望谷凛ノ介

信州伝統音楽LABO/望谷凛ノ介です。 日本民謡が大好き、民俗芸能を見て歩くことがお気…

望谷凛ノ介

信州伝統音楽LABO/望谷凛ノ介です。 日本民謡が大好き、民俗芸能を見て歩くことがお気に入りです。若干時間ができたので、信州の民謡を中心として、民俗音楽や地域ならではの音楽を「伝統音楽」としてくくり、整理してみたいです。

記事一覧

《開田甚句》~シンプルながら清楚で味わいのある旋律(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残さ…

100
3

《開田馬子唄》~木曽馬の里で歌われた馬子唄(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残さ…

100
2

《開田オオサ》~木曽に根付いた調子のよい甚句(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。 古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残…

100
望谷凛ノ介
2週間前

《開田コチャ節》~嫁入唄として知られる酒盛り唄(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。 古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残…

100
望谷凛ノ介
2週間前

《開田大根種》~酒席のセレモニーの古式ゆかしい納め唄(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。 古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残…

100
望谷凛ノ介
3週間前

《伊折甚句》~虫倉山麓の里に残る景気のいい踊り唄(長野県長野市中条)

長野市西部の村々は西山地方と呼ばれ、自然いっぱいの環境、里山に抱かれたところです。旧中条村は犀川から北方に広がるエリアを中心とした山村です。中でも中条のシンボル…

100
望谷凛ノ介
1か月前

《伊折十万石盆踊り唄》~真田十万石の威風を伝える踊り唄(長野県長野市中条)

長野市西部の村々は西山地方と呼ばれ、自然いっぱいの環境、里山に抱かれたところです。旧中条村は犀川から北方に広がるエリアを中心とした山村です。中でも中条のシンボル…

100
望谷凛ノ介
1か月前
1

《古間甚句》~古間の盆踊りの軽快な甚句(長野県上水内郡信濃町)

越後から北信濃を通って追分宿(北佐久郡軽井沢町)に向かう北国街道の宿場町、古間は「酒と鎌」で知られたところです。 この地で歌われた踊り唄、酒盛り唄が《古間甚句》…

100
望谷凛ノ介
1か月前

《古間音頭》~古間宿に残る古い形のおけさ(長野県上水内郡信濃町)

越後から北信濃を通って追分宿(北佐久郡軽井沢町)に向かう北国街道の宿場町、古間は「酒と鎌」で知られたところです。 この地で歌われた踊り唄、酒盛り唄が《古間音頭》…

100
望谷凛ノ介
1か月前

《笹部松に踊り》~お座敷唄らしさを感じる粋な盆踊り唄(長野県松本市)

松本市街地からみて南西に位置する笹部。この地域で盛大に踊られていた盆踊り唄に《松に踊り》があります。 唄の背景 松本市街地に残る盆踊り唄 笹部は松本市の中心街か…

100
望谷凛ノ介
1か月前
1

《天屋節》~極寒の中で歌われてきた寒天製造の仕事唄(長野県茅野市)

茅野市では天然角寒天作りが古くから行われてきました。寒天といえば「ところてん」などに加工して食べられます。 寒天作りがこの地域の特産になったのは、冬の気温が低い…

300
望谷凛ノ介
1か月前

《麻績番場節》~茶屋のヒロインお仙に憧れる村人の騒ぎ唄(長野県東筑摩郡麻績村)

善光寺街道と呼ばれた北国西脇往還(北国西街道)にはいくつか峠がありましたが、その1つ、猿ヶ馬場峠は大変な難所であり、その峠路には茶屋がありました。その1つ、清水…

100
望谷凛ノ介
2か月前

《須原ばねそ》[甚句]~軽快で賑やかに踊られる楽しい甚句(長野県木曽郡大桑村)

木曽十一宿の1つ、須原宿は中山道の宿場として栄えてきました。臨済宗の古刹、定勝寺で知られる宿場は、古い街並みを残し、湧水を引いた水舟があちこちに見られる風情ある…

