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『月獅』第2幕「隠された島」    第7章「もうひとつの卵」<全文>

第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第6章「孵化」<全文>は、こちらから、どうぞ

<あらすじ>
(第1幕)
レルム・ハン国にある白の森を統べる「白の森の王」は体躯が透明にすける白銀の大鹿だ。ある晩、星が流れルチルは「天卵」を産む.。そのためルチルは王宮から狙われ白の森をめざす。だが、森には謎の病がはびこっていた。白の森の王は、再生の「蝕」の期間にあり本来の力を発揮できない。王はルチルに「隠された島」をめざすよう薦める。ルチルは偵察隊レイブン・カラスの目につくように断崖から海に身を投げた。
(第2幕)
「隠された島」には、ノアとディアの父子二人しか人間はいなかった。島に漂着したルチルは、ノアとディアに助けられながら島で暮らす。月の力が増す望月の夜に天卵が孵った。なんと、天卵は金髪と銀髪の双子だった。

<登場人物>
ルチル‥‥‥天卵を生んだ少女(十五歳)
ディア‥‥‥隠された島に住む少女(十二歳)
ノア‥‥‥‥ディアの父 
シエル‥‥‥天卵の双子の金髪の子
ソラ‥‥‥‥天卵の双子の銀髪の子
ギン‥‥‥‥ハヤブサ・ノアの相棒

「ソラ、引っ張っちゃだめー」
 丸太小家にはにぎやかな叫び声が響き渡る。風が笑うように吹きすぎる。
 ディアの阻止もむなしく、麻袋から小麦粉が散乱し床に白い山を築く。傍らで双子がきゃっきゃっと笑い声をたてて粉まみれになっている。二人は粉を手ですくっては撒き散らす。ふわりと浮いた粉がきらきらと光る。陽の光によるのではない。双子たちの躰がぼうっと輝いているのだ。光背かオーラをまとっているようだ。
 ルチルは金髪の子を抱きあげ顔の粉を払うと、椅子に腰かけ、右の乳房を吸わせる。ディアはソラと呼ばれた銀髪の子をかかえあげ、左の膝に置いてくれる。ソラは自ら乳にむしゃぶりつく。
「二人いっぺんは、たいへんだろう。一人ずつにしたら、どうだ」
 ノアにあきれられるが、ルチルは首をふる。
 双子で生まれたのだから二人一緒がいいように思うのだ。それにノアの云うとおりなら、乳を与えるのもあとひと月かふた月で終わってしまう。
「天卵で生れた子は、ふつうの子のおよそ三倍の早さで育つ」
 双子が孵る前にノアが教えてくれた。
 野生の生きものたちと同じように、天卵の子は生れてすぐ歩けるのだとも。ただし二足歩行ではなく四足歩行、つまり這い這いができるということだった。
 これがやっかいの元凶だった。
 とにかく這いまわってあらゆるものに手を伸ばす。小麦をぶちまけるぐらい、たいしたことではない。水桶を倒して床を洪水にする。油断していると箒の先をくちゅくちゅ噛んでいる。油壺をひっくり返していた日は、洗濯物を抱えたディアが滑って派手に尻を打っていた。
「シエル、だめ!」「ソラ、待って!」と二人を止めるディアの声がたえず響くようになった。
 ルチルは双子にシエルとソラという名をつけた。
 金髪の子はシエル。銀髪の子はソラと。キンとギンはどうかとディアは云ったけれど、首をふった。
「父さんのハヤブサがギンだから?」
「そうじゃなくて。金貨のほうが銀貨より高いでしょ。そんなふうに優劣をつけたくないの」
「金のほうが銀より上なの? 銀もきれいなのに」
 ディアが眉をしかめる。
「金も銀もどちらもそれぞれの美しさがある。だがな、市場では金貨のほうがたくさんの物と交換してもらえて、価値が高いとされてるんだ」
 ノアはため息まじりに続ける。
「鉱石としての金と銀に優劣はない。どちらも大地がこしらえる岩の一部さ。そこに価値というくだらん物差しをつけ目の色を変えるのは人間だ」
「ふうん、変なの」
 ディアは納得がいかないように首を振っている。
「だがまあ、キンとギンという名はやめたほうがいい」
「どうして?」
「金髪の子がキン。銀髪の子がギンじゃ、すぐに覚えられちまう。王宮から狙われてるんだから、記憶に残りやすい名前は避けたほうがいいだろう」
「シエルとソラは、どうでしょう」
 親子の会話にルチルが割って入る。
「シエルもソラも、大空を表します。この子たちがどんな使命を負って生まれたのかはわかりません。でもどんなときでも、心に空を持っていてほしいから」
「いい名だ」
「あんたはシエルだって。君はソラね。あたしはディア。よろしく」
 ディアが双子を抱きあげて、それぞれの頬にキスする。
「だけどノア」
 とルチルは首をかしげる。
「もう、王宮から追われていることを、そんなに気にしなくてもいいんじゃないかしら。だって、卵のときは天卵とわかったけど。今では見た目は、ふつうの子と変わらないもの」
 卵が孵ってからずっと思っていたことを口にする。
「そう思うか」
 ノアは顎をさする。
「卵から孵ったときに比べると、ずっと弱くなっているし、俺たちは慣れもあって忘れがちだがな。よく見てみろ、この子たちの躰。ぼんやりと光っているだろう。成長するにつれて制御できるようになるから、光が外に漏れることもなくなる。だが、緊張したり危機に瀕すると、とっさに輝きを増す」
 あっ、とルチルは両手で口を押さえる。
「追手が迫っているような危機的な状況になればなるほど輝くから、目立ってよけい危険になる。それをうまくコントロールできるようにせにゃならん。そうだな、一歳を過ぎたら訓練をはじめよう」
 ノアはほんとうによく天卵のことをわかっている。どこでその知識を得たのだろうか。

