久しぶりの投稿となった。 3月でそれまで勤めていたシゴトを全て辞し、文字どおりシニアフリーランスになった。また食べるためにシゴト探しを始める。 前職の引き継ぎが今日までダラダラと続き、その隙間をぬって就活をしている。 前の職場の身勝手な一方通行のお願いに応える自分はアホだなと思いながら、半分以上諦めながら引き継ぎをしている。ただこれでおさらばできると思うと少し、安堵の気持ちもある。 この年齢で、窓のない閉ざされた空間の中、就業1時間前から終業後2時間、サービス残業が恒常的にな
ずっと私たちは高齢化社会の負のところだけを見て、肝心なところが欠落していた。 シゴトで高齢化とともに介護や医療費問題などに没頭してきた。 それは高齢化社会とともに長寿化社会にもこの国は移行したという事実が欠落していたと思う。 何が言いたいかというと、年金を中心とする社会保障制度がもたないということである。 これは単純に受給者が増えるというだけでなく、後に続く受給者にとってはとんでもないことになるという恐怖感にも似た不安である。 そして、少子化は人口減少だけでなく、生産年齢人口
歳を重ねるたびに、身体の自由度が狭まってくるのが自分でもわかる。 一方で世の中は、やれDX化だとかICT化だの浮き足立っているように思う。 そこに一昨年から生成AIなるものまで出てきた。 歳を重ねるとこれらを毛嫌いする御仁も多い。 しかしモノは考えようで、これらのアイテムを使いこなすと若さのバリアフリーに繋がる。 まず何処にいてもシゴトができる。 世の中は加速度的にSF映画のように仮想現実が進みつつある。 小さい頃、パーマン2号が欲しいと思ったが、仮想現実の自分が遠い国の会議
セカンドステージに進んだ人たちが味わう挫折感。 なぜ上手くいかないのか、その原因がわからない人がいるのではないか。 そして、これからセカンドステージに向かう人たちも含めて、必要なのは一つである。 それは、「覚悟」である。 それもそれまでの経験や実績、自尊心といった役人時代に築き上げてきたもの全てを捨て去る覚悟があるかということである。 この捨て去る覚悟は、簡単なようで簡単ではない。 なぜなら役人時代、出世するたびに内も外も首を垂れてくれることが多くなるからである。 明らかに相
上京して、はや8年目が過ぎようとしている。 何の縁故もなく、住んだこともなく、出張で来た程度で都上がりしたわけである。 普通は定年前になると故郷に都落ちする人が多い中で、馬鹿げている。 それゆえ2年間は鳴かず飛ばずであった。もう諦めて戻ろうかとも思った。 全て自分が悪い。 出てくる時に、馬鹿にする人もいた。 このまま帰れば、「あ〜あ、やっぱり」と言われるであろう。 それでも仕方ない。 そんな諦めの日々が続く中、ある団体のアドバイザーに誘われた。 それと同時に大学の特任教授の話
地方公務員は、マーケット(市場)という概念が欠落している方が多い。 何が言いたいかというと、シゴトでは地域経済の市場規模を調べたり、理解しているにも関わらず、現役を引退した時にそのデータが頭に入っていないということである。 つまり、地域の市場規模は極めて小さく、そのことは地元ではシゴトがないということに気づかれていないということである。 しかも雇用主は、口が先に立つシニアよりも若者の方がいいに決まっているということである。 つまりライバルは同世代だけではなく、新卒の若者から転
地方公務員のシゴトの主なものに、許認可等の権限を行使するものがある。 その権限を勘違いする人のおおいことか・・・ その権限を自分の実力だと思い違いするからだ。 そして、その思い違いを退職後も引きずって再就職すると大変なことになる。 また、役職が上がると自分が凄い人間になったとさらに勘違いする。 なので同世代の人たちの殆どがPCが使えない。秘書などがつくとコピー機すら使い方がわからない。 そして、管理職としての使命の一つに部下の育成があるが、その使命を理解している人は稀であった
先輩や同僚の再就職先を聞いていると、役人時代と打って変わって、そのキャリアを活かせきれていないケースが多い。 なぜそうなるのか・・・ まず備えかなと 私たちの世代はファーストステージでworkerとして、表舞台から降りて、その後は悠々自適に過ごせると思っていた方が多い。 そして世の中は、高齢化時代を嘆いていた。その社会的問題の最前線にいたにもかかわらず危機意識が希薄だったのではないかと その一番の理由は、高齢化は長寿化につながるという予測が抜けていた。 簡単にいうと、work