100
望谷凛ノ介
2か月前
1

《須原ばねそ》[竹の切株]~哀調のあるしっとりとしたお十五夜様(長野県木曽郡大桑村)

木曽十一宿の1つ、須原宿は中山道の宿場として栄えてきました。臨済宗の古刹、定勝寺で知られる宿場は、古い街並みを残し、湧水を引いた水舟があちこちに見られる風情ある…

100
望谷凛ノ介
2か月前

《須原ばねそ》[よいこれ]~短調の味わいを醸し出す優美な踊り唄(長野県木曽郡大桑村)

木曽十一宿の1つ、須原宿は中山道の宿場として栄えてきました。臨済宗の古刹、定勝寺で知られる宿場は、古い街並みを残し、湧水を引いた水舟があちこちに見られる風情ある…

100
望谷凛ノ介
2か月前
1

《岡谷糸ひき唄》~日本の近代化を支えた工女のつぶやきの唄(長野県岡谷市)

日本の製糸生産量のトップであったのが、信州諏訪地方でした。生糸の品質がよく、日本の輸出総額の1位が生糸であった時代もありました。世界大戦後、製糸業が衰退し、諏訪…

200
望谷凛ノ介
2か月前

《開田甚句》~シンプルながら清楚で味わいのある旋律(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残されていることでも知られています。 開田には山村ながら、各地の流行り唄がよく伝承され、特に味わいのある甚句が歌われてきました。その1つに《開田甚句》があります。 唄の背景 軽快な甚句 この甚句は酒席の酒盛り唄ですが、本来は女性が扇子を両手に持って踊る、華やかな踊り唄であったそうです。 開田では古い習俗が残されていた

有料
100

《開田馬子唄》~木曽馬の里で歌われた馬子唄(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残されていることでも知られています。 また、開田は木曽馬を飼育していた歴史があり、馬と関わる生活がありました。ここに《開田馬子唄》があります。 唄の背景 木曽馬の歴史 木曽馬とは長野県木曽地域から岐阜県飛騨地方で飼育されている品種で、日本在来馬です。その起源は諸説ありますが、蒙古草原馬といい、古代に朝鮮半島を経由して

有料
100

《開田オオサ》~木曽に根付いた調子のよい甚句(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。 古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残されていることでも知られています。中でも酒盛り唄として人気があったのが《開田オオサ》です。 唄の背景 軽快な甚句 開田では古い習俗が残されていたことが知られています。《横手》《大根種》といった重要な祝儀唄が大事に伝承されてきた一方で、素朴ながらも各地の流行り唄が残されています。《オオサ》は7775調の詞型であり、

有料
100

《開田コチャ節》~嫁入唄として知られる酒盛り唄(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。 古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残されていることでも知られています。中でも酒盛り唄として、今でも歌われているのが《開田コチャ節》です。 唄の背景 婚礼で歌われたコチャ節 この《コチャ節》は、開田の伝統的な婚礼の場で歌われてきました。また、哀調のある旋律、娘を送る父の心情が読み取れる歌詞から、近年《開田嫁入唄》として人気の民謡となっています。 開

有料
100

《開田大根種》~酒席のセレモニーの古式ゆかしい納め唄(長野県木曽郡木曽町開田)

開田は霊峰・御嶽の裾野に広がる高原の村で、平成の大合併で木曽町となりました。特に木曽馬の名産地として知られた山里です。 古くからの習俗を伝えていて、古い民謡が残されていることでも知られています。中でも、酒の席でのセレモニーの納めに歌われた古い民謡に《大根種》があります。 唄の背景 開田の酒席のセレモニー 開田では古い風習が残されていたことは、井出道貞による「信濃奇勝録」に記述があることで知られています。 また、酒宴の始めにはまず酒を2杯飲み、3杯目を注ぐと《横手》(めで

有料
100

《伊折甚句》~虫倉山麓の里に残る景気のいい踊り唄(長野県長野市中条)