 シエルとソラはノアのいうとおり通常の三倍のスピードですくすくと成長していた。あとひと月も経たないうちに歩きだすだろう。すでにつかまり立ちをしてテーブルの上のものに手を伸ばそうとしている。
 ルチルの乳も順調に出ている。ただ、それだけでは双子の成長には追いつかないため山羊のミルクを山羊革の袋に入れて与えている。赤ん坊のディアはこれで育ったそうだ。ということは、ディアの母は産後の肥立ちが悪くて亡くなったのだろうか。
 乳を飲み終えると、ソラにミルクのたっぷり入った山羊袋を渡す。ソラは床に座って両手でしながら器用にひとりで山羊のミルクを飲む。だが、シエルは、ルチルの膝にのせて袋を圧すのを手伝ってやらなければいけない。
 シエルの左手は産まれたときから固く握ったまま開かないから。
 はじめに異変に気づいたのはノアだ。
 天卵から孵ったばかりの双子の放つ光がしだいに鎮まると産湯につけた。一人ずつ手早く体を洗ってやっていたのだが、金髪の赤ん坊を洗っていて手が止まった。
「この子の左手が開かないな」
 ルチルは銀髪の子を湯につけていた顔をあげ、視線を向ける。赤ん坊をくるむさらしを取りに小屋に戻っていたディアも、どうしたの、とたらいを覗きこむ。
 ノアは金髪の子の頭を支えながら、ひとさし指で赤ん坊の右手をちょんちょんとつつく。すると手を開いてノアの指をぎゅっとつかむ。けれど、左手に同じことをしても握りしめたまま開かない。こじ開けようとしてもだめだった。
「そっちの子を貸してみろ」
 ルチルが銀髪の子をノアに手渡す。銀髪の子は両手とも難なく開いた。
「しばらく様子をみてみよう」
 ノアにわからないことが、ルチルにわかるわけもなかった。
 できることなんて膝に抱きあげ、握ったままの左手の指を撫でてやるくらいだ。
 左手が機能しないためシエルは右手でしかルチルの乳房も圧せないし、ミルクの革袋もうまくつかむこともできない。這うスピードもソラより遅い。つかまり立ちも危なっかしい。ソラのほうがシエルよりも何でも早くできるようになり、そして上手にできた。双子のちがいが顕著になるほど、ルチルはせつなくなった。もう、ひと月をとうに越しているのにシエルの左手は固く握られたままで、ルチルは開かないシエルの左手を両手でくるんで持ちあげ、窓辺の月明りにかざしてそっとキスをする。