思えば、8年前、地方公務員という職を2年残して上京してきた。 某広告代理店の子会社に籍を置いて頑張ったのだが、パッとしなかった。 驚いたことに、組織風土が役所以上に役所だった。 日の目を見るのは上京して3年目から 東京に何のツテもなく、住んだこともなかった。 たまにシゴトで上京してたくらいだった。 甘く見ていたといえば、間違いではない。 ただ地方にシニアが働く場所がなかったのは事実である。 役人がリタイヤ後の通用するシゴトが想像できなかった。 これからこのnoteに地方公務員
今日は、笑える映画を観たく、映画館に足を運んだ。 綾野剛主演の「カラオケ行こ」 久しぶりに大笑いした。 ヤクザと中学生の絡み。 社会派映画とは異なり、単純明快な映画である。 だから素直に笑えるのか・・・ 最近、心から笑えない現象が続いていた。 このような映画こそ、映画の原点なような気がした。 まさに娯楽である。 子供の頃、親父が漕ぐ自転車の後ろにまたがり、親父の腹に手を回し、背中に顔を押し付け、親父の匂いを嗅ぎながら、映画館に向かった幼い頃の思い出が蘇る。 観客が同じタイミン
新春第一弾の映画は、パーフェクトデイズ。 今年もどんなに忙しくても月に2、3本ペースで映画を観たいと思っている。 そして、その口火を切るには秀逸な映画が観たいと思った。 正月休み期間中ということもあって、思ったより観客は多かった。 しかし、役所広司という役者はどれだけ引き出しを持っているのか。 いやいや、走りながら引き出しを増やしているのだろう。 同世代としては、彼の真摯な生き方に共鳴する。 この映画の醍醐味は、主人公の役所さんの台詞がほとんどないということである。 なのに
今朝、習慣化しているニュースを流しながら身支度を整えていた。 そして、聞き慣れた名前が聴こえてきた。 八代亜紀さんの死去のニュース。 え! 驚いた。享年78歳。 もうそんな歳だったのかと いやいや長寿化社会で78歳は若いだろうと、ひとり呟く。 独特の声質。 多くの方は、演歌歌手だと思っているが様々なジャンルの歌にも挑戦されている。 私は、ジャズを歌う八代亜紀さんが好きだ。 特に、夜、真っ暗な部屋でキャンドルの灯りの下、彼女の歌を聴くのが好きだった。 そして、彼女は様々な人と
皆さんは、同博物館がこの夏、クラウドファンディングで1億円の寄付を募ったのをご存じだろうか。 結果、8億円の寄付が集まったという。私もこのことをネットニュースで知った。 一番驚いたことは、目標額の8倍に当たるお金が集まったことだが、その寄付をした数である。 ひょっとするとNHKの朝ドラの影響もあったかもしれない。 日本人らしいといえば日本人らしい😁 博物館のイメージは、一見無駄な感じがする。特に自然科学の重要性や本質を学校で学んだ覚えがない。 しかし、初めて博物館に行った時の
広島県の県花でもある夾竹桃。 原爆が投下され、最初にその花を咲かせたのがこの夾竹桃だったという話は有名である。 母は爆心地から5キロほど離れたところで、その日を体験した。 母の口から原爆体験の話をあまり聞いたことがない。 あまりにも悲惨な生き地獄のような体験だったのであろう。 だが夾竹桃が、あの日がなかったように花開かせていたことを語ったことがある。 そのことが広島県人の心の支えにもなったことも 私も半分はその血が入っている。
先日、植物の進化についての番組をTVで観ていた時の話である。 近年の微細研究の進歩により、植物の能力が浮き彫りになってきたという。 これには細胞に色付けする技術が加わり、さらに研究しやすくなってきたのであろう。 動けない植物が、虫に襲われた時に防衛本能として他の葉っぱや仲間の木に危険を知らせているという。 その情報伝達の仕方も、ヒトの脳の構造に似かよっていて、ニューロンのような構造らしく、その情報を受け取るとその虫が嫌いな物質を増やし、食べられなくするというのである。 そん
娘から孫の七五三詣りの写真が送られてきた。 神前の家族ショットも送られてきた。 その中に当然、私の姿はない。 仕方ない。 好きで単身赴任の道を選び、無趣味な私にとってはシゴトが趣味なのだから。 こんな私を家族は諦めてくれているのだろう・・・ セカンドステージで、大半の仲間が現場から去っていった。 それだけファーストステージで最善を尽くしたのだろう。 これ以上シゴトをすることで、命を縮めたくないという思いもあるのかもしれない。 しかし、帰省した時に出会う先輩や同輩はいっぺんに老