長野市西部の村々は西山地方と呼ばれ、自然いっぱいの環境、里山に抱かれたところです。旧中条村は犀川から北方に広がるエリアを中心とした山村です。中でも中条のシンボル、虫倉山の麓に位置する伊折にはいくつかの民謡が歌われてきました。 特に、松代藩との関連からさまざまな歌が伝えらました。《伊折甚句》もそんな踊り唄の1つです。 唄の背景 虫倉山の山懐に伝わった踊り唄 伊折のある虫倉山は、地元では大姥山とも呼ばれ、親しまれています。当地には「大姥伝説」がありますが、虫倉山には「大姥様

有料
100

《伊折十万石盆踊り唄》~真田十万石の威風を伝える踊り唄(長野県長野市中条)

長野市西部の村々は西山地方と呼ばれ、自然いっぱいの環境、里山に抱かれたところです。旧中条村は犀川から北方に広がるエリアを中心とした山村です。中でも中条のシンボル、虫倉山の麓に位置する伊折にはいくつかの民謡が歌われてきました。 特に、松代藩との関連から伝えられたものがあり、この《十万石盆踊り唄》もその1つです。 唄の背景 虫倉山の山懐に伝わった踊り唄 伊折のある虫倉山は、地元では大姥山とも呼ばれ、親しまれています。当地には「大姥伝説」がありますが、虫倉山には「大姥様」を祀

有料
100

《古間甚句》~古間の盆踊りの軽快な甚句(長野県上水内郡信濃町)

越後から北信濃を通って追分宿(北佐久郡軽井沢町)に向かう北国街道の宿場町、古間は「酒と鎌」で知られたところです。 この地で歌われた踊り唄、酒盛り唄が《古間甚句》です。 唄の背景 返し付きの越後の甚句 古間では、隣の柏原(上水内郡信濃町柏原)と同様に「おけさ」と「甚句」を伝えていました。甚句は越後が盛んでしたので、楽しく軽快な甚句が越後から伝わり、歌われるようになったものかと思われます。 〽︎[音頭]  西に黒姫(コラショ) 東に斑尾エ  [付け]  間に美し ノー鳥居

有料
100

《古間音頭》~古間宿に残る古い形のおけさ(長野県上水内郡信濃町)

越後から北信濃を通って追分宿(北佐久郡軽井沢町)に向かう北国街道の宿場町、古間は「酒と鎌」で知られたところです。 この地で歌われた踊り唄、酒盛り唄が《古間音頭》です。 唄の背景 古い形のおけさ節 古間では、隣の柏原(上水内郡信濃町柏原)と同様に「おけさ」と「甚句」を伝えていました。「おけさ」とは、いうまでもなく《佐渡おけさ》で知られる越後の踊り唄です。 古間の盆踊りの伝説では、慶長14年(1609)の諏訪神社の秋祭りに、京都の浪人らしい成田五郎左衛門忠昭という人物が伝え

有料
100

《笹部松に踊り》~お座敷唄らしさを感じる粋な盆踊り唄(長野県松本市)

松本市街地からみて南西に位置する笹部。この地域で盛大に踊られていた盆踊り唄に《松に踊り》があります。 唄の背景 松本市街地に残る盆踊り唄 笹部は松本市の中心街からやや西南に位置します。かつては農村地帯で、笹部新田村と称した時代もありました。奈良井川右岸の地域で、かつては川の氾濫も多かったようです。現在は住宅地が広がっています。 《松に踊り》の歌詞は、次の歌詞を元唄としています。 〽︎松になりたや 峠の松に  上り下りの 手掛け松  (ハシチリントツンツンハイセ) 詞

有料
100

《天屋節》~極寒の中で歌われてきた寒天製造の仕事唄(長野県茅野市)

茅野市では天然角寒天作りが古くから行われてきました。寒天といえば「ところてん」などに加工して食べられます。 寒天作りがこの地域の特産になったのは、冬の気温が低いことや、乾燥に適していたことなどが理由だそうです。寒天業が行われるのは12月中旬から3月くらいまでの約3か月の間だけです。この寒い時期に、原料であるテングサ等の海藻を臼で搗く時に歌われたのが《天屋節》です。 唄の背景 寒天生産額第一位の信州ならではの仕事唄 寒天製造の本場は関西です。茅野市で寒天作りが始まったのは