 シエルの左手が、生後二か月を前にしたある日、突然、開いた。
 思い返せばその少し前から、しきりに右手で左の拳をさすっていた。さすりながら、ぐふっ、ぷぷ、ぐふっと奇妙な笑い声を立てていたから、なにか一人遊びでも見つけたのかしらと思っていた。
 いつものように椅子につかまり立ちをしたときだった。
 ぐふふふふっと、くぐもったような妙な笑い声をあげ、椅子にのせていた左手の拳を、不意にくるりと返して掌側を上に向けた。くすぐったいのか身をよじりながら、小指から順に一本一本、五本の指をゆっくりと開いていったのだ。
 ルチルは驚いて手に提げていたミルクピッチャーを落としそうになった。
 それだけではない。開いた手から茶色いの入った小さな鶉のような卵がぽろりと転がり出た。
「どうして。どうして卵が、シエルの手に」
 ルチルのとまどいにかまうことなく、卵は椅子の上を転がる。慌ててつかもうとしたが、まにあわず反対側から落下した。
 ――割れる!
 ルチルは息を詰まらせて、シエルを抱きしめる。
 卵がぽーんとピンポン玉のように跳ねて‥‥ ひと周り大きくなった!
 ルチルは目をみはる。シエルは卵の跳ねるようすにきゃっきゃっと声をたてて笑っている。
 卵は跳ねるたびに大きくなる。
 ちょうどそのとき、脱走したソラを追いかけていたディアが、ようやく捕まえたのだろう、抱きかかえて入ってきた。ノアも一緒だ。
 ディアが驚いて叫ぶ。
「あれは毬? それともトビネズミ?」
「ちがう。シエルの手……左手から、たま……卵が」
 ルチルは焦って口がもつれる。
「卵だと!」
 ディアとノアも、部屋の中を跳ねまわりながら大きくなる卵になすすべもなく呆然と立ちつくす。小鳥たちは不規則な卵の動きに羽を散らして逃げ惑う。卵はルチルがテーブルに置いたミルクピッチャーを倒し、棚に並んだ塩やハーブの瓶を蹴散らし、灰壺に突っ込んでそこら中に灰をばらまく。シエルとソラの笑い声だけが響く。
 アヒルの卵ほどの大きさになると、最後に大きくバウンドして天井に激突し、その勢いで床を叩き卵が割れた。
 時が一瞬、止まった。
 皆が固唾かたずをのみ、つぶれた卵に視線が集まる。
 殻を下から押しあげるようにして、黄金の翼が羽を広げた。殻の欠片がついている。ばさっとひと振りして払う。胸にうずめていた首を伸ばすと鋭いくちばしが現れた。
 鷲か――、と誰もが思ったそのとき、ゆっくりと上体を持ちあげた。
 黄金の翼の下から現れた前脚は猛禽類の鋭い鉤爪を備えていたが、立ちあがると白い毛並みのたくましい獣脚類の下肢が躰を支えていた。
 どよめきが伝播する。ごくりと、ルチルが唾を呑み込んだ。
 鷲の躰にライオンの下肢をもつという伝説の神獣グリフィンか。
 姿は伝説のとおりなのだが、身の丈はルチルの両手に乗るほどしかない。グリフィンの幼生だろうか。ルチルは答えがほしくてノアに目をやる。
「ビュ……」
 ノアは孵ったばかりのグリフィンをまじまじと見つめ、何かをつぶやきかけて口をつぐんだ。口を真一文字にきつく結び天井を仰ぐ。
 グリフィンの誕生に驚いているのでも、喜んでいるのでもない。そのまま窓辺まで歩むと、窓枠に両手をついて遠くヴェスピオラ山に目をやる。
 ノアはグリフィンに遭ったことがあるのだろうか。
 小さなグリフィンは翼のぐあいを確かめるようにそろりと羽を広げ、バサッバサッと振る。ふらふらとよろつきながら羽ばたいていたが、風が起こり、埃が舞っただけで飛び立てはしなかった。

第7章「もうひとつの卵」<完>


第8章「嘆きの山」に続く。


 

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