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ネガティブもポジティブも元を正せば自分の姿勢。言動は自分に返ってくる、コミュニケーションの話。

困った時に力を貸してくれる人が居ることのありがたさよ。

遡っては夏の話。急ぎはしないが地味に困っていることがありTwitterでアドバイスを求めたところ、見ず知らずの私に協力してくださるという奇特な方からお声が掛かりました。ちょうど同じタイミングで同じ課題に取り組んでいらっしゃる方でした。

両者ともに急ぎの課題ではないこと、お互いに勉強しながらであることなどという理由から、仕事の合間に少しずつ進めるという具合で「あーでもない、こーでもない。」とやっていました。そして先日、その方は無事に課題がクリアできたとのこと。一方、私の場合はやや状況が複雑なようで解決まではまだもうちょっと時間が掛かりそう。だけれどその方はご自身がクリアできた、その一連に解決の糸口は無いだろうかと探りながら引き続き私を助けてくださっている。

正直、驚きでした。

困って助けを求めたとして、しかし見ず知らずの人間に協力してくださる方がいらっしゃるなんてことは想像もしていなかったのでただただ驚きました。そういう経験が無かったから知ることもなく、知らないからこの世界には存在しないものだと思っていたもので。(そのあたりはきっと過去に書いたこの記事の話が根底にあるのですが)

ともかく。人と人の間にあるもの、コミュニケーション。こんなにポジティブであたたかいものに触れたことがなかったので今もなお、日々驚きの連続。

で、私は他人のために動けるその方を「すごいなぁ」と思うのだけれど、その方はその方で私のことを「応援したいから」と言ってくださる。よくよく考えたらこれ、noteのサポート機能も同じ心理・心意気だと思うんだけど、いやほんと、実行できるってすごいことだから。

そうしてお相手のことをすごいなぁと思いながらも、サポートしてもらえる今の自分はどういう存在なんだろうと考えてみたら。確かにサポートを得るという経験が無かった時代とは明らかに違うのだよね。

わかりやすいのがSNSでもらう言葉。

昔は自分の意見を発信すると噛み付かれたりすることも多かった。今は俄然好意的な意見の方が多い。発信している割に噛み付かれる機会は少ないし、あったとしても割と余裕を持って対応できる。受け止めるべきものは受け止めて、スルーすべきものはスルーできる。その差はどこにあるのかと考えれば。わかりやすく言うと昔は「自分は正しい」という感じで高飛車、ヒトコトで言って「嫌な奴」だったのだよね。うるさいし面倒臭い。今は「いろんな考え方があると思うけど自分はこう思う」だし、不必要な力が抜けた感じ、ニュートラル。

やっぱり言葉も行動も元を正せば自分。自分自身が引き寄せているものなのだよなぁと思う。

一般的には学生時代にこういうことを経験し、考え、身に付けてゆくのかもしれない。でも私は学生時代にそれができなかったから。大人になった今、すこしずつ、本当に少しずつだけれど学んでいる。教えてくれる存在があることに感謝しつつ、引き続きお勉強です。そういう意味では最近になってやっと「人」らしくなってきた気がします。

とはいえ、この数年で形容されたのが「天照大神」と「魔女」だから、本当に「人」っぽくなるにはまだまだ遠い気がしていますけれど。

早く人間になりたい。

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