有料
300

《麻績番場節》~茶屋のヒロインお仙に憧れる村人の騒ぎ唄(長野県東筑摩郡麻績村)

善光寺街道と呼ばれた北国西脇往還(北国西街道)にはいくつか峠がありましたが、その1つ、猿ヶ馬場峠は大変な難所であり、その峠路には茶屋がありました。その1つ、清水の茶屋の美しい娘、お仙が歌い込まれている騒ぎ唄が《番場節》です。広く愛唱された民謡で、猿ヶ馬場峠の麻績村側と千曲市側の両方で歌われましたので、ここでは《麻績番場節》として取り上げたいと思います。 唄の背景 歌と合唱からなる素朴な旋律 この唄が歌われてきたのは、猿ヶ馬場峠の麓の麻績村市野川地区です。 《番場節》の詞

有料
100

《須原ばねそ》[甚句]~軽快で賑やかに踊られる楽しい甚句(長野県木曽郡大桑村)

木曽十一宿の1つ、須原宿は中山道の宿場として栄えてきました。臨済宗の古刹、定勝寺で知られる宿場は、古い街並みを残し、湧水を引いた水舟があちこちに見られる風情ある通りで知られています。この須原で古くから盆踊りとして《須原ばねそ》が伝えられてきました。 《よいこれ》《竹の切株》《甚句》の3曲からなるもので、情緒ある踊りで知られています。この中で、最も速いテンポで踊られるのが《甚句》です。 唄の背景 踊り唄の甚句が定着 この唄の源流は、文字通り7775調の詞型を持つ甚句です。

有料
100

《須原ばねそ》[竹の切株]~哀調のあるしっとりとしたお十五夜様(長野県木曽郡大桑村)

木曽十一宿の1つ、須原宿は中山道の宿場として栄えてきました。臨済宗の古刹、定勝寺で知られる宿場は、古い街並みを残し、湧水を引いた水舟があちこちに見られる風情ある通りで知られています。この須原で古くから盆踊りとして《須原ばねそ》が伝えられてきました。 《よいこれ》《竹の切株》《甚句》の3曲からなるもので、情緒ある踊りで知られています。この中で、最もゆったりとしたテンポで踊られ、哀調のある旋律で知られるのが《竹の切株》です。 唄の背景 源流はお十五夜様 この唄は無伴奏で静々

有料
100

《須原ばねそ》[よいこれ]~短調の味わいを醸し出す優美な踊り唄(長野県木曽郡大桑村)

木曽十一宿の1つ、須原宿は中山道の宿場として栄えてきました。臨済宗の古刹、定勝寺で知られる宿場は、古い街並みを残し、湧水を引いた水舟があちこちに見られる風情ある通りで知られています。この須原で古くから盆踊りとして《須原ばねそ》が伝えられてきました。 《よいこれ》《竹の切株》《甚句》の3曲からなるもので、情緒ある踊りで知られています。その中で最初に踊り始められるのが《よいこれ》です。 唄の背景 返しが付く素朴な踊り唄 この唄は無伴奏で静々とした感じで歌い、踊られます。詞型

有料
100

《岡谷糸ひき唄》~日本の近代化を支えた工女のつぶやきの唄(長野県岡谷市)

日本の製糸生産量のトップであったのが、信州諏訪地方でした。生糸の品質がよく、日本の輸出総額の1位が生糸であった時代もありました。世界大戦後、製糸業が衰退し、諏訪の精密機械工業が盛んになります。しかし、その基盤にあったのが製糸業であったともいえます。 その製糸工場で働いていたのが工女さんです。その若い女性たちが糸ひき作業の折に歌ってきたものが《糸ひき唄》です。 唄の背景 岡谷の製糸業 蚕の繭から糸を取り出し、生糸にすることが製糸です。歴史は古く、中国から伝来したものと考えら

有料
200