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【小説風エッセイ】割れた〜ありがとう、美濃焼のカレー皿〜[ものを愛でる](1511文字)

2023年8月5日の夜のことでした。

私はいつもどおりに、台所の流しで洗いものをしていました。

油ものではない食器から洗い始めて、次々と洗い上げ、油ものの美濃焼の磁器のカレー皿の番になりました。

2023年の正月早々に我が家に来て、毎日のように活躍してくれた皿です。

元日に、夫がオンラインショップでみつけて、「夫婦でお揃い」で買ってくれました。

その美濃焼のカレー皿は、だいたい円形で心地よく歪んでいて、全体が茶白色っぽく、端のほうから中央に向かって薄赤茶色っぽい大きな渦巻き模様が入っていて、全体的につるんとして光沢があり、点々と薄い小さな白い斑点があり、裏側には段々があり、ところどころ小さな穴が空いている、美濃焼の良さの出ている器で、食器棚に収納していても温かみがありました。

とにかく気に入っていて、見るだけでも嬉しく、料理を盛り付けるたびに幸せな気持ちになっていたものです。

一つだけ困っていたのが、私の手の大きさに対して、その美濃焼のカレー皿が大きすぎて、洗いにくかったということでした。

油ものを乗せることが多く、食器洗い石けんで洗う時には、いつも気を遣いました。

皿の裏にある高台と皿の端の口縁に指をかけて、慎重に洗いましたが、美濃焼のカレー皿の底から口縁にかけての丸みが絶妙に、その美濃焼のカレー皿を持った時の私の手の曲がり具合と合ってしまい、力が入りにくかったのです。

だから、いつも、その美濃焼のカレー皿を洗う時には、鼻歌もやめて、意識を集中して、流しの底に、その美濃焼のカレー皿の口縁を押し付けながら、静かに丁寧に洗っていました。

それが、失敗してしまったのです。

洗いものをする時の癖になっている鼻歌を続けたまま、その美濃焼のカレー皿を持ってしまいました。

私の皿でした。

洗い始めてすぐに気づいて歌うのをやめたのですが、手遅れでした。

はっとして、鼻歌をやめて意識を切り替えた一瞬の隙に、私の美濃焼のカレー皿は、私の左手から滑り落ち、流しの底に強く打ち付けられてしまいました。

真っ二つか、粉々か、割れたのではないかと思いました。

しまった!と思いました。

後悔の気持ちが押し寄せました。

幸い、美濃焼のカレー皿は真っ二つにも粉々にも割れず、口縁が三角形に欠けただけでした。

そんなに小さくはない割れ方でしたが、料理を盛り付けるのには支障なさそうでした。

欠けていても、このお気に入りの美濃焼のカレー皿を使い続けようと思いました。

私は、夫に謝りました。
「ごめんね、せっかく買ってくれて、2人とも気に入っていたのに」

夫は、何よりも心配してくれました。
「ケガはなかった?仕方ない、また買えばいいよ」

「ありがとう、本当にごめんね」
と私。
「美濃焼のカレー皿も本当にごめんね」

翌日、料理の盛り付けをする際に、夫の皿と並べて、欠けてしまった私の皿を並べてみましたが、盛り付ける直前に最後の点検をして、残念ながら、使うのをやめました。

三角形に欠けたところから皿の中央に向かって、三角形に欠けたところよりちょっと長いくらいのひびが入っていたのです。

使っている最中に、真っ二つに割れるかもしれないと思い、危ないし、厄介だから、使うのをやめました。

本当に残念ですが、我が家に来て半年ちょっとで、その美濃焼のカレー皿は役目を終えてしまったようです。

でも、その半年ちょっとの間は大活躍で、私達夫婦をとても幸せな気持ちにさせてくれました。

その美濃焼のカレー皿を、気持ちの整理がつくまで、食器棚に置いておこうと思っています。

暫くは、食器棚を開けるたびに、その美濃焼のカレー皿を眺めることができるでしょう。

今までありがとう、私の美濃焼のカレー皿。

ご苦労さまでした!







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