本を好きなのも母に似たのだと歳を取れば取るほどに思う。
私が児童文学以外で初めて小説に触れたのは、宮部みゆきの『火車』を、母の本棚からなんとなく手に取ったときだった。

母は昔から俳句雑誌に投稿していたようで、あるとき、「句会に来ませんか」と声をかけてもらったらしい。
それまで自分のための外出など、たまの美容院くらいのものだった母が、句会のために週に一回、都内まで電車で出掛けるようになった。
夜になると決まって、眼鏡をかけてノートになにかを書き付けている。
長電話をしたり、句会の仲間とどこかへ出掛けることも増えた。
俳句という表現、その同じフィールドにいる仲間とは、きっと気が合ったのだろう。

それこそ、それは母にとっての「遅れてきた青春」だったかもしれない。
↓私自身の「遅れてきた青春」について以前書きました。

そんな母と一緒に、母娘で好きだった小林賢太郎さんのインタビューを見ているとき、母はこんなことを呟いていた。

「おもしろいことは日常に転がっている。謂わばネタの原石。
その原石は誰もが目にしているけれど、誰もがその価値に気が付いているわけではない。
他の数ある石ころの中からそれを見出だし、光り輝くまで磨き続ける。
日常で感じ取ったことを、人に見せられるレベルまでブラッシュアップする。
つまりそれが才能なんだねぇ」

小林賢太郎さんは言わずと知れたコントグループ・ラーメンズの頭脳の方。ちなみにモジャモジャは瞬発力と爆発力の方(片桐仁さん)。

彼の生み出す緻密な笑いが母は大好きだった。
母と一緒にコントライブに行こうと私はチケット争奪に参戦し、見事当選。
その報告をすると、母は二ヶ月後のその日を子供のように楽しみにしながら、私が貸したラーメンズのDVDを毎日のように観ていた。

でも、母はその一週間後に突然亡くなってしまった。
のだけれど、それはまた別の話。

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私が冒頭の細田守監督の発言に感じたことも、まさに母の呟いた発言、それと同じことだった。

私が納得したのは、細田監督の話した「子育てするなかでの親としての気持ち」ではなく、ものを作る人は、息をするようにごく自然に、日々、ものづくりのための思考回路で、ものを考えているのだな、ということ。

その道で成功している人は、やっぱり常にその道の流儀で、その道の摂理で、ものごとを思考し、捉えているんだ、と改めて納得してしまった。

創作をするひとたちが、日常のなかで、特別なことばかりしているわけじゃないと思う。
やっていることはきっとみんなと大差ない。
けれど、みんなと同じことをしていても、みんなと違うことを感じている
そしてそれをどこまでもどこまでも、しつこいくらいに掘り下げる
それが出来るか否かが、平凡と非凡の分かれ目なんだ。

細田守監督は、きっと日々感じることすべて、当然のようにファンタジックに思考するのだろう。
だからこそファンタジーの名作を創ることができる。

先ほどの「子供の自転車練習における不思議体験」のエピソードからもわかるように、監督を監督たらしめているのは、その、体に染み込んだ「ファンタジー的思考」なんだろうな。

そんなことを、まあまったくといっていいほどアニメを見ない私が、誠に勝手ながら、想像だけで思考する、そんな朝なのだった。

たまにはアニメも観てみようかな。

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子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!