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恥の多い生涯を


2023年9月16日(土)朝の6:00になりました。

てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。

どうも、高倉大希です。




近所のおじさんに、自転車に乗るコツを聞いたことがありました。

すると、おじさんはこう答えました。


「たくさん転ぶことだよ」


子どもながらに「なに言ってんだこいつ」と思ったことを、いまでもはっきり覚えています。

怖いし、痛いし、恥ずかしいし、自ら転ぶ人なんているはずがありません。


まあ、挫折を知らないからダメって言われても、どうすることもできないわけだからね。挫折なんて、しないならしなくていいですよね。というかできないですからね。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


もちろん、おじさんが言いたかったことはわかります。

たくさん転ぶくらい、何度も練習することが大切だということだったのでしょう。


残念ながらそのアドバイスは、少年には響きません。

求めていた答えとは、まるでちがったものでした。


ただ、結果的には何度も転んで乗れるようになりました。

転ぶ恥ずかしさを乗り越えて、乗れるようになりました。


恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。

太宰治(2006)『人間失格』新潮社


大人になって、恥ずかしいという感情の主語が、つねに自分であるということに気がつきました。

自分にとって都合がわるいと、恥ずかしいと思います。


大抵の場合、他者からすれば大したことではありません。

本当にどうでもよいことを、自分だけが恥ずかしいと思っているのです。


恥ずかしいと思うその瞬間、主観と客観に大きな差が開きます。

そのせいで、多くの人が歩みを止めてしまいます。


生きることは、ある意味で何かをさらけ出しているわけで、恥ずかしいことでしょう。生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、窒息しちゃいますよね。絵を描くことも、「さらけ出しながら生きていく」というのと同じこと。それでいいんじゃないかな。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


恥ずかしさは、ときにその人の挑戦を妨げます。

恥ずかしさは、ときにその人を魅力的に映します。


恥ずかしさとは、ときにその人の苦しみを生みます。

恥ずかしさとは、ときにその人の楽しさを生みます。


恥の多い生涯を送って来ました。

太宰、そういうことだったのか。






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