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冷え物/小田実(とても長い感想文と自戒、その2)

続き。差別について、ですね。

いろいろと思うところはあるけれど、このお話の中で私が一番えぐられたというか、泣きそうになるくらいの衝撃を受けたのは、岡本とお信さんの差別の投げ合いについてでした。
主人公の周りにいる岡本という男とお信さんと呼ばれる女が、互いに「あの人は◯◯(部落の蔑称)らしい」と蔑み合うところ。

ほんとうはお互い部落出身じゃないし、部落出身じゃないとも知っているのに、部落が差別になることをわかっていてわざと侮蔑の言葉として意図的に「部落」を投げ合う。

二重の差別が存在するのです。

これは今の社会でも「そんなんだと一生〇〇だよ」とか、よく聞くなあって思って。
〇〇にはそれまでの話題とぜんぜん関係なしに独身とか童貞とかの単語が入れられて、まあそのときの話題と結びついてるならまだしも、ぜんぜん関係ないことを話してたのに急にそれらを投げるっていうのは、それらのステイタスを気にしてる人たちのことはもちろん、あえて選択してる人たちとか、いろいろ傷つけるじゃないですか。
ありふれすぎてるからこそ私も無意識にやってるんだろうなと思うと、人間が、いや自分が、恐ろしくなりました。

と同時に、高校生のときにふと「この世はスケープゴートに満ち満ちてるなあ」って感じたことを思い出しました。何がきっかけだったかとかは全く覚えてないけど、雷が落ちるかのように、その瞬間に私の中にその概念が刻み込まれた感じ。
そしてその後、大学生になってから人類学の授業を受けても宗教の授業を受けても、だいたいそこには第三項排除があって、世の中はそれでばかり動いているように感じました。

やっぱり人間は誰しも、良くも悪くも自分は特別だ、という思いがぜったいどこかにあってそれはどう足掻いても消えないものだなって感じてるんですけど、もちろん個々の個性は大きいんだけどそれでもほんとうはみんな大差ない存在で、だからこそ本能的に自分を守るためになのか、よくわかんないけど仲間を作りたがるのかなって思います。

まあ仲間がいたほうがいろいろと楽なのはほんとうにそうなんだけど、そのために誰かを除け者にするのはちょっと稚拙すぎるし、ただ「内緒だよ?」とか「二人だけの秘密だよ♡」っていうのは仲間意識を強めるのにめちゃくちゃ効果のある言葉で、それを使ったがゆえに必然的に第三項が排除されるっていう仕組みがあるんだろうか、とか考えると差別だって誰かが必死で生きていくための術だったんだろうな、なんて、ちょっとだけ思っちゃいます。

そりゃ倫理的にどう考えても差別とかイジメなんてよくないんだけど、そうでもしないと誰もが生きてこられなかった時代があったとか、なんかこう、わかんないなー!歴史とか!感情とか!複雑すぎて難しすぎるなー!


ってところで今日は終わりにしますが、この本についてはまだまだ続きます。


最近はしんどいことから目を背けてNetflixでポケモン観てます。ドイツではピジョンがタウボーガになります。